「“ストリートの思想”を担ったヘサヨやドブネズミ系の流れは、パヨク系チルドレンであるシールズとは基本的に無関係です」(外山恒一):『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』を読む(3)


『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』を読む
(1)(2)(3)(4)(5)

 

前回からつづく


(「第二章 文化と政治—-社会運動の源流」黙読タイム)


 

外山 さて、何かありますか?

藤村 やっぱり前回の『ゲンロン』座談会よりは、読んでいて爽快ですね。『ゲンロン』座談会では、東浩紀による小林よしのりのムリヤリな擁護とか、そこはかとなくイヤラシイ意図が感じられる発言が頻発してたけど、こっちにはそういうのはない。

外山 近々この本をテキストに“検閲読書会”をやるつもりだとスガさんに話したら、スガさんはこの本自体は読んでないらしいけど、かなり悪印象を持ってるようで、それはたぶんスガさんがそもそも“リフレ派”に批判的だからなんでしょうけどね。ぼくは経済のことが全然分かってないんでスガさんの“リフレ派批判”もよく分かりませんが、たぶんリフレ政策って、“一国”の内側でしか成り立たないもので、そういうのはイカンという“ナショナリズム批判”的なことなのかなあと想像してますが……。ぼくはファシストなんで、スガさんと違ってナショナリズムを否定する立場ではないから、とりあえず日本国民だけでもまずは救済しなきゃというんであればそれはそれでいいし、だからここで“リフレ派”の3人が論じ合っているようなことにもそんなに反感はありません。

もちろん“歴史認識”については別です。例えば冒頭78ページの栗原発言にも、この約30年間の運動史に関するデタラメな話がいっぱい出てくるんですけど、しかし栗原さんは今回、外山恒一の新著を読んで勉強されたようなので(笑)、じっさい“知らない話がいっぱい書いてあった!”というような感想もツイートしてらっしゃいましたし、ここらへんの認識の問題はもしたしたら現時点ではもう改められているのかもしれません。

でもまあ今後この本を読む人のために一応指摘だけしておくと、東座談会の“検閲”でも新書でもさんざん繰り返してるとおり、今の“若い”というか40代以下の諸運動にはヘサヨとドブネズミ系とパヨクという3潮流があって、それらを識別した上で歴史を構成しないと必ずトンチンカンなことになってしまうんです。つまりここで栗原さんがやっているように、「一九九九年のシアトルデモ」から「シールズ」までを一直線につなげちゃダメなんですね。素人の乱の面白路線について、「それもシアトルデモの文化祭的な面にインスパイアされたもの」とも云ってるけど、そんなこと絶対ありません(笑)。松本哉はシアトルデモ以前の97、98年から“法政大学の貧乏くささを守る会”でまったく同じノリの運動を大々的に展開してたんだもん。そもそも松本君は教養がないから、現時点ではともかく、少なくとも素人の乱を結成した05年時点ではまだ、“シアトルデモ”とか知らないと思う(笑)。

「シアトルデモの祝祭性が日本に輸入されてサウンドデモが登場し」たというのも実は微妙です。これは03年のイラク反戦のデモのことを云ってて、たしかにあの流れには矢部史郎とか酒井隆史とか、諸外国の運動を視野に入れてるインテリ左翼活動家たちが介入してるけど、彼らはもともと、やっぱりシアトルデモ以前の段階で、海外の“レイヴ文化”がどうこう云って、公共の公園で勝手にレイヴ・パーティをやれないか、とかって実験を始めたりしてたからね。ショボい規模だったけど、たしか96年の夏に深夜の新宿中央公園でそういうことをやってる場にぼくも居合わせたことがある。

もちろん彼らが諸外国の運動を参照してたこと自体は間違いないから、日本のイラク反戦運動のサウンドデモとシアトルデモとは関係あるかもしれないけど、しかしその流れはシールズにはつながってない。もっとも栗原裕一郎の発言もこの同じ第2章の中で多少は揺れていて、イラク反戦のサウンドデモに親和的な毛利嘉孝の云う“ストリートの思想”について、「とりあえず既存体制、権力には反対するというのが一番のモチベーションでしょう。そこに、商業主義批判の延長線として資本主義批判、グローバリズム批判が乗っかっていた」と整理した上で、「しばき隊、カウンター系はその線とは違うところから来てますよね」と云ったりもしてる。

でも、シアトルデモとどっちが先だったか知らないけど、たしか同じ99年にロンドンでも“資本主義反対”を掲げる大規模なデモが突然起きてるんですよ(WTO=世界貿易機関の会合開催に合わせて同年11月末から12月初頭にかけて展開された“シアトルの戦い”よりも、同6月18日のロンドンでの“反資本主義”のデモおよび暴動のほうが先のようである。当時の新聞報道によると、約4000人が参加し、投石や車への放火も繰り返され、43人が逮捕されたという。もちろん数ヶ月後のシアトルでの行動にもつながっている、その最初の蜂起の試みであり、世界各地で同時多発的に取り組まれ、他に米オレゴン州ユージーンでも暴動にまで発展したらしい)。ぼくはそのニュースを、たまたまテレビで当時見たんです。べつに大ニュースとかでもなく、20時台の番組と21時台の番組の切れ目に流す、“20時54分”とかからの数分のニュースがあるじゃん。あれでチラッと流れたのをたまたま見た。“ロンドンで、資本主義反対を叫ぶ数千人の若者たちが……”とか云ってて、ギョッとしたんだけど、1分あるかないかのニュースで、“では次のニュースです”って、オイオイさらっと流すなよ、大ニュースだろう、と(笑)。でもその後どのチャンネルでも詳しい報道はやってないというか、“詳しい”も何も結局その1回しかそのニュースが流れたのは見られなかったし、一体どういう話だったのかさっぱり分からなかった。まあ、“オウム以後”だし、報道なんか完全に死んでて、日本の報道関係者は何が報道すべき価値のある大事なニュースなのかも分からなくなってたってことでしょう。

矢部史郎と決裂したちょっと後ぐらいの時期で、酒井隆史とはまだ良好な関係でたまに夜中に長電話したりもしてたんだけど、何ヶ月か経ってからそのニュースの話をしたら、酒井隆史もそんなデモのことは知らなくて、“にわかには信じがたい”みたいな反応だったよ。つまり99年時点では、今やその方面の権威である酒井隆史センセイですら諸外国の反グローバリズム運動の状況をちゃんと把握してなかったぐらいなんです。まして松本哉なんかが知ってるわけなくて(笑)、それでも松本君は法政大で面白路線・お祭り路線をとっくに全開にしてた。

もちろん栗原裕一郎が参照してる毛利嘉孝の本がそもそもデタラメだし、もう1つ参照してるのも野間易通の自画自賛本(笠井潔との共著『3・11後の叛乱』集英社新書・16年)なんで仕方ないんですけど、82ページの栗原発言での「しばき隊は最初の反ヘイトの運動だった」というのも大間違いで、それ以前に矢部史郎や山口素明らヘサヨによる、完全に在特会側の圧勝に終わった一連の試みがあって、埼玉県蕨市での“カルデロン一家”の問題での在特会のデモにカウンターをかけて矢部が逮捕されたりもしてるし(09年4月11日)、シールズに「サウンドデモ以降の『ストリートの思想』的な動きが糾合されていったという流れになる」というのも間違いで、『良いテロリストのための教科書』にも詳しく書いたとおり、毛利の云う“ストリートの思想”を担ったヘサヨやドブネズミ系の流れは、パヨク系チルドレンであるシールズとは基本的に無関係です。

A女史 シールズも“サウンドデモ”っぽいことをやることはやるんですか?

外山 どうかなあ。例のヘンなラップみたいなシュプレヒコールも、“サウンドデモ”とは違うしね。

藤村 仮にやるとすれば、それは反原連やしばき隊からの影響でしょう。野間さんも『3・11後の叛乱』で、一時は毛利嘉孝とも親密だった時期はあったけど、やがて関係が切れたと書いてるし、野間さん個人が毛利嘉孝の影響を多少は受けていたとしても、反原連やしばき隊を始める頃にはすでにほぼ関係ないはずです。

桜子 “音楽つきのデモ”ってことで似て見えるけど、シールズの“ラップ”とサウンドデモの音楽は全然印象が違いますよね。

外山 うん、サウンドデモはサブカルに詳しい連中が“グローバル・スタンダード”なオシャレな音楽を流してたけど、シールズの“ラップ”は、まあしょせん共産党センスだし、かつて“うたごえ運動”でギターを抱えてショボいフォークソングを歌ってたのと大差ないノリですよ。もちろんぼくはインテリ左翼が最新のクラブ・ミュージックを流すサウンドデモもイケ好かなくて、松本哉やだめ連系がDJカーを担当してる時の、森進一とかザ・ピーナッツとか流すサウンドデモが一番バカバカしくて好きでしたけど(笑)。

桜子 ビラやプラカードのセンスも明確に違う。シールズのプラカードは画一的で、“手作り感”みたいなのをなるべく排除する方向だと思う。

外山 ほんわかリベラル系というか、“穏和でオシャレ”なものに統一されてるよね。3・11以前のデモは“マルチチュード”感丸出しで(笑)、つまりバラバラ。

桜子 サウンドデモも“ほんわかリベラル系”じゃなかった?

外山 もっとアナキズム的なノリがあったよ。いや……アフガン反戦・イラク反戦から新たに登場してきたパヨク系と、ヘサヨ&ドブネズミ連合とが拮抗してて、両方が混在してたんだな。で、おそらくサウンドデモ的な騒々しいノリを体現していたのは、後のパヨク系ではなく、諸外国の反グローバリズムの諸運動を参照してもいた後のヘサヨや、もともとも騒々しいドブネズミ系のほうでしょう。パヨク系もそれまでは没政治的なサブカル連中だったような層だし、そのレベルでは深刻な対立にはならなかったはずです。

103ページで両者の分岐が気づかれつつはある。まず北田暁大がそのだいぶ前の栗原発言を承けて、「SEALDsのあたりと、カルチュラル・スタディーズとかDIY、スローフード的なものとが、実際には切れているんじゃないか」と云ってて、それに対して栗原裕一郎が、「でも一時期、雨宮処凛とカルスタ的な人たちってつながっていませんでしたっけ。だめ連とか素人の乱の流れと、ネグリ的なマルチチュードを重ねる論調というのはありましたね」と応じ、北田が「それはそう思います。そしてそれはむしろ中央線文化的な方向だと思うんですよね。それで今、毛利さんや上野(俊哉)さんとかが官邸前の話をあまり前面化して語らないというのもわからないではない」といったように、実に隔靴掻痒でもどかしい議論をしている(笑)。単に反原連-しばき隊-シールズというパヨク系の流れと、だめ連や素人の乱や雨宮処凛といったドブネズミ系の流れと、カルスタ的なヘサヨの流れとは別なんだというだけの話です。ヘサヨとドブネズミ系とは、パヨクと他2者よりは近くて野合することもあるので、「雨宮処凛とカルスタ的な人たちってつながってい」るような印象になる局面もよくある。

藤村 安保法制の騒動の時に、素人の乱が現場でラジオをやるとか云ってて、それを予告するツイートか何かで、いつものノリで“革命”だの“大騒動”だの書いてたもんで、ものすごく炎上してたのを覚えてる。要はパヨク系の連中が、“オレたちは「革命」とか目指してるわけじゃないんだ、こんな物騒な告知をするのはどういうつもりだ”って寄ってたかって非難した。

外山 松本君の面白主義的で無害なお祭り路線にさえそんなふうに過剰に反発するわけで、それぐらいノリが違うし、そもそも素人の乱の反原発デモと反原連の“官邸前金曜抗議”とが切れてることさえ、この人たちはよく分かってないと思う。素人の乱が反原発運動から撤退したこと自体は認識してるようだけど、しばらく間をおいて始まった反原連の金曜抗議が素人の乱とはほとんど何の関係もないってことが、ちゃんと踏まえられてないんじゃなかろうか。

藤村 パヨク系が運動シーンで完全に自立する重要な契機になったのが“針谷事件”だよね(素人の乱などが主催した11年6月11日のデモの出発前集会で、右翼の反原発派である針谷大輔氏のスピーチが予定されていたことにヘサヨ系が反発して、その数日前から内輪揉めが始まり当日も大混乱となった経緯に学んで、野間ら反原連からはヘサヨが排除された)。不思議なのは、五野井郁夫にせよ小熊英二にせよ、誰も針谷事件について一言も書かないんだ。東浩紀も書いてない。つまり彼らは針谷事件をそんなに大きな出来事だとは感じてないってことなんでしょう。

外山 素人の乱と反原連の切断線がそこにあることに気づいてないんだと思う。

藤村 知ってはいるはずだよね?

外山 11年から12年にかけての反原発運動の推移については、みんなそれなりに注視してたはずだもんなあ。

藤村 “文化左翼”なんてローティ的な用語を振り回すんなら、文化左翼的なヘサヨとそうではないシールズとかとの切断の経緯には、もっと敏感であってしかるべきですよ。思想的にも批評的にも重要な事件だったはずなのに、見事なぐらい全員スルーしてる。もちろん野間さんは例外で、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社・12年)でちゃんと書いてますけどね。その点だけでもオレは野間さんに好感を持ってしまう(笑)。

外山 しかし野間さんの『金曜官邸前抗議』に書いてあるんだったらますます、この座談会の参加者も含めて、左派系・リベラル系の知識人たちは全員知ってるはずだ。でも針谷事件に注目する論者がいない、と。

藤村 1人もいないんだ。五野井や小熊はバカだから針谷事件の重要性に気づかなくても仕方ないんだけど、この座談会の人たちはそこまでバカではないはずでしょ。まあ、後藤さんはちょっと怪しいけどさ(笑)。

外山 うん……ぼくも薄々そんな気はしてた(笑)。

藤村 ともかく針谷事件の重要性に気づかないようでは、この人たちも文化左翼とどっちもどっちだよ。“針谷問題”って結構な難問でしょ、アカデミズム系の左翼にとって。戦後ずっと大半の右翼は反体制的、政府批判的な運動に敵対してきたんだし、“右翼は絶対に排除すべし”という方針にも左翼的には理がないわけではない。まして70年代以降の左翼は“反ナショナリズム”が基調になってるんだしさ。加藤直樹さん(反天皇制の「秋の嵐」や外山や矢部の反管理教育運動など、90年前後のドブネズミ系・第1波の諸運動の最大のイデオローグだった鹿島拾市のこと。近年ようやく『九月、東京の路上で』ころから・14年、『謀叛の児』河出書房新社・17年などの著作が出るようになった)だって、ドブネズミ系といえども“右翼排除”には全面的に賛成すると思う。

外山 鹿島君はもはやヘサヨに転向しちゃってるもん。……栗原裕一郎って人は、たしかにちゃんと注目すべきところに注目してるような発言も時々あるんだけどね。冒頭の長い発言の中で、79ページで94年のメキシコでの“サパティスタ蜂起”に言及してるところもそう。反グローバリズムの諸実践としては最初に世界的に注目された超デカい例なのに、やっぱり最近ではもう“シアトルデモ”から話を始める人が多いような気がするよ。毛利の『ストリートの思想』でも、「転換期としての1990年代」なんてサブタイトルのくせに、諸外国の運動についてはやっぱり99年のシアトルデモが起点で、サパティスタには触れられてないはずです(笑)。

藤村 89ページで、「毛利さんは、パンク、ニューウェーブのDIY精神を『ストリートの思想』の根っこに置いていますが、俺は、パンク、ニューウェーブというのがそれほど政治性を帯びたものだったとは思っていないんですよね。実際、政治的なうねりになることもなく、やはり商業主義に回収されていく」とはっきり云ってるのも偉いと思う。たいていの左翼文化人は没政治的な日本のパンクとかにムリヤリ政治性を見出したりしたがるじゃん。で、日本ロックについての一連の栗原発言を承けて北田暁大が、91ページで、「RCサクセションは清志郎が亡くなってから、すごく政治性を与えられたイメージがあります。僕はそういう文脈で聴いたことはないですね」と云ってて、これもそのとおりです。日本のロックにはまったく政治性なんかなくて、RCだって、むしろそもそも政治性なんかないバンドだったからこそ、88年の反原発運動と結びつくことができたわけでしょ。新左翼ノンセクト出自の従来の反原発運動を批判して88年の“反原発ニューウェーブ”が勃興してきた時に、清志郎は左翼でも何でもなかったからこそ、そこにまっすぐ乗ることができた。

外山 ただこの89ページから91ページまでの、栗原裕一郎による一連の“日本ロック史”に関しては、尾崎やRC、タイマーズまで出てくるのにブルーハーツについては一言の言及もないのは、ちょっとどうかと思う。それに「タイマーズの代表曲」として「デイ・ドリーム・ビリーバー」を挙げて、それが「実は反核的な歌詞というわけではな」いことをもって清志郎の“政治性”を否定する論拠とするのも違うだろう、と。「デイ・ドリーム・ビリーバー」はたしかに傑作ですけど、タイマーズの曲の中でほとんど唯一、歌詞が政治的でないもので、それはわざとシングル用にそういうのも1曲だけ作られたんであって、他は全部“政治的”なんだもん(笑)。「デイ・ドリーム・ビリーバー」は実際大ヒットしたから、「代表曲」と云えばそうなのかもしれないけどさ。

藤村 “ブルーハーツ”に着目しちゃうと、90年前後に実は政治的な運動の高揚が“あった”ということへの発見まで、もう1歩だもんね。だから絶対に、本能的に着目しない(笑)。

外山 惜しいところまでは行ってるんだ。80年代初頭には“ロック”なんてすっかり商業主義に回収されていたところに突然、“尾崎豊”が登場することには着目できてる。毛利が書く“ストリート”の音楽史には尾崎なんか登場しないもんね(笑)。しかも「メッセージソング、抵抗のフォークのリバイバルみたいな感じで登場し」た尾崎豊的なものが、「中村あゆみや渡辺美里」的な方向であっというまに商業的に回収されてしまうことにまで言及がある。

80年代後半のバンドブームにももちろん言及されてて、普通はイカ天がそれを牽引したかのような間違った歴史が語られることが多いんだけど、栗原裕一郎はちゃんと、そもそも「ホコ天や渋谷、新宿辺りのライブハウスで出てきていた動き」としてのバンドブームが先行していて、イカ天はそれを「吸収して増幅した」後発的な動きにすぎないことも分かってる。しかしなぜか一番重要なブルーハーツについてだけ言及がなくて、いきなり“RCの『カバーズ』とタイマーズ”の話になってしまう。ブルーハーツと、あと辻仁成のエコーズが抜けてるよね。80年代の政治的・メッセージソング的なロックの系譜を語る時にエコーズとブルーハーツを抜かしちゃダメですよ。「どくんご」の芝居と一緒で表層的には政治性ゼロだとはいえ、実は“たま”も抜かしちゃダメだし。

とはいえ、ほとんどの左派系・リベラル系の文化人がもっと徹底的にスルーしちゃうようなところを、栗原裕一郎はかなりちゃんと拾ってはいると思う。一般にはそっちの第一人者と見なされてるだろう毛利よりはるかに本当の歴史にカスってる(笑)。93ページでも、「『だめ連』が出てきたのは、湾岸戦争の直後ぐらいですか。で、オウムのサリン事件が起こる」って、この程度のことでホメなきゃいけないような状況がそもそもおかしいんだが、こういう正しい時系列の認識にもなかなか他ではお目にかかれませんよ。たいていはみんな、だめ連はオウム以後に出てきたもんだと思ってるでしょ。『現代思想』にドーンと出たのが97年、立て続けに本も出てブームになるのは99年以降だもんね。でもだめ連の“デビュー”は92年の反PKOデモで、91年の湾岸戦争の「直後ぐらい」というのはきわめて正確な認識です。これはビックリした。

それに続くオウム評価については、さすがの栗原裕一郎でさえも「オウム真理教事件は、政治的な問題というより、サブカルチャーとメディア、あるいは文化人の問題でしたよね。高学歴の理系がなぜあんなジャンクな宗教にハマるのかという問題はあったけど、多くの若者にはあんまり関係がなかった」って、例によってオウムが実は80年代後半の反管理教育運動や反原発運動、あるいは尾崎豊やブルーハーツと同時代の現象だということが分かってない無意味な認識を表明しちゃってますけど、そこらへんを分かってる“名のある知識人”なんてそもそもスガさんぐらいしかいませんから(笑)、ここはもう措いときましょう。

しかしさらにそれに続く後藤発言はやっぱり見逃してやることはできません。オウム事件について、「若者論として考えると、あれを境に『宝島30』が急に社会問題の論考を掲載するようになったことぐらいしか、大きな関係はないように思います」とか云ってる。おいおい、『終わりなき日常を生きろ』の話はどこ行ったんだ、と。あの本は宮台がオウム事件に触発されて書いた“若者論”でしょ。しかも“若者論”を含むその後の日本の言論状況に与えた影響たるや、悪影響ですけど(笑)、ほとんど1、2を争うぐらいのものですよ。第1章でも後藤自身がさんざん宮台の“若者論”について語り散らしてたはずじゃないか(笑)

藤村 80年代からの余韻で、90年代半ばまではオウムも含めて政治的な運動や言説にそれなりの存在感が残ってたからこそ、それらを最終的に葬り去るために『終わりなき日常を生きろ』が書かれたわけだもんね。

外山 80年代後半に高揚した一連の運動が90年の折り返し地点を過ぎて、急速にしぼんでもうすっかり壊滅しかけてたところに宮台が登場して、“敵”が弱ってるのをいいことに反革命的な言説をまき散らし始める。ほとんどもう存在しない敵を叩くことで流行文化人に成り上がったような奴です。革命勢力はすでに壊滅寸前だったのに、“革命とか求めてちゃダメです!”みたいなさ(笑)

藤村 ……さっきの話に戻すけど、毛利は、日本のインディーズ系のロックがある種の政治性を持ってて、それらが90年代以降の“ストリート”的な新しい政治運動の基盤になったかのように云うけど、そんな歴史観は実はインチキであることを栗原裕一郎はちゃんと云ってる。野間さんもかつては毛利みたいなことを云ってたけど、今や現場の活動家だし、そこらへんのウソには気づいてしまいつつあると思う。トランプ選挙の時に、日本のミュージシャンや音楽評論家なんかもさんざんいろんなことを云ってて、それを野間さんが、「外国の政治についてはあれこれ云うくせに、日本の政治については何も云おうとしない」ってものすごく苛立ってた。野間さんってやっぱり、ああいう人だけど……。

外山 “ああいう人”呼ばわり(笑)。

藤村 それでもそれなりの運動経験を積むと、日本のロックも政治性を持ってるなんて話はインチキだと気づくわけです。日本のロック・シーンなんて、しょせん“音楽に政治を持ち込むな!”みたいなバカな主張がそれなりに流通してしまう程度のものでしかない。もちろん個々には例外的な、数少ない突出したレベルの政治的なミュージシャンもいたでしょうけどね。

外山 毛利史観は、“音楽と政治”を語るにしても着目点がズレまくってるんだよ。ACF(アトミック・カフェ・フェスティバル)についてなんか一言も触れてないでしょ。保坂展人の反管理教育運動なんかとも連動してた“反核”のロック・イベントで、もちろん土井社会党とも関係が深いし、ハマショーとかBOØWYとかのメジャーどころも出演してた、かなり大きくて派手な動きだったはずです。尾崎が高いとこから飛び降りて骨折したまま最後まで歌いきるという“伝説”を作って、ブレイクするきっかけになったってのもACFでの話だし、辻仁成も、やがてエコーズで出演するけど当初は運営側のスタッフだったりする。毛利とかが言及する、一部のインテリ左翼とかヒネた連中が愛でてただけのマニアックな動きとは違って、大衆運動としてもそれなりに成功した重要な流れなのに、まったく言及されることがないんだ。

藤村 小熊英二も言及しないよね。たしか関係してたんでしょ?

外山 関係してたというか、小熊もACFのスタッフをやったのが活動歴の出発点のはずですよ(笑)

 

つづく

 

『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』を読む
(1)(2)(3)(4)(5)