選挙制度・民主主義を嘲笑するためには、むしろ“ただフザケている”ように見える必要がある


“ニセ選挙運動in都知事選”、現在、14日目の闘いが終了したところである。

毎日何時間も演説しているので、声もだいぶ嗄れてきた。べつにマジメにやる必要など一切ないのに、根がマジメなのでついついマジメにやってしまう結果である。

“演説”といっても本格的なそれではない。7月19日付の記事の末尾にあるセリフ、ほとんど一字一句そのまんまを延々と繰り返している。フルで喋っておよそ1分間ほどだと思う。

もともと昨年の福岡と大阪での“ニセ選挙運動”でほぼこのとおり完成していた“演説”だが、今回は私の“創作の秘密”というか、運動を面白くする“発想法”のようなものについて書いてみたい。

昨年春の福岡市議選(4月3日告示・同12日投開票)で初めてこの運動を展開するに際して、事前にあったのは「選挙期間中に“ニセ選挙カー”というか“選挙カーまがい”の街宣車が走ってたら笑えるかな?」という程度のことである。もちろん選挙制度・民主主義に対するマジメな怒りは前提で、選挙というものを徹底的に茶化し、おちょくり、愚弄し、嘲笑し、できれば蹂躙してやりたい、と普段から本気で考えていなければこういうアイデアは出ない。

街宣車にデカデカと自分の名前を大書することになるのは、仮に「“ニセ選挙カー”を作れ」と云われれば誰でもそうするだろう当たり前の発想にすぎない。姓・名のどちらかを平仮名にする、というのもごく常識的なパロディ・センスだろう。私はさらに「九州ファシスト党公認候補」の文字を入れた。“何の候補なのか?”を省いてあるところがミソである。

「福岡市議会議員候補」と書くと公選法違反とかになってしまうのかどうかまでは調べていない。ならないような気もする。例えば私が実際に都知事選に立候補した2007年、告示日の立候補受付におそらく在日朝鮮人だろう人がやって来て、たぶん外国人参政権を要求する活動家なんだろうが、「受理しろ」「できない」で選管の役人とひとしきり揉めていた。もちろん立候補を受理してもらえなかった彼が仮に「在日党公認・東京都知事候補」の肩書で都知事選期間中に“ニセ選挙運動”を展開したとしても、言論の自由、政治的活動の自由として容認されるべきであるように私には思える。そのアナロジーで、Fラン国家・日本のバカ高い供託金制度への抗議の意味を込めて、「福岡市議会議員候補」を称して“無届立候補”することも違法とされてはならないのではないか、と。

とはいえ、ここはあえて「だから何の“候補”なんだよ!」的なほうが単純にオカしいような気がして、「福岡市議会議員候補」とするのはやめた。

で、一番大事なのは何を主張するかである。

まさに“ニセ選挙運動”として、「外山恒一に清き一票を」と面白くも何ともない街宣をして、ひたすら紛らわしい、純粋に選挙戦を混乱させる方向も考えた。だがそれではあまりにも無意味すぎるというか、何よりやっててあまり楽しそうではなく、10日間近く延々とモチベーションを維持できないように思えた。やはり“主張”はマジメに打ち出さなければいけない。そうなると当然、選挙批判・民主主義批判を直球で展開するしかない。自分の名前を大書するのは“ニセ選挙カー”の前後の看板だけにして、側面はそれぞれ「選挙反対! 民主主義打倒!!」「めざせ投票率ゼロ%」となった。いずれもファシストとしての本気の主張だ。必然的に、“いかにも選挙カーふう”のソフトな口調で「選挙ボイコット」を呼びかける、という基本コンセプトが固まる。実際やってみて楽しいかどうかは実際やってみなきゃ分からないが、とりあえず笑えるコンセプトではある。

それぐらいの構想で、実際にやり始めてみた。

新しいことを始める時はいつでもそうなのだが、さすがの私もいきなりすぐは上手くやれない。“ニセ選挙カー”で福岡の街に繰り出し、いざマイクを握っても、まずは“いかにも選挙カーふう”を意識して「何々通りをご通行中の皆様。外山、外山恒一でございます」ととりあえず云ってみて、しかしその後が続かない。“主張”のほうを意識して「投票には行かないでください」とか云ってみるが、“いかにも選挙カーふう”のコンセプトと調和する“云い方”がなかなかできない。

さっそく気力が折れそうになりながら、それでもとにかく続けるのである。最も留意すべきは、通行人に“呼びかける”ことだ。“独り言”になるのが一番マズい。必ずしも字義どおり“呼びかけ”なくてもいいのだが、説得するのでも笑わせるのでもギョッとさせるのでもいいから、常に通行人を意識すること、通行人の注意を惹きつけようという意志を放棄しないことだ。

1、2時間それをやり続けていると、たまに「今のグッジョブ!」なフレーズがふと口をついて出る。いろんなことを云いながら、一度出た「グッジョブ!」フレーズを決めゼリフ的に時々挟む。そのうちまた別の「グッジョブ!」フレーズがつい飛び出す。それも決めゼリフのリストに加える。やがてそれらの決めゼリフだけで、全部云おうとすると1分近くかかるぐらいの量になる。

信号待ちで、ちょうど信号が赤になった時に停まって、青になって発進するまでの時間がちょうど1分ほどである。そういう時にそれらを全部云ってやろうと頑張ってみる。“話の流れ”というものがあるから、20コぐらい貯まったフレーズを云う“順番”が大切になる。信号で停まるたびにいろいろ試しているうちに、無理のない自然な“順番”がだんだん発見されてくる。初日の夕方にはベストの“順番”がほぼ固まっていた。

もともと単発のフレーズの集積だから、全部云い終わらないうちに信号が青に変わってもそこで切り上げることができる。7月19日付の記事にある“演説全文”をそのつもりで読んでほしい。たしかにどこで終わっても不自然でないようにできているはずである。

実は最も難しいのは、停まっている時ではなく走行中に連呼するフレーズである。ゆっくり走っていても、通行人が聞き取れるのはほんの数秒のフレーズだけだろう。そこに自分の名前を入れるのは“ニセ選挙運動”のコンセプトからして絶対条件だが、プラス何か“一言二言”がほしい。もちろんそれはこちらの“主張”のエッセンスのようなフレーズでなくてはならない。“原発推進派ほめご…”の場合なら、「こんな国、滅ぼしましょう原発で。原発推進の○○サンを応援しています」がそれに当たる。最終的には“ニセ選挙運動”の場合には「選挙反対。めざせ投票率ゼロ%。外山、外山恒一です」に固まった。

こうして、私は“ニセ選挙カー”を走らせている間、走行中も、信号待ちでも、延々と喋り続け、その全体からすればごくごく一瞬の時間それを目撃した通行人たちを笑わせ、ギョッとさせ、唖然とさせ続けることが可能になる。

ただフザケているように見えて、私のスタイルは実はこのような試行錯誤、苦闘の産物なのである。いや、選挙制度・民主主義を嘲笑するためには、むしろ“ただフザケている”ように見える必要がある。そう見せるために私は試行錯誤を繰り返しているとも云える。「仕事じゃねえんだ、マジメにやれ」である。