「新左翼で正統派の文化左翼であるヘサヨと、面白主義のドブネズミ系の共闘もしくは野合として始まったフリーター労働運動は、ヘサヨ的な問題設定に引きずられてしまった」(外山恒一) :『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』を読む(1)


 

 

前回まで3ヶ月ぐらい延々と“連載”した、『ゲンロン』誌の東浩紀氏らの座談会を批判的に検討する座談会が、とくにたいした根拠はないんだが、わりと評判がいいような気がして御満悦なので、もういっそこのweb版『人民の敵』はこの路線でいくか、という気にもなりつつある。

そんなわけで、“東座談会批判の座談会”のテープ起こしの最終回が完結する直前の10月8日、今度は北田暁大・栗原裕一郎・後藤和智による座談会を単行本(新書)化した現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書・17年6月)をテキストとして読書会を開催したので、その模様をまた全編テープ起こしの形で報告する。この日の読書会は参加者が(教養強化合宿のOB2名や、東京の“外山界隈”からの2名など、会場である福岡の私のアジトを遠方からたまたま訪ねてきてる人が多かったこともあって)いつにも増して多く、10人ぐらいいるのだが、例によって(?)喋っているのは主に私と藤村修氏(私と同年の、福岡在住の天皇主義右翼。右翼にしては珍しくインテリで、反原発派)で、他の参加者たちはそれぞれ1、2回ずつしか登場しない。

今回も大変長いので何回かに分けて“連載”することになる。

なお、この“座談テープ起こし”シリーズはそもそも、こういうコンテンツをメインとしている紙版『人民の敵』の販促を目的としている。過去のコンテンツ一覧を見れば分かるとおり、藤村氏は紙版『人民の敵』の最多登場論客でもある。

 


 

外山 では始めましょうか。今日は、4ヶ月ほど前に出た『現代ニッポン論壇事情』という本を読みます。『ゲンロン』という東浩紀がやってる雑誌に3回にわたって掲載された「現代日本の批評」という座談会をテキストに、こっちも律儀に3回にわたって熟読する読書会を6月にやって、それは全編テープ起こしをして、6月から現在までweb版『人民の敵』で連載してるんですけど、そろそろ完結しそうなんで(10月10日完結)、“次”の読書会をやるか、と。

東座談会には、市川真人、大澤聡、福嶋亮大、佐々木敦、サヤワカといった人たちが参加してて、我々の読書会で、そういった人たちの歴史認識・現状認識などをまとめて検証することになりました。でもさすがに東浩紀についてはもういいだろうってことで(笑)、“次”に俎上に上げるべきは北田暁大だろうと思ってたら、ちょうどまた複数人でこの約30年間の“論壇”の推移について語り合ってる新書が出ていたので、これを読むことにします。

北田暁大には『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス・05年)という、おそらく“出世作”的な10年ちょっと前の本があって、ぼくは実質それしか読んでないんですけど、かなり好印象の本だったんですね。

『嗤う日本の「ナショナリズム」』もやっぱり80年代から00年前後までの言論状況の推移を分析した本なんですが、何がいいって、糸井重里や田中康夫の活躍に象徴される、80年前後のいわゆる“80年代的相対主義”の登場について、70年代までの新左翼運動史の展開と密接に結びついたものとして分析しているところです。もちろん少なくとも当時の北田自身に運動史の知識がないので、その“結びつけ方”はトンチンカンなんですけど(笑)、それでも結びつけようとしてはいるそのココロザシや良し、と。しかも、“68年”に関する認識のトンチンカンさは措いて、80年代半ば以降について論じるあたりからは、ぼくの言葉で云うところの“「サブカルチャー」から「サブカル」への堕落”ということをはっきりと指摘してたり、それがやがて猛威をふるうネトウヨ的な言説の土壌になったという認識とか、扱う時代が最近になるにつれて分析が冴えわたり始める。

そういうこともあって比較的に好印象な人だったし、ツイッターで、紙版の『人民の敵』に書いた“80年”論の宣伝として、“北田暁大の糸井重里論の誤りを完全に覆した”的なことを書いたら、“それはぜひ読んでみたい”とツイートしてるのをエゴサーチで見つけたんで、実はそれ以来、北田暁大には『人民の敵』を毎号、無料で送りつけていたりします。まあ、読んでくれてるかどうか知りませんけど(笑)。

ともかく東浩紀と比較すればマトモな人だという程度には考えているんで、ちょっと悪口も云いにくいし、さらに今回の本はもう1つ困るのが……。

藤村 はい、そうだろうと思ってました(笑)。

外山 この“北田座談会”の参加者の1人である栗原裕一郎という人が、web版『人民の敵』の“東座談会”批評の連載を熱心に読んでくれてるみたいで、ツイッターで何度か言及してホメてくれてるんですよね。

藤村 『良いテロリストのための教科書』(外山の新著・青林堂・17年9月)も……。

外山 そうだった(笑)。そっちもかなりホメてくれてたんです(さらにこの読書会の後、10月15日付の東京新聞になんと書評まで書いて絶賛してくれた)。だからまあ、べつに栗原さんは“身内”ではないけど、いつも全否定されてばかりのファシストは身内に弱いだけでなくホメられても弱いんで(笑)、東座談会の第3回に出てた「劇団どくんご」サポーターの佐々木敦さんの時と同様、今回も非常にやりにくい。

しかしそこは心を鬼にして、なるべく“客観・中立・公正”を心がけて、ダメなものはダメだと、もし云うべき内容であれば云うように頑張ります。

もう1人の後藤和智さんという人については、名前は知ってますし本も1冊持ってますが読んではいないんで、どういう人なのかほとんど分かりません。年齢的にはカバー裏にあるとおり、栗原裕一郎が一番上で65年生まれ、北田暁大が71年生まれでぼくや藤村君の1つ下の同世代、後藤和智が飛び抜けて若くて84年生まれ、と。
そんなわけで、とりあえず北田暁大が書いた「はじめに」を読んでみましょう。それぞれ黙読してください。

 


 (北田暁大「はじめに—-ロスジェネの忘却と経済の忘却」黙読タイム)


 

外山 導入的な“まえがき”にすぎないんで、そうツッコむ必要もないとは思いますが……。

藤村 東座談会の時にオレは内田樹を擁護するような発言をたくさんしたんだけど、コレを読むと、やっぱり内田樹はイカンなあ、と(笑)。ロスジェネ世代に対して内田樹がココで北田暁大が引用してるような発言(2013年1月24日付「日経トレンディネット」に、「私は今の30代後半から45歳前後の世代が、申し訳ないですが、“日本最弱の世代”と考えています」との発言が掲載されたとのこと。のちのシールズへと発展するリベラル学生たちの動きが顕在化し始めていたのと比較しての発言と思われる)をしてるんだとしたら、まあしてるんでしょうけど、たしかに腹立たしい。

外山 5ページにも同じ「日経トレンディネット」での内田発言が引用されてるとおり、内田は、ぼくが『青いムーブメント』で詳細に書いた80年代末の諸運動から、「だめ連」や「素人の乱」や「フリーター労組」へと続く一連の“ドブネズミ系”の運動や、反原連や「しばき隊」とかの“パヨク”の運動や、さらには在特会とかのネトウヨの運動まで、中心を担ってるのはまさにこの頃に「30代後半から45歳前後の世代」だった世代で、つまり「最弱」どころか全共闘世代以来の、政治的行動力の旺盛なほとんど“第2の団塊世代”であることにまったく気づかずに、こういう恥ずかしい発言をしてるわけですね。そもそもシールズ自体がこの世代が主導した反原連の影響下に登場したオマケみたいな、しかもリベラル・マスコミによって実態以上に針小棒大に報じられた虚像でしかないのに、内田の目にはそっちしか見えてない。まあ内田樹がアホなのはべつにいいけど、内田だって全共闘世代ではなく、もうちょっと下でしょ?

藤村 全共闘世代の加藤典洋よりは少なくとも下のはずです。

外山 “ポスト全共闘”の第1世代ぐらいだったと思う(50年生まれのようだ)。内田自身は某党派の活動家だったらしいとスガ(秀実)さんに聞いてるけど、であればなおさら、おまえらが盛んに展開した“内ゲバ”のせいで我々の世代がいかにやりにくくなって迷惑させられたか、腹でも切って詫びてほしいよ。

ちなみにどうでもいいことですが、ぼくは内田樹の名前がよく目に入るようになってからかなり長いこと、例の、竹田青嗣の『現代思想の冒険』(87年)や笠井潔の『ユートピアの冒険』(90年)も入ってる毎日新聞社の“知における冒険”シリーズの、最初と最後の巻(『哲学の冒険』85年および『続・哲学の冒険』90年)を書いた内山節って人と混同してて、好印象を持ってたんだよね。“内”しか合ってないんだけどさ(笑)。まあ“内”で始まって“苗字2文字+名前1字”で、どっちも一般向けの“哲学の啓蒙書”みたいなのを書いてる、ってことで混同したのかな。

……1つ分からない言葉が出てきた。8ページの最初の行に「出生コーホート」ってあるけど、「コーホート」って何?

学生A(教養強化合宿OB) たしかに分かりませんね。

学生B(同) (黙って電子辞書を差し出す)

外山 ほー、“調査・研究の対象とする年齢・職業などある属性を同一にする集団。とくに同年または同時期に生まれた集団をいう”。なるほど。……素直に“世代”とでも書けよ、と(笑)。

薙野信喜氏 同じ8ページにある「経済政策は思想ではない」というのは、後で本文で説明されるんでしょうか?

外山 それはぼくも今初めてこれを読んでいるので分かりません(笑)。

藤村 これはつまり、今の“アベ政治を許さない”的なものに対する北田の違和感の表明で、オレは事前に読んできたけど、本文でも議論になります。

外山 もちろんここで北田は「経済政策は思想ではない」と云ってるんじゃなくて……。

薙野 それは分かります。

外山 経済政策の問題を棚に上げて思想を云々する大半の左派について批判的に云ってるわけですね。要はこういうことでしょう。“ロスジェネ論壇”の登場もその1つの表れであるように、00年代の後半の数年間、左派は若者の労働環境や貧困の問題を盛んに議論してたはずなのに、今ではそれがすっかり忘れ去られて、どいつもこいつも“安保法制”だの“ヘイトスピーチ”だの、そういう方向にばかり目が向いてしまっている、という苛立ちが北田にはあって、本当は“労働”や“貧困”の問題こそ、左派やリベラル派が最もこだわり続けなきゃいけないものではないか、と。

藤村 その点だけで見れば、東浩紀の問題意識ともそう違わない。

外山 紙版『人民の敵』の、ほんの2、3日前に出した最新の第35号にスガさんとの対談テープ起こしが載ってるんだけど、その中でスガさんは“リフレ派批判”をしてます。リフレ派というのは、とにかく政府が民間にカネをバラまいて、多少強引にでも経済成長を実現させて、なるべく下の階層まで救済しろという主張をしてる人たちのことらしいけど、北田暁大もそういう論客の1人だと云ってました。

藤村 うん、そうです。本文の議論でも出てきます。

外山 で、8ページ後半にあるように、安倍ちゃんがやってる経済政策も、実はリフレ派の要求にかなり沿うものらしい。つまり左派は、経済政策に限っては安倍ちゃんを支持してもよさそうなものだし、実際に一部の左派はそう云ってるらしくて、ただし、安倍ちゃんの“アベノミクス”ではまだ不充分だ、方向は正しいけどもっと徹底的にやらなきゃダメだってふうに、そういう人たちは民主党・民進党に、安倍ちゃんよりも徹底的なリフレ政策を提言してたりする、ということでした。

北田暁大もそうなんでしょう。ここに書いてあるように、世界的にも左派の主流はそっちだ、と。しかし日本の左派の主流は、9ページにあるように「世界的に見ても異様ともいえる緊縮・脱成長というまさしく『新自由主義』的な方向に舵を切っているように思える」と北田は書いています。“アベ憎し”で安倍ちゃんのやることは何でも批判する結果、左派的な経済政策まで批判してしまってるんだけど、「必要なのは、アベノミクスを全否定することではなく、アベノミクスを超える経済政策を提示することである」ということになるんですね。

ぼくは経済に関しては完全に音痴なので、何が正しいのかよく分からないんですけど、とりあえずそういう対立が左派の間にあることをスガさんからつい最近レクチャーされたところだし、どうもそのとおりだなあ、と(笑)。……「はじめに」は、この本の執筆というか成立の動機の説明みたいなものなので、まだアレコレ云わず、そういうものかと素直に受け止めて、本文に入っていきましょうか。

薙野 “ロスジェネ”についての説明は本文に出てくるのかな?

外山 5ページに「後期バブル世代、就職氷河期世代から、ロストジェネレーション論壇に火をつけた」赤木智弘が登場して云々というくだりがありますが、赤木智弘が「火をつけた」かどうかは疑問とはいえ(笑)、赤木も含めて、70年前後から70年代半ばぐらいにかけて生まれた世代の論客が、00年代後半に、当時30代半ばから後半にさしかかろうとしていた自分たちの世代の労働問題、典型的にはフリーターや派遣社員とかの非正規雇用の労働環境について盛んに声を上げ始めて、たしか朝日新聞が“失われた10年”にカケて“ロスト・ジェネレーション”という言葉でそういう問題を取り上げたこともあって、彼らを中心とする左派論客たちのシーンが“ロスジェネ論壇”と呼ばれるようになったわけです。

その背景には00年代後半に一時的にものすごい勢いがあった“フリーター労働運動”がありますし、象徴的なキャラクターは赤木智弘というより、フリーター労組の広告塔的な存在になってた“プレカリアートの女神”こと雨宮処凛だと思いますけどね。ところが、それだけ一時は注目された“ロスジェネ論壇”が、今やすっかり勢いを失って、左派はみんな“安保法制”がどうこう、“アベを倒せ!”に夢中になってる、と。

薙野 必ずしもそうは思えないんですけど……だって雨宮処凛なんかも相変わらず盛んにメディアで発言してるでしょう?

外山 もちろん雨宮処凛はずっと“若者の労働問題”を云い続けてるし、そういう人も多少はいますけど、やっぱり左派・リベラル派の最重要テーマは“アベを倒せ!”になってて、それは安倍ちゃんが若者の労働問題に対して冷淡だからとかではなく、“9条”がどうこう、“モリカケ問題”がどうこうってことでしかない、というのは北田の云うとおりだと思う。

藤村 労働問題でいえば00年代後半には湯浅誠も注目されてたけど、彼もやっぱりアベノミクスを一定程度は評価する立場だったはずです。

外山 しかしそういう声は、“アベ政治を許さない!”っていう大同団結の機運に水を差すものだし、かき消されてしまうんだろうね。

藤村 “アベ政治を許さない!”の人たちは、とにかくビックリするぐらいアタマが悪いんです(笑)。にわかには信じがたいような発言も平気でやるし、何を云い出してもおかしくないぐらいアタマが悪いので、そこらへんを念頭に置いておくといいと思います(笑)。

外山 でまあ、ここに書かれているような問題意識のもとに、もはや“10年”どころか「失われた三〇年」という言葉が10ページに出てきますが、この約30年間のリベラル派の言説を検証していこう、という座談会のようです。

それでは第1章を一気に読んでしまいます。各自、黙読してください。

 


  (「第一章 若者論のゆくえ」黙読タイム)


 

外山 では何かあればどうぞ。……ぼくとしては、危惧していたほどの違和感はないですね。もちろんやっぱり政治に疎い人たちなので、細かいところはいろいろ事実誤認も見られますが、全体的なスタンスにはとくに異論はない。

藤村 オレも1ヶ所を除いて非常に好感を持って読みました。面白かったです。

外山 ……と云いつつ“コレは違うのでは?”という部分をまず挙げつらっていくとですね(笑)、30ページの栗原裕一郎の発言に、前後して「若者文化で社会を語るという風潮」(31ページ・後藤)が話題になってる流れで、おそらくシールズの“今ふうのノリ”に老人左翼たちが熱狂したことを念頭においてのものでしょうが、「時代を遡れば、歌声喫茶、うたごえ運動というのがありましたが、あれも共産党の若者組織のようなもので、『文化で革命を起こそう』という流れは戦後、連綿とあるわけです」とあります。ここはちょっと微妙だよね。

普通は“文化で革命を起こそう”とかってフレーズで思い浮かぶのは“ジョン・レノン”みたいなものでしょ? ロック文化、ヒッピー文化をはじめとする60年代的なカウンター・カルチャーというか。で、世界的に見てもそれは一種の新左翼文化だし、とくに日本ではそのことがはっきりしていて、ここに挙げられてる「歌声喫茶、うたごえ運動」といった共産党系の文化運動に対する反発から生まれてくるわけで、たしかにここではシールズを「共産党が可愛がってた」って話をしてるんだけど、「『文化で革命を起こそう』という流れ」を共産党と親和的だという観点で「歌声喫茶、うたごえ運動」から一気にシールズまでつなげちゃって、そういうのと対立して登場したカウンター・カルチャーの巨大なムーブメントが両者の中間にあるのをスッ飛ばした上でそういう流れが「戦後、連綿とある」と云われるとかなり違和感を持つ。

藤村 共産党は六全協(55年におこなわれた共産党の方針を決める会議。50年代初頭の一時的な武装闘争路線が“自己批判”され、それとは正反対にすぎる軟弱フニャフニャ路線への転換が決議された)を経て「歌声喫茶、うたごえ運動」的なものを称揚し始めたわけだけど、その時点ではまだはっきり“社会主義革命”を志向してはいたんだし、それらも「『文化で革命を起こそう』という」ものであったという認識自体は間違ってはいないでしょ?

外山 共産党が極端な大衆迎合路線に転じて、文化諸ジャンルがそのツールとして利用されることになったにすぎないわけです。

藤村 あまりにも顰蹙を買いすぎた(戦後せっかく得た数十という国会の議席を52〜53年の選挙でほとんど失った)武装闘争路線の印象を払拭するために、“共産党は変わったんですよ”と強調したいあまり、そういう路線に走った。

外山 それに、うたごえ運動をはじめとする共産党の“文化運動”は、「文化で革命を起こそう」というより“文化を革命運動に利用しよう”、端的に云えば“文化を政治利用しよう”ってものだもん(笑)。文化“で”、ではない。

藤村 “シールズと一緒だ”というのはそのとおりじゃない? 共産党はまさにそういうものとしてシールズを利用してる可能性は濃厚にあるよ。

外山 そうかもしれんけど、中間を飛ばしすぎだろう、と。その“中間”部分は「歌声喫茶、うたごえ運動」やシールズとはまったく異質なものなんだしさ。「歌声喫茶、うたごえ運動」とシールズとの間に新左翼文化運動の巨大なムーブメントが存在していて、そこには断絶があります。つまり「連綿と」続いてはいないわけです。

藤村 かつての共産党より今の共産党は巧くやってて、志位和夫がクラック(しばき隊の後身団体)のTシャツを着てるのを見て野間(易通)さんたちが大喜びしてる(笑)。まったく情けない(笑)。

薙野 私はもちろん「歌声喫茶」にも行ったことのある世代ですし(演劇批評サイトを運営している薙野氏は46年生まれで御年71歳!)、労演(勤労者演劇協議会。共産党系の会員制の演劇鑑賞団体。現在は“子ども劇場”、“親子劇場”、“市民劇場”などと称する)の活動家だったこともありますが、今の藤村さんの発言には違和感があって、むしろかつてはそういう共産党系の文化運動が社会に対して持ってる影響力には相当なものがありましたよ。

藤村 ああ、そう云われてみればそうか……おっしゃるとおりです(笑)。

外山 共産党による“文化運動の政治利用”も、昔のほうがもっと“巧く”いってた、と。

薙野 今のほうが圧倒的に弱い。うたごえ運動にしても、ロシア民謡とか……。

外山 うん、その影響で一般にも「ともしび」とか「カチューシャ」とか、流行ったんですもんね。

薙野 そうなんですよ。あまりにも甘ったるいというか、私なんかは歌声喫茶なんて1回行けばもう充分、という感じでしたけど(笑)。労演も完全に共産党の支配下だったし、“新劇”(日本の伝統的な演劇=歌舞伎などを脱却し、西洋的な“近代劇”を確立すること目指した明治以来の日本演劇の系譜で、戦前から左翼の文化人が主導)自体がそうでした。

外山 今の“子ども劇場”とかの流れですよね。

薙野 そうです。そういう共産党系の文化活動は社会にものすごく影響力を持ってた。

外山 演劇でいえば、その“新劇”に反発して新左翼的な“アングラ演劇”が登場するわけでしょ。

薙野 そうですね。

外山 80年代に“政治”を忘却して急速に“サブカル”化していっただけで、今の主流の演劇だって源流は共産党系の新劇ではなく新左翼系のアングラなんだし、フォークやロックといった音楽ジャンルにしても同様で、共産党系の文化運動は60年代半ばぐらいには完全に新左翼のそれにとって代わられる。

藤村 しかし、まったく薙野さんのおっしゃるとおりです。今の感覚で云いすぎました(笑)。

外山 ……31ページで後藤和智が、「九〇年代後半以降の若者論はバッシングに大きく舵を切るわけです」という歴史観を表明してますが、ここも“そうか?”と思います。むしろ若者はいつだって「バッシング」されてましたよ(笑)。“太陽族”の昔から、若者はバッシングされてたでしょう(笑)。戦前の“モボ、モガ”だってそうかもしれません。ビートルズも“不良の音楽”だったはずです。後藤発言に続く栗原発言の中にも「しらけ世代」という言葉が出てきますが、シラケ世代も“若いくせにシラケるとは何事だ”とバッシングされたし、同じく栗原発言で言及がある80年代初頭の「腐ったミカン」こと“校内暴力”世代の不良少年たちもバッシングされてた。

それが「九〇年代後半以降」にとくにそうなったかに見えてしまうのは、かつては世論もバッシング“一色”ではなかったからでしょうね。世間の大多数の大人たちは若者の新しい傾向を常にバッシングしてきたけど、90年代半ばまでは、それに異を唱える少数の“理解ある大人”たちによる擁護論も常に目に見える形で存在して、それで後になって振り返ると、ビートルズも音楽の教科書に載るわけだし、“校内暴力”を鎮圧した結果として成立した“管理教育”体制への批判も高まって“ゆとり教育”への転換が図られたり、少数派による若者擁護論のほうが正しかったことになって高く評価されて目立つので、なんか若者たちはかつては一貫して温かい目で見られ続けていたかのような錯覚が生まれる。

A女史 “90年代後半に若者たちがバッシングされた”というのは、酒鬼薔薇聖斗とかの影響ってことですよね?

外山 冒頭の後藤和智の発言の中にも「一九九七年に酒鬼薔薇聖斗事件が起きたことで『不安の時代』が語られるようになり、若い世代に対するバッシングが増加し始めます」とありますから、そういう認識なんでしょう。しかしここにも大いに違和感がある。結局いつもの“外山史観”に我田引水しちゃうけど、要は“オウム以降”ってことですよ(笑)。95年のオウム事件を契機に、社会のあらゆる領域に“社会の敵”が見出されるようになって、その過程で“若者”という“社会の敵”も発見されたというにすぎない。

当然、95年以降に“社会の敵”として再発見され、バッシングの対象となったのは“若者”だけではありません。“ヤクザ”とか“新左翼党派”とかが本格的に“社会の敵”扱いされるようになるのも90年代後半だし、“ストーカー”とか“飲酒ドライバー”とか“DV男”とか“喫煙者”とかもそうです。95年に阪神大震災とオウム事件が続けざまに起きて、“安全神話”の崩壊が叫ばれ、人々の平和な日常を脅かしかねない危険な“敵”が、オウムの他にも社会のあちこちにいつのまにか増殖している、それらを芽のうちに摘み取らなければならない、ということでセキュリティ意識が異常に高まり始める。“少年犯罪”も、実は少しも増えてなんかいないのに、ことさらに注目を浴びるわけです。セキュリティの上昇のために画一的な社会が目指され、その画一性を乱すような連中は、危険性の程度を個々に吟味されることもなく一様に危険視される。そういう、95年に始まる大変化を見ずに“酒鬼薔薇事件を機に若者バッシングが始まった”とか云うのは短絡的にすぎます。

藤村 しかしここで後藤さんが云いたいのは、若者たちの労働環境だとか、そういう経済的な問題が捨象されたところで“若者バッシング”がおこなわれるのは極めて異様だ、ということじゃないかな。もちろん90年代初頭までは日本経済は右肩上がりだったから、外山君の云うように“若者バッシング”なんかいつの時代にもおこなわれていたのかもしれないけど、経済問題なんか脇に置いといてもよかった、ということでもある。

一連の“68年”論でスガさんも言及してるように、全共闘運動の高揚も実はある種の経済問題、大学生がもはやエリートではなくなって、高い学歴にふさわしい就職口が不足しつつあるという状況を背景にしていた可能性はあるけど、それは後になって気づくことで、大人たちが全共闘の“暴力学生”をバッシングする時にそういう“経済問題”が視野に入ってなかったのも仕方がない。ところがある時期以降は経済問題を抜きに若者の状況は語れないわけです。

ちょうどオレの世代からだと思う。卒業する頃には明らかに経済がヤバくなってて、いわゆる日本型経営というか、年功賃金だの終身雇用だのってことがほぼアテにできなくなってた。そういう状況の変化があるにも関わらず、“若者バッシング”のノリは昔ながらの、経済問題を捨象したもので、そのことに後藤さんは苛立っているんでしょう。

外山 ただ、2000年代後半にはロスジェネ論壇が注目を浴びて、若者を取り巻く経済問題も大人たちの視野に入ってくるわけだよね。そのことはこの鼎談の中でも触れてある。

藤村 うん、だから後藤さんが批判してるのもロスジェネ論壇登場以前の“若者バッシング”だよ。“ニート”とかもバッシングされてたじゃん。

外山 そうね、“ニート”も“社会の敵”として発見されたんだ。言葉自体はだいぶ後だけど、やっぱり90年代後半のうちに、“働かない若者”はすでに危険視され始めてた。

藤村 フリーターは“だらしがない”生き方であるとか、そういう言説が流行ったでしょ。山田昌弘が作った“パラサイト・シングル”(『パラサイト・シングルの時代』ちくま新書・99年)って言葉にしても、山田昌弘は途中からスタンスを変えはするけど、当初はやっぱり“いいトシして親から自立しない”っていう非難のニュアンスが強かったしさ。ああいうのが全部だいたい90年代後半だったと思う。しかし本当はそれらの背景には経済的な問題があったんであって、そこを見ない90年代後半の“若者バッシング”は上っ面のものでしかなかった、と後藤さんは批判してるんだろうね。

外山 しかしなぜそういう“上っ面”な言説が猛威を振るったか、“社会”を語る言説がセンセーショナリズムに彩られたものにしかならなかったかと云えば、結局やっぱりそれらがすべて“オウム以後”のマス・ヒステリーを背景として登場した言説にすぎないからです。

藤村 ただその“オウム以後のマス・ヒステリー”も、経済状況によって後押しされていたという見方もできると思う。つまりもしオウム事件が右肩上がりの経済成長の時代に起きていれば、かつての東アジア反日武装戦線のテロと同じ程度の反応しかもたらさなかったかもしれない。

外山 ……32ページの栗原発言に「永山(則夫)に対しては、彼は弱者なのだから救済しなければならないという意識が働いて、当時の文化人たちはこぞって永山擁護に走ったわけですよね」とあります。事件当時はたしかにそうだけど、死刑が執行される時(97年)にはすでに永山を擁護する声は少なくとも大手メディアには一切登場できなくなってたでしょ? かつての擁護論なんかなかったかのように、バッシング一色だったよね(笑)。それはもちろん“オウム事件以後”だからです。明らかに犯罪者である永山則夫を擁護するなんてとんでもないし、そんな凶悪事件の犯人は死刑になって当然だという空気しかなかった。宮崎勤もそう。事件当時は“M君”に肩入れする文化人の意見はマスメディアにも載ったのに、死刑になる時(08年)はもうそんなことは大っぴらには云えなかった。そういう変化をオウム事件を抜きに語っても無意味だと思う。

薙野 しかし永山則夫の場合は、自己発信力が強かったという事情もありますけどね。獄中から寺山修司批判の文章まで発表して、そういうのがものすごく読まれてましたよ。

外山 オウム以後はそもそもそんな発信自体が許されないんです。“発信”の能力がある犯罪者であっても、“犯罪者だから”発信させてもらえない。もちろんひたすら懺悔する内容のものだけは許されますけどね。酒鬼薔薇事件の“少年A”の『絶歌』(太田出版・15年)の出版にしても、ただバッシングされただけでしょ。もちろん昔は弁護士や支援者が被疑者に寄り添いながら善導して、もうちょっと反感を和らげるような仕掛けを作ったでしょうけど、もはや弁護士も“マスヒステリー社会”と結託して、必ずしも被疑者の側につきませんから。麻原彰晃をちゃんと弁護する弁護士がいなかったように、オウム以後の犯罪者は誰にも擁護してもらえないし、“発信”しても真面目に取り合ってもらえないんですよ。弁護士にさえ擁護してもらえない結果として、“発信”の内容の水準もかなり独りよがりに劣化しますから、ますますそうなるでしょう。そういうのは全部、“外山史観”ではオウム事件以後の戦時体制、戦時報道の問題なんです。

薙野 オウム事件については、この第1章ではまったく触れられていませんね。

外山 でも彼らもさんざん“90年代後半”と連呼してるわけで、それはつまり95年のオウム事件以降ってことになるはずなんです。“酒鬼薔薇事件以降”ではない(笑)。それはこの人たちに限らず、みんなそうなんだ。こないだの“東座談会”もそうだった。オウム事件を決して直視しないというのが、オウム事件以降に言論の世界で名をなすための最低限のスキルで、それがまさにオウム以後の戦時体制を象徴しています。この鼎談も、東座談会に比べれば相当いい線をいってるのに、ところどころ的を外してしまうのは、結局これもそういう戦時下の言論にすぎないからでしょう。“オウム以後”という視点を持ってる人は、そもそもこういう場で喋らせてもらえない(笑)。

藤村 95年って、阪神大震災があってオウム事件があって、スピッツの「ロビンソン」が大ヒットして……(笑)。とにかくすごい年でした。

外山 年明け早々に大地震が起きて何千人も死んで、その衝撃も冷めやらないうちに地下鉄サリン事件が起きて、とにかく“危機管理”が声高に叫ばれるようになった年です。個人的なことを云うと、それ以前は、いろいろ怪しげな活動……例えば寺山修司展の会場で勝手に仲間募集のビラをまいてたのを主催者に見とがめられて、“演劇やっちゃいけないところで演劇やった人を顕彰してるくせにビラまいちゃいけないところでビラまいたら怒るというのはスジが通らんだろう”と屁理屈をこねて揉めてみせたり(93年)、公安がぼくのことを調べてることが分かる内部資料をぼくんちの前に落として行ったのを、ド派手な扮装をして公安に返しに行ったり(94年)、そういう活動も面白おかしく新聞記事にしてもらえてたけど(いずれも読売新聞・西部本社版に掲載)、オウム以後は、世間の大多数の共感を得られず、むしろ世間を不安にさせるような、ぼくみたいな“異端的活動家”の“問題提起”的な実践は一切記事にしてもらえなくなったもん。

A女史 オウム事件がきっかけだったんですね。地震で世の中の雰囲気が一気に変わったような気がしてたけど……。

外山 まず地震で“安全神話の崩壊”とか“危機管理”とかが盛大に叫ばれ始めていたところに、追い打ちをかけるようにオウム事件が起きた。地震だけなら天災にすぎないけど、オウム事件の場合は人災で、そんなことを故意にやる“社会の敵”の存在に気づかされるわけでしょ。とりあえずシャカリキになってオウムを鎮圧して、一段落してみても、もう“危機管理”の意識に火がついちゃったんだし、よくよく注意して社会のあちらこちらを観察してみると、サリン事件のようなヤバいことをやりかねない“社会の敵”は他にもたくさんいるような気がしてくる。ヤクザや新左翼党派もそうだし、“外国人犯罪”とか“北朝鮮の工作員”とかが急に焦点化するのもオウムのちょっと後からですよ。

学生B 95年時点では、拉致問題はそんなに話題になってなかったんですか?

外山 右派のごく一部が、一連の行方不明事件には北朝鮮が関与してるに違いないと確信して、粘り強く啓発活動をやってたけど、世間一般的にはほとんど陰謀論の類の扱いでしたよ。そもそも02年に金正日が拉致を公式に認めるまでは、あくまで疑惑にすぎなかったし、オウム以後に盛んに云われるようになった“北朝鮮の工作員がどうこう”って話もメインは拉致問題ではなくて、もっと抽象的な、それこそ都市伝説的なレベルの話にすぎなかったように思う。冷戦時代の“ソ連の工作員がどうこう”ってのと似たような話ですよ。もちろん実際にソ連の工作員はいたわけだし、北朝鮮の工作員もいるわけで、“何か”やってるには違いないんだけど、具体的にこういうとんでもないことをやっている、という話ではなかった気がするけどね。核開発はすでに問題になってたから、そっちの絡みとか、あるいはパチンコとかの“在日利権”の話は90年代のうちにだいぶ云われてたかな。……本題に戻すと、とにかく90年代後半にはべつに“若者”だけでなく、社会を少しでも不安にさせるようなあらゆるものが“バッシング”の対象になり始めたんだという、大きな流れの中で語られていないのが不満ではある。

さらに云えば、50ページあたりから51ページ、52ページと、『フリーターズフリー』とか『ロスジェネ』とかの「ロスジェネ論壇」の話題が続くけど、これまた東座談会と同じで、まあそもそも“論壇事情”についての本であるとはいえ、言論シーンにまで波及した範囲にしか目配りがされてなくて、そういう「ロスジェネ論壇」の背景に、00年代前半からだめ連の周辺で試行錯誤が始まって、06年ぐらいから急成長するフリーター労働運動の展開があることが踏まえられていないんじゃないかと思う。

とにかくフリーター労組がそれらの基盤であり、前提なわけです。雨宮処凛も、90年代末から知られ始めてたけど、長らくキワモノ扱いで、完全に左転向してフリーター労組に合流したあたりで初めてマトモな言論人の扱いを受けるようになる。院生クラスの若いインテリたちも次第に糾合されていって、『フリーターズフリー』や『ロスジェネ』が創刊される。やっぱりフリーター労組とか、その前提であるだめ連とか、それら現場の社会運動から切り離して言論シーンの推移を語ることは、とくに“だめ連以降”はもう無理だろうと思います。

薙野 そういう運動は今はどうなってるんですか?

外山 フリーター労働運動なんかはすっかり沈滞してますし、それについてはこの北田座談会の面々もよく分かっていて、憂慮してはいるわけです。00年代後半にあれだけ注目を集めた若者の労働問題、非正規雇用の問題やワーキング・プアの問題が、3・11以降ってことでしょうけど、原発問題とかヘイトスピーチ問題とかにかき消されて、さらには原発もヘイトスピーチもどっかに行っちゃって、ただとにかく“アベを倒せ!”の大合唱に収斂してしまっている現状に苛立っているらしいのは、座談会からよく伝わってきます。彼らのそういう問題意識については実に正しいとぼくも思いますが、00年代後半に一時的にではあれ“若者の労働問題”が焦点化した経緯というのがきちんと押さえられてはいないんじゃないか、と。

藤村 彼らの議論の背景にはリチャード・ローティがいるよね。北田暁大が「はじめに」で、「経済を文化の下位に置く文化的左派」を批判してるけれども、ローティもデリダ系の左翼つまり経済問題よりも文化の問題を上位に置くような左翼を“文化左翼”として批判する。フリーター労組だって結局はローティの云う“文化左翼”、ヘサヨの集団だったわけでしょ。労働問題・経済問題を重視しているようでありながら、文化左翼であることから逃れられなかったタイプですよ。だから彼らは、むしろ00年代後半のロスジェネ論壇のそういう限界をこそ批判すべきなんじゃないかな。

外山 それに近いことは52ページで後藤和智も云ってるけどね。北田が「二〇一一年」つまり3・11がロスジェネ論壇も含めた左派が経済問題を忘却して“アベを倒せ!”的な文化左翼へと変質していく「分水嶺」だったと云うのに異議を挟んで、後藤は、「そこに震災の影響はなく、兆候があったのは二〇〇八年だと思うんです。当時は麻生政権でしたけど、雨宮処凛さんが主催する『リアリティツアー』というのがあったんですね。どんな内容だったかというと、『麻生太郎の豪邸を見学して、格差社会のリアルを体験しよう』というものだったんです。私はそれに強烈な違和感を覚えて、ロスジェネ的なものに距離を置くようになりました」と発言してる。まあ情報はちょっと間違ってて、「リアリティツアー」の主催は雨宮処凛じゃなくてフリーター労組だったはずで、雨宮処凛はフリーター労組の広告塔的な存在でもあったし、“遠からずと云えども当たらず”だけどさ(笑)。

藤村 後藤さんがその時に感じた「強烈な違和感」について、もっと掘り下げる必要があるよ。

外山 要は新左翼の亡霊のようなヘサヨの引力圏が、何だかんだで強力に働いてるんだ。新左翼で正統派の文化左翼であるヘサヨと、面白主義のドブネズミ系の共闘もしくは野合として始まったフリーター労働運動だけど、要所要所でヘサヨ的な問題設定に引きずられてしまう。

藤村 この座談会の参加者たちですらヘサヨ=文化左翼の引力圏を完全には抜けきれてないから、問題点を掘り下げることができないんだと思う。むしろ東浩紀は完全に抜けてて、その点では偉い。

外山 東浩紀といえば、35ページで栗原裕一郎が、「東浩紀より若い世代の論客は、横のつながりでクラスタを作って人を囲い込んで仕事を回すようになった」、鈴木謙介も荻上チキも宇野常寛もみんなそうだ、と“若手論客バッシング”をしてますけど(笑)、その戦略で成功してるのは、それを最初にやり始めた東浩紀だけでしょ。東座談会の“検閲”でも何度も云ったように、やっぱり東は運動家として優秀で、他は中途半端なんだ。東浩紀のマネをしたいんだろうけど、運動家としての覚悟か才能かその両方がないからうまくいかなくて、単なる囲い込みにしかならない。

藤村 東浩紀はオタク活動家として非常に優秀であるというのが我々の見解なわけですが、オタク活動家といえば……。

外山 また“アイドル”の話に持っていくつもりだな(笑)。

藤村 あ、やめとく?

外山 好きにしてください。

藤村 25ページで後藤さんが、福嶋麻衣子&いしたにまさきの『日本の若者は不幸じゃない』(ソフトバンク新書・11年)についてまず言及しています。後藤さんはこの本を「その年のワーストに指定した」と云うように批判的に見ているらしい。後のほう(48ページ)で栗原さんが、「そこまで問題視するような本かなあ」と擁護してますけど、どういう本かというと、若者はバブル時代とか高度成長期とかを体験してないんで、それを体験して知ってる世代からそういう時代との比較で“今の若者は不幸だ”とか云われてもピンとこないし、ウザい、という本です。ただし栗原さんも云ってるように、そういう話はこの本の一部で、かなりの部分は“アキバ文化”のレポートに割かれてるんですけどね。そもそも後藤さんがなぜこの本を「ワーストに指定した」かといえば、“帯が気に食わん”ということなんですよ(笑)。

外山 どこかで云ってましたな(笑)。……49ページだ。栗原裕一郎の擁護発言を承けて、「私が『日本の若者は不幸じゃない』という本に違和感を抱いたのは、その帯なんです。田原聡一郎さんと東浩紀さんが推薦文を寄せていて、『デフレ世代が見出すアクロバティックな希望のかたち』と東さんによって書かれていた。そこが一番腹が立ったところです」と云ってる。

藤村 帯が気に食わんから“ワースト”だなんて“批評”は初めて見た(笑)。

外山 東浩紀のせい(笑)。

藤村 その東浩紀の帯文も、引用されてるのは後半の販促的な部分で、その前に「若者=不幸を前提に、未来なんて語れるわけがない」という一文があって、これ自体は正論でしょう。とにかく初めて見たよ、こういう……。

外山 “粗雑な批判”?(笑)

藤村 ほんとに帯しか読んでないんじゃないのかっていう。

外山 “帯だけ読んで批評する”っていうのは昔、“メジャーデビュー”前の矢部史郎がやってましたよ(笑)。あれはあれで“芸”として成立してましたが……。

藤村 もっとも、後藤さんのような立場の人がちゃんと読んでも批判すべきところはいろいろあるようには思いますけどね。で、『日本の若者は不幸じゃない』をさっきパラパラとめくってたら、「クラスターという新しい考え方」って箇所に面白いことが書いてあった。若者たちのコミュニケーションの新たな形態ってことて「クラスター」ということが云われていて、“終わりなき学園祭”というのが、“もふくちゃん”(福嶋麻衣子)が運営するディアステージってイベント・スペースのコンセプトにもなってるわけですけど、要は同じ趣味を持っている人間の集まり=クラスターで盛り上がって、イベントが終われば去っていくっていう……何かに似てるでしょ?

外山 “クラウド”ね。

藤村 そう! 野間(易通)さんと同じことを云ってるわけです。

外山 “もふくちゃん”も野間一派だ、と(笑)。

藤村 いや、“もふくちゃん”の方が云い出した時期は早いから、野間さんが“もふくちゃん一派”なんです(笑)。つまり野間=“もふくちゃん”=オタクなんですよ。…………以上です(笑)。

外山 意外と短かったな。もっと長々とアイドル論を語るのかと思ってた。

藤村 もっと喋っていいですか?

外山 いえ、結構です。

藤村 ちなみにみなさんは“でんぱ組”はご存じですか?

外山 (他の参加者たちに)藤村センセイは、この“もふくちゃん”というのが立ち上げた“でんぱ組”というアイドル・グループの追っかけなんです。北田座談会の3人が何度も“もふくちゃん”の本に言及するから、藤村君がいつそっちに議論を持っていこうとするか、ずっと不安でした(笑)。ところで……。

藤村 あ、強引に話題を変えようとしてる(笑)。

 

 

つづく