徹底的に劣悪な早大生諸君の低能学生ぶりを批判する -早大祭 桜井誠登壇「泡沫候補」イベント中止事件について


早稲田大学の学園祭に(元)在特会の桜井誠氏が呼ばれ、当然ながらいわゆる「カウンター」、反ヘイトスピーチの運動を担ってきた人々から抗議が殺到し、中止になるという事件が起きた。

桜井氏を呼ぼうとしたのは、もちろん(?)早大祭の実行委員会や早大当局などではなく、早大祭に参加しているたくさんの学内サークルの1つである。「人物研究会」なるサークルで、どうやら“公認サークル”であるらしい。とくに政治的なサークルではなく、むしろノンポリの集団であるようだ。

今回の早大祭での同サークルの企画は「裏・東京都知事選」と題され、7月の都知事選に出馬した中から5名のいわゆる“泡沫候補”を呼んでの討論会のようなイベントを開催しようとしていたのだと思われる。他の4名からは圧倒的に抜きん出て10万票以上を獲得した桜井氏も、学生たちに“泡沫候補”扱いで同じ枠にくくられてしまったということだろう。どうであれ、徹頭徹尾“オフザケ”のイベントで、騒動になってから「人物研究会」のtwitterアカウントで表明された「メディアで取り上げられることの少ない主要3候補以外の方々がどのような経緯で都知事選に参加されたのか、言論の自由とはどういうことなのか、そういったテーマに関して幅広い議論の場となればと考えている」などの見解は、どうせ単なるキレイゴトであり、本音は“デンパ系の奇人変人たちを壇上に並べ、ワケ分かんないことを云わせて内心嘲笑する”という、ココロザシの低いイベントであったろうことは想像に難くない。

もちろん「だから大目に見てやれ」というのではない。私は、反ヘイトスピーチ活動家の野間易通氏やその単なるエピゴーネンたちが、アタマかセンスか人格かあるいはそのすべてが悪いために私に貼りつけたがる“サブカルがどうこう”のレッテルに反し、この種の“冷笑主義的サブカル”路線には野間氏以上に批判的だ。

「人物研究会」の早大生諸君は徹底的に劣悪である。

まず第1に、桜井氏が“泡沫候補”であるかどうかは措いといて、当選の可能性が万に一つもないにも関わらず選挙に出てるという意味での“泡沫候補”にも2種類あることが、おそらくこの低能学生どもには分かっていない。いわゆる“電波系”、イッちゃってる本物の奇人変人の類(“オフザケ立候補”でしかない連中もこっちに含むことにする)と、単に既存の議会政治に包摂されていないだけで議会外のごくオーソドックスな左右の活動家であるようなタイプとである。両者をごっちゃにしてしまうのは知性の欠如を表す以外ではなく、もちろん桜井氏は仮に“泡沫候補”であるとしても後者のタイプであり、前者のタイプの候補者たちと同席させるようなイベントはそもそもイベントとして成立しえない(話題が拡散し、さらには場が荒れるだけである。もちろん少しも“面白くない”方向で)。さらに云えば、私は先日の都知事選のキテレツ候補たちの政見放送など、どれも1ミリも面白くないことなど見なくても分かるし、だから1つも見ていないが、登壇者に名を連ねられている高橋尚吾氏が(「左右の」活動家ではないにせよ)べつに奇人変人の類ではなく単に無名の(かつ凡庸な)リベラルな青年であるにすぎなかろうことも、私ぐらいになると選挙公報をチラッと一瞥しただけで分かる。桜井氏や高橋氏と、他の電波系やオフザケ系の連中とを並べてはいけないのである。

(云うまでもないことだが私も“後者のタイプの泡沫候補”の1人である。だから“前者のタイプの泡沫候補”研究の第一人者である大川興業の大川豊総裁は、さすがというか当たり前というか、私のことにはまず滅多に言及しないし、少なくとも面白がっていない。ムズカシイことなど分からなくとも、常識的な感覚があればその程度の“見分け”はつくということであり、早稲田の低能学生どもにはそれすら欠けているということである。ちなみに私は仮に今回のイベントへの出演依頼があったとしても、バカ学生どもと関わり合いになりたくないので断乎として拒否したはずである)

しかも第2に、世間一般の基準で云っても桜井氏は“泡沫候補”ではない。ここで世間一般の基準というのはマスコミの基準のことである。都知事選では、10万票以上の得票でマスコミは“泡沫候補”扱いをやめるらしいことは、ドクター中松氏の例で判明している。私が都知事選に出た2007年、中松氏はほとんどのマスコミで“主要候補”扱いされていた。その前回の都知事選で約13万票を獲得していたからである。例外的に“泡沫候補”扱いを続けた朝日新聞は、それはそれで1つの良識だと思うが、朝日新聞を除くマスコミは次に桜井氏が何らかの選挙に出た際には“主要候補”扱いせざるを得ないはずだし、もしそうしなければ端的に不当である。そして実際には“泡沫候補”扱いが妥当な中松氏と違って、桜井氏の場合は“主要候補”扱いされるようになればもっと得票を伸ばし、いよいよ誰の目にも“泡沫候補”ではなくなるだろう。ごく単純に考えても、都知事選で10万票“も”獲得した桜井氏を、それに比べてお話にならんぐらいしか得票できなかった人たちと並べるのはバランス感覚がなさすぎる。

そしてもちろん、「人物研究会」の早大生諸君が徹底的に劣悪である最大の理由は、桜井氏を学祭に呼ぼうとすれば今回のような騒ぎになって中止に追い込まれるに決まっていることを予想できていない点である。少しは予想して、事前の告知を避けていたのかもしれないが(イベントの存在は桜井氏が「早大祭に呼ばれました!」的なツイートをしたことで発覚し、一挙に問題化した)、ナメすぎである。仮に桜井氏の登壇は事前に一切告知せず、当日のサプライズ・ゲスト的な扱いにしていたとしても、おそらくまだイベントをやっている最中に(どうせ誰かが「桜井来とるwww」とか実況ツイートして)反ヘイト勢に察知され、急遽押しかけられて、イベントは(ちっとも“面白く”などない、単にサツバツとした)大混乱に陥れられるか、運良く(?)反ヘイト勢がイベントに間に合わなくとも、今回のように事前に阻止されるのではなく実際に決行できてしまった場合、事後におこなわれたであろう徹底糾弾に果たして「人物研究会」の何ら覚悟もなさそうな軟弱学生どもが耐えられたかどうか疑問である。

私は、べつに桜井氏を大学に呼んだっていいと思っている。しかし呼ぶならマジメに呼ぶべきだ。桜井氏の主張に賛同して呼ぶのであれ、批判的に対決するつもりで呼ぶのであれ、容易に予想できる反ヘイト勢の阻止行動にどのように対処するのか、方針を決めておかなければならない。

だがそんなことを云っても仕方がないこともよく分かっている。「人物研究会」の低能学生どもは、そういうごく当たり前のことをやる前提となる最低限のマジメさも持ち合わせていない、単なる面白がりの軽薄な連中であるに決まっているからである。面白がりのくせにやることなすことせめて1ミリたりとも面白くないのだからますますウンザリする。

したがって本当に問題なのは「人物研究会」の低能学生どもではなく、他の早大生たちである。というか、早大生の多くが結局はこの「人物研究会」の連中と同程度に低能であるに違いないことである。

フツー、低能学生どもが低能にふさわしいこんなフザケきった企画を通そうとすれば、どこかの段階で問題になるだろ!?

繰り返すがべつに桜井氏を呼ぶこと自体はかまわない。桜井氏がレイシストであり、桜井氏の言動がヘイトスピーチそのものであるという認識に、私も常識人なので異論はない。しかしレイシストだろうが犯罪者だろうが大学に呼んではならないということはない。批判的に迎え撃ってもいいんだし、あるいはただ静かに話に耳を傾け、「どうしてそんなふうに考えるんですか?」と紳士的に問い続けて、ヘイト的な言動に多くの人が惹きつけられている現状について考える参考にするのでもかまわないと思う。桜井氏に賛同して呼ぶのだって、最近の若者は“右傾化”してて当たり前なんだから充分ありうるし、それでもいい。大学なんだからリベラルな学生や教員も一定いるだろうし、桜井氏を呼んだ以上は責任を持ってリベラル派と対峙し、桜井氏を守りきればいいだけの話である。ただ、桜井氏のような人物を“軽いノリ”で呼んでしまうことだけは、絶対にやってはいけないのだ。

それは何より桜井氏に対しても失礼であり、「桜井はレイシストだから失礼なことをしてやろう」という意図もなく失礼なことをするのは、知性やセンス以前に人格や品性を疑われても仕方がない。もちろん桜井氏の言動に真剣に怒っている人たちに対しても失礼であり、殴られても文句は云えない。

同時にもちろん私はカウンター勢の「レイシストを大学に呼ぶな」的な抗議運動にも全面的には賛同できない。これまでに述べてきたとおり、誰を呼ぼうがかまわないと私は考えており、ただ「呼ぶならマジメに呼べ」ということである。

とはいえカウンター勢も、以前詳細に論じたとおり、劣化が著しいので、「レイシストを大学に呼ぶな」以上のムズカシイことは考えられなくなっているだろうこともよく承知している。カウンター勢の戦術の拙劣さを云い募ることももはや虚しい。

私が今回の事件から読み取るのはただただ“学生の劣化”である。

そりゃあ今回の主催サークルのごとき低能学生どもはいつの時代にもいくらでもいる。しかし今回のような企画が学園祭の準備過程でとくに問題視されることもなく、すんなり通ってしまうなんてことはいつの時代にもありうることではない。健全な時代なら、こういう愚劣な企画を出す学生はいても、企画は通らない。

企画の内容が批判されて潰されるのが当たり前だが、せめて「こんな企画を通したら学外から抗議が殺到する」という事なかれ主義で潰されることさえなかったことに驚く。学祭に桜井氏を呼ぼうとしているサークルがある、という情報が「人物研究会」の外部に対して厳重に秘匿されていたわけでもなさそうである。早大祭実行委員の学生たちは知っていただろうし、「人物研究会」のメンバーたちと交友のある学生たちも知っていただろう。それでも(単純に「レイシストを呼ぶな」であれ、正しく「呼ぶならマジメに呼べ」であれ)騒ぎ出す学生がおらず、「抗議が殺到するからやめろ」という社会情勢の認識だけ正しい事なかれ主義者もおらず、企画はすんなり通ってしまったのである。

しかも、学外のカウンター勢が騒ぎ出して以降も、学内でこれに呼応する学生の動きはどうもなさそうである。騒いでいるのは学外の“サヨク”だけ、という構図になってしまいつつあるし、実際そのとおりである。多くの早大生は、学外から圧力をかけて“言論弾圧”をしたカウンター勢への反感を強めているだろうことは容易に推測できる。

桜井氏にはべつに早大でどうしても喋りたい動機などなく、おそらく企画が公然化した時点でカウンター勢が騒ぎだして中止に追い込まれるだろうことも予測していただろうし、「実現すればラッキー」ぐらいのつもりでいたかもしれない。あるいはカウンター勢が騒ぎ出すことを期待して、あえて自ら「早大に呼ばれることになりました!」とツイートした可能性すらある。企画はまんまと潰され、一般の早大生たちはカウンター勢への反発を強めて、もともと早大での講演などやってもやらなくてもどっちでもよかった桜井氏だけが得をする結果となったように私には見える。

 

じゃあどうしろと云うのか、とカウンター勢の諸君に訊かれても困る。

学外から抗議が殺到する前に自ら騒ぎ出さない学生たちの劣化ぶりが最大の問題であり、これをどうにかしないかぎり展望などない(だから私がこの十数年、継続的に本気で取り組んでいるテーマは“ラジカルな学生運動の復興”のみである)。せいぜい云えるのは、カウンター勢は自分たちが決して勝ってはおらず、むしろどんどん敗色を濃くしていることを思い知るべきだ、ということぐらいである。

反ヘイト法を通そうが、どこかのポンコツ私大の愚劣な学祭企画を1コ潰そうが、学生をはじめとする若者たちの平均的なメンタリティがどんどんネトウヨ化していく趨勢を覆せず、むしろ闘えば闘うほどその趨勢を加速させてしまっているという現実を直視すべきである(だから闘うなと云っているのではもちろんない。闘い方をよっぽど工夫しないと逆効果をしかもたらさないと云っているだけだ)。各地を飲み歩いて人民大衆に日々接している私の印象では、政治向きの話題に乗ってくる(しかし政治的な活動に参加しているわけではないごくフツーの)若者が10人いたとして、ネトウヨが9、リベサヨが1というのが現状である(首都圏や京都周辺の左派活動家は、左派のタコツボ内の人間関係に自足していられるので、こういう厳しい現実を認識できていないのではないかと感じさせられることが多々ある)。

 

相対的に健全な問題意識を持っている学生は早大にも少しはいるだろう。しかし80年代の“管理教育”全盛期以上に同調圧力の強まった現在の学校空間で長年飼いならされて、そのような学生たちも、圧倒的大多数の無関心の中で問題提起することを過剰に恐れているだけなのかもしれない。

が、今回のような愚劣な企画が企画段階で潰されないような大学なら、もはや存在価値などゼロである。私は私学助成金の全額カットにも、文系学部の全廃にも大いに賛成である。