なぜロックBARなのか? ・・・各地のロックBARをコツコツと開拓して回っているわけ (外山恒一)


以前書いた“飲み歩き”活動の話の続きを書こう。

2012年夏、福岡の拠点にこもって各地から人が訪ねてくるのを待つというそれまでの方針に限界を感じて、こっちからあちこち出張っていこうと決意し、しかし何をやるにもつい極端に走ってしまう私は、いきなり“全国ツアー”と称して、「何月何日何時、何々駅改札付近集合」とtwitterなどで呼びかけ、集まった面々で最寄りの居酒屋に入るという方式で、遠くは札幌まで、全国10数都市で“外山恒一を囲んで飲む会”を開催してまわった。

ところが、東京や京都・大阪、あるいはもともと現地に協力者がいて事前情宣をちゃんとやってもらえた札幌などを除いては、期待したほど人数が集まらず、フタを開けてみると1人しか来ないなんて街もあって、ツアー中盤から虚しさを感じ始めた。

その一方で、ワケあって、富山市で社会派っぽい人たちが集まってそうな喫茶店や飲み屋を探索してそれなりの成果を得るという体験をし、それに前後して新潟市では“飲む会”に参加したうちの1人に「もう1軒行きましょうよ」と“大衆酒場ソクラテス”などという店名からしてキテる怪しい飲み屋に連行されチョー面白かったという出来事があった。

なるほど、地方でも県庁所在地やそれに準ずる規模の街にならどこだって、その地その地の“少数派の諸君”がたまり場にしてるような飲み屋や喫茶店の1つや2つはありそうだ。twitterで呼びかけたってもともと私の言動を日常的にチェックしてる人にしか情報が浸透しないし、地方へ行けば行くほどそういう人は少ないから、せっかく車で全国を駆け回ってみても労多くして実り少ない結果に終わってしまう。“飲む会”の成果には期待せず、むしろ“飲む会”開催日程の合間に富山市でやったような“探索”をして、各地にきっと存在するに違いない“大衆酒場ソクラテス”的なスポットを訪ね歩くことで、今後の活動のための全国的なネットワークを形成するという当初のツアー目的をかなえよう、と路線変更した。

……という話を前回書いた。

 

当時のtwitterを見ると、いよいよ意識的にその方向でやり始めたのは、富山・新潟のあと札幌まで行った帰り、さらに仙台での“飲む会”にも2、3人しか集まらなかったのを経て以降であるようだ。仙台と茨城県水戸市での“飲む会”の合間に長野県松本市へと足をのばし、「松本ならココが思想的・文化的な拠点という情報を求む」などとtwitterで情報提供を呼びかけたりもしている。

が、twitterなんぞアテにならない。ネット上にはしょせん“消費者”しかいないんであって、twitterでの情報提供などあれば儲けもの程度に考えて、実際は自分で探すしかない。

この“飲み歩き”最初期はどうやって行く店を探してたんだっけか、2012年7月18日のツイートに、「松本市の文化拠点っぽい飲み屋等を一昨日到着して以来物色し続け」、「当りをつけてみた“本と映画と音楽の”店」にまずは飛び込みで入ってみて、マスターと話し込み、「なんか聞き込みの尋問みたいにして『他にココにも行くべき』店もたくさん教わってしまった。で、今からその情報を頼りに2軒目へ」などとある。えーと……あ、これはたしか単に運がよかったのだ。私が松本入りして街を探索しているというツイートをリツイートしてくれた中に、プロフィールに「“本と映画と音楽の”店」をやっていると記載のある人がいることに気づいて、いろいろ探してはみたが結局そこに行くのが一番よさそうだ、ってことになったんだったような気がする。

だからたぶんこの最初の店は、私がイチから自己紹介しなければならないような“完全アウェー”ではなかったんだと思う。訪ねてみるとマスターは松本のアングラ&サブカルチャー・シーンの生き字引のような人で、この20年ほどの変遷をレクチャーされ、その上で「他にもこの店に行ってはどうか」といくつか勧めてくれた。

勧められた1つが、これは名前を出しても大丈夫だと思うが、「瓦レコード」という飲み屋のようなイベント・スペースのようなところで、訪ねてみるとちょうど常連客の誕生パーティか何かやってて20人ぐらいの若者たちで盛り上がっていた。店主の古川陽介君は、2004年に信州大学在学中に松本市郊外の民家を改装して「瓦レコード」を立ち上げたらしい。頻繁に音楽イベントなどを続けてきたようで、やがて2009年にかなり大規模で本格的な野外フェス「りんご音楽祭」を企画、“大コケ”したというが、メゲずに例年開催し続けて、現在では「りんご音楽祭」は松本市の一大音楽イベントに成長している。

古川君は私のことも知っており、イベント中に突然訪ねてきたにも関わらず歓迎され、なんとこの翌2013年には私も「りんご音楽祭」に“ミュージシャン”として呼ばれることになった。さすが古川君は松本市内で若い“少数派の諸君”がタムロしてる飲み屋などを他にもたくさん知っていて、うち何軒かを訪ね、私は松本でのネットワークを一気に広げることができた。

 

もちろんこの松本でのケースは最初からいきなり運がよかっただけで、その後そうそう毎回こう上手くはいかない。が、いよいよ本格的に“飲み歩き”を意識的に実践し始めるや上々の結果に、「この路線はイケる!」と確信した。

松本市の次は長野市へ行った。まず訪ねたのは「瓦レコード」で教えてもらったライブハウス系の飲み屋だったが、そこに偶然、つい最近「だめ連」を遅まきながら知って、その流れで雨宮処凛を知り、さらに松本哉を知って、2007年の例の都知事選の直後に私と松本哉を生放送に呼んで3時間ぐらい喋らせた勇敢さを評価されてその年のギャラクシー賞まで獲ってしまったTBSの深夜ラジオ番組「Life」の当該回をアーカイブで聴いて私のことも知ったばかりだという常連客らしき人がいた。これまた幸運である。

もともと私は長野にはごく薄い縁があって、1999年、したがって都知事選よりずっと前、ファシズム転向よりも“2年間の獄中生活”よりもずっと前に、しかし現在に至る私の“反選挙”パフォーマンスの最初の実践である「投票率ダウン・キャンペーン」というのを福岡県知事選に便乗して展開し、それを面白がって唯一“報道”したのが、なぜか地元福岡ではなく長野県の地方紙「信濃毎日新聞」だったのである。その時の記者氏の名前を記憶の底からどうにか引っぱり出して、問い合わせてみると長野市の本社にいることが分かったので昼間のうちに訪ね、10年以上ぶりに再会した。

近況報告のついでというか、実際はそっちがメインの目的というか、各地で“カウンターカルチャーの拠点”みたいになってる飲み屋とか探して訪ねているので何か知ってたら教えてほしいと云うと、「まるでこっちが取材されてるみたいだ」と笑われたが、「あんまり思い当たらないけど」と1軒だけ名前が挙がったのでそこも訪ねてみた。「かつては芸能界にいた」といういかにも胡散臭いマスターとの会話は最初のうちはチグハグで、これはハズレかなと諦めかけていたところに、そういえばと店先にあった「飲酒&喫煙、高額納税者の店」という貼り紙を「面白いですね」と私が話題にしたのを機に、「最近の喫煙者迫害の風潮は許せん!」という話でガゼン一気に盛り上がって意気投合し、結局その店が翌年の“外山恒一を囲んで飲む会in長野”の会場になった。

松本市に続いて長野市でも“飲み歩き”はまたもや大成功したわけだ。

 

その後は水戸、静岡、名古屋……と過去にもあまり縁がなく、知り合いもほとんどいないし毎回そう幸運を期待できそうもないし、何か方法論を確立しなければと模索しながらの“飲み歩き”となる。

しかし私は外山恒一なので、すぐに何か思いついてしまう。

私の親しい友人の1人に、一般的な知名度はたぶんあまりないが、通好みの、いわゆる“ミュージシャンズ・ミュージシャン”(ミュージシャンの間で評価の高いミュージシャン)的な、少数ながら熱烈なファンを全国各地に持っている、アコースティック・ギター弾き語りのY君というのがいる。福岡でのライブに何度か足を運んでみてもそうだったように、全国各地でおこなわれるY君のライブの会場の多くは、小さな飲み屋であるらしい。

Y君はとくに“社会派ミュージシャン”というわけでもないが、私と仲良くなってしまうぐらいだし、Y君のファンにも、必ずしも政治的な意味ではないにしても“少数派の諸君”が多そうである。Y君のライブを主催する飲み屋のマスターも、そういう人である可能性は高いし、何より初めての店を訪ねる時に「Y君の友人です」と云えるのは話が早い。

試しにY君のサイトを見てみると、過去10年ぐらいのライブ履歴を辿ることができた。が、Y君が行ってない地域もかなりある。もう1人ぐらい誰かいないか……。やがて、個人的に親しいわけではないが、やはりY君同様、“知る人ぞ知る”通好みの全国区ミュージシャンで、個人的に親しい人が福岡でのライブ会場の確保や事前情宣を引き受けている関係で、私も当人たちと面識ぐらいはあるアコースティック・デュオの存在を思い出した。そのサイトも見てみたら、やはり過去10年以上に及ぶ全国各地でのライブ履歴が出てきて、同じく会場には相当数の飲み屋が含まれている。これでY君が行ってない地域もかなりカバーできる。

 

でまあ、静岡あたりからはY君やそのデュオの“史跡めぐり”的な飲み歩きスタイルをまずは試すことになった。「右も左も分からない土地で、どこへ行けばいいのかよく分からず、Y君が以前ライブをやった店があると知って、まずは訪ねてきました」と切り出し、自己紹介がてら日々の怪しげな活動について説明して、それなりに面白がってもらえれば、「私みたいなのがいきなり行って面白がってくれるような人がやってる飲み屋って、この街に他にもありますか?」と訊く。たいてい1、2軒は名前が挙がる。もちろんすぐにそれらをハシゴして、「何々という店で、ぜひココに行きなさいと云われて来ました」とまたイチから自己紹介を始める。もちろんさらに「他にオススメの店」も教えてもらう。

“わらしべ長者”的にどんどん深みにハマり、夜7時頃から飲み歩き始めて深夜1時2時には5、6軒目とかで「きっとココがこの街の最ディープ・スポットに違いない」という飲み屋に行き着いてしまうこともある。

 

とくに地方都市で知り合う中には、「ウチは本当に田舎で、ディープな話が通じる相手もいないし、面白い場所もありませんよ」的なことを云う人がよくいる。が、探し方が足りないか、探し方が悪いだけである。私なんかもはやスキルアップしすぎて、人口5万人ぐらいの街ならまずたいていは何かしらヘンな飲み屋の1つ2つは見つけることができるようになっている。

最近はもう、Y君やとくにもう1つのデュオのライブ履歴には、なんか彼らの営業妨害をしてるような気もしてきて、あまり頼らない。

一般的な手順を云うと、まずネットで「何々市、ロックBAR」とかで検索して、大きな街ならそりゃ何軒かはヒットするから、今度はそのヒットした店名で検索して、マスターのブログとか見つけたらいちいち読んで、ロックBARといってもそりゃピンキリで単にロックをBGMとして流してるだけの店もあるし、吟味して、なるべく面白そうなマスターのいる1、2軒に絞る。その最初の1、2軒で自己紹介の“プレゼン”が上手くいけば、例によって“わらしべ長者”方式で、教えてもらった店をハシゴする。

 

なぜロックBARなのか?

私としては本来は私の活動に興味を持ってくれそうな人が集まってそうな場所を探し求めているわけで、例えば「何々市、反体制派の拠点」で検索して何軒もヒットするんならそうするが、そんなもんヒットするわけない。あるいはギリギリ80年代いっぱいなら、各県に1つ2つぐらいずつの主要大学にはノンセクトの学生運動がたいてい細々とであれ持続されており、飲み屋とかではなくそういう界隈を訪ねればいいんだろうが、現在では地方の学生運動はほぼ死滅している。

それでも3・11以降はたいていの地方都市にも少しは反原発派が顕在化してる(首都圏・関西圏以外ではどこでも本当にごく小規模で、反原発運動なんて実は少しも盛り上がりなどしなかったことが、地方に身を置いていれば分かる)が、なにせ私は今やファシストである。フツーの反原発派とはなかなか意気投合できない。もちろんフツーの右派系の人々とも話は合わない。左右の政治的な異端派がどこにいるのか、いくら私でも見知らぬ土地に行っていきなりは探し出せない。

政治的志向の一致で私に賛同してくれる人を探すのは困難を極めるが、センスというか生き方というか、要するに“ロック・スピリット”的なものの表現として私の活動を理解し、したがって“マック何とか”なんぞを面白がる手合いとは違ってそれなりに正しく面白がってくれる人を探すのは、“ロックBARめぐり”によって可能なのではないかと考えたわけだ。実際、ロック色の濃い店を自分で出しちゃうほど“ロック的なもの”に思い入れてる人は、たいていの場合は反体制的な志向を持ってもいるし、「面白い=サブカル=不真面目」と決めつける左右の“純粋まっすぐ君”どもとも違って、“面白い”ことを素直に面白がって肯定的に評価してくれる。そもそも私の活動の過激さと面白さは、かつての忌野清志郎のタイマーズのそれと同質のものなんだし。

「劇団どくんご」が88年に初めて全国ツアーを計画するに際して、各地で公演を支援してくれそうな人をまず各地に訪ねて回る過程があり、もちろん「どくんご」は“演劇”をやるつもりなんだが、じゃあ各地のフツーの演劇関係者たちが「どくんご」の独特の志向を理解するかといえばそんなことはなく、結局たいていは当時の各地の反原発派を訪ねることになった、というエピソードを思い出す。演劇の異端派である「どくんご」は演劇シーンとは違う政治的なシーンに活路を求め、政治の異端派である私は“ロック”などの非政治的な文化方面に活路を求めざるをえない。

もちろん必ずしも“ロック”でなくともかまわないのである。「何々市、前衛芸術」とかで飲み屋や喫茶店が何軒もヒットするんならそうする。しかし“前衛芸術BAR”とか“アングラ演劇BAR”とか、日本中を探せば1軒ぐらいはあるかもしれないが、そこらへんにはない。必ずしも“前衛”とか“アングラ”とかでなくとも、単に“アートBAR”も“演劇BAR”もそうそうない。“映画BAR”もあんまりなさそうだ。

となると私には“ロックBAR”ぐらいしか思いつかず、実際コツコツ各地のロックBARを開拓して回っているわけである。

 

“フォークBAR”もロックBARほどではないが各地に結構ある。が、それは危険な賭けである。陽水&拓郎ぐらいならまだしも、松山千春とかブッチー(“大衆の阿片”)とか、あるいはハマショーとかを愛聴してるマスターだった場合には、こちとら話を合わせたくもない。それにロックBARと比べてフォークBARは、マスターも常連客も年齢層が2回りぐらい高いだろう。

“ヒップホップBAR”をもし見つけたら行くようにしている。年齢層も若いし、“反体制色”はロックBAR以上に確実だからである。

“レゲエBAR”に行くことも多い。私自身はレゲエはあまり好きなジャンルではないし、ボブ・マーリーとせいぜいジミー・クリフぐらいしか知らず、しかも私はヒッピー的な志向にもかなり否定的なんだが、とりあえず“反原発”で意気投合できることは確実だからである。それにどういうわけかレゲエBARはロックBAR並みにかなりあちこち、小さな街にもよくある(赤・黄・緑の“ラスタカラー”の看板や外装が、街を散策してるとすぐ目に入って見つけやすくもある)。

“ジャズBAR”もロックBARやレゲエBARと同じかそれ以上にあちこちにあるが、よっぽど店探しに窮した時でないと足が向かない。やはり年齢層が高そうだというのもあるが、それ以上に私がジャズをまったく知らないので、マスターとの“とりあえずの話題”に困る。そうでなければ、ジャズBARの常連客はインテリ率も高そうだし(あくまでイメージです)、残念なことだ。

音楽系とはまた別だが、ごく稀には“オタクBAR”に行くこともある。これまた最近は大きな街にならたいていある。たまに公言してるとおり、“反オタク”は私と野間易通氏との今や数少ない一致点だし、したがってマンガやアニメには基本教養も興味も欠けているにも関わらず、困ったことにオタク系の人たちの側では私は異様に知名度が高い。初めて行ったロックBARのマスターは私を知らないことのほうが多いが、オタクBARのマスターはまず知っていて、“有名人が来た!”と大いに歓迎されるし、私のビラなんかも喜んで店に置いてくれる。それに実際に話してみると、まあ毎日カウンターに立って接客してるんだから当然かもしれないが、社交的だし話も面白いし、意外と(失礼!)オタク系以外の幅広い文化ジャンルに通じているマスターも多い。前回も書いたとおり、私の熱心なファンには社交性に難のある人が一定数おり、だから「外山さんが書いてたので知って来ました」と訪ねられて店に迷惑がかかるのを警戒して、私は飲み歩いた店の具体的な名前をあまり出さないようにしているのだが、オタクBARのマスターならコミュ障な客にも慣れてるだろうし(あくまでイメージです)、コミュ障を自覚している人はまずオタクBARに通い詰めて社交の訓練をしてみるのもいいかもしれない。

 

先述のY君や某デュオの“史跡めぐり”方式を各自、応用してみることもオススメする。

なんかそういう、各地の飲み屋をライブで回っているようなミュージシャンで、自分も好きだしそのミュージシャンを好きな人となら話も合いそうだ、という名前の1つや2つは思いつくのではないか? おそるおそる1人だけ具体的な名前を挙げると、例えば日本の初期パンク・ムーブメントを担った代表的な1人である、元「スターリン」の遠藤ミチロウ氏である。少なくともこの10年以上、ミチロウ氏はアコースティック・ギターでの弾き語りというスタイルで全国を回っている。飲み屋が会場であることも多いようだ。私も時々、「何々市、遠藤ミチロウ」で検索して、過去にライブ会場となった店に行ってみることがある。そりゃあ遠藤ミチロウ氏を自分の店に呼ぶようなマスターとは、私の場合は話が合うわけだが、それぞれ工夫して、「遠藤ミチロウ」のところに違うミュージシャンの名前を代入して検索すればいい。

 

最後に、コレを思いついた時には我ながら「天才だ!」と思った検索ワードについて書こう。

「詩の朗読」である。「ポエトリー・リーディング」とかでもいい。

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産
私はべつにポエトリー・リーディングにそれほど関心も造詣もあるわけではないが、「何々市、詩の朗読」で検索して、万が一ヒットする飲み屋なり喫茶店なりあれば、そんなもん絶対ヘンな店に決まっているではないか。音楽のライブとかではなく“詩の朗読イベント”などというマニアックなイベントをやる店はもう、ありとあらゆるジャンルに全方向で対応できる人がやってるに違いない。

滅多に検索に引っかかるものではないが、九州某県某市で珍しくヒットしたので行ってみると、まだ30前後の若いマスターの店なのに、広い店内の壁じゅうが本棚で、もちろん“サブカル”なんぞではなく“サブカルチャー”王道の蔵書がギッシリ、しかもカウンター近くに“特別枠”っぽい棚があって、見ると小熊英二のブ厚い『1968』上下2巻組がドーンと目に飛び込んできた。