80年代後半は「政治の季節だった」 ・・・青いムーブメントとドブネズミ世代の政治史(1)


ここんとこずっと、せいぜい近所のコンビニに新聞やタバコを買いに出る以外は自宅にこもったきり、ほとんど風呂にも入らず、紙版『人民の敵』に掲載する対談などのテープ起こしをガムシャラに進め、疲れたら横になって気分転換のつもりのミステリ小説をつい読み耽ってしまい、やがてそのままウトウトして、また目が覚めたらテープ起こしの続きを……という“昼夜逆転”どころか何らかのサイクルそのものが存在しないような生活で、さきほどようやく編集、印刷、製本そして発送まで(発行予定日から3週間遅れで)完了して、気がつくとこのウェブ版『人民の敵』の前回更新から10日以上も経っているではないか!

最低でも週イチで更新するつもりなのに、面目ない。

 

さて完成したばかりの紙版人民の敵』第27号。

%e4%ba%ba%e6%b0%91%e3%81%ae%e6%95%b527コンテンツは2本で、“その1”は20年来の友人・藤村修氏との“時事放談”、“その2”は約7ヶ月間の全国ツアーをさきごろ終えたばかりの「劇団どくんご」の、ツアー終盤の九州4公演地での“終演後の打ち上げ”の実況である。

紙版『人民の敵』では“半年おき”のシリーズと化している藤村氏との対話は、“時事放談”だし今回は当然トランプの話に始まり、サンダース、ドゥテルテ、イギリスのEU離脱、プーチン、朴槿恵……と序盤から一気呵成に“時事放談”らしさを増し、“信念の政治家(笑)”安部ちゃんを語り、民進党を冷やかし、共産党を罵倒し、それにしてもなぜ我が国には本格的なポピュリストが登場しないのか、日本に登場するのはせいぜい橋下徹のごとき“タレント議員に毛が生えた程度”の半端者ばかりではないか、桜井誠もせめてルペンになるにも程遠いし……という話から、つい脱線が始まって結局また飽きもせず“しばき隊”について語りだし、それっきり“メジャーな政治の話”には戻ってこられなくなってしまうのであった。

「どくんご」のほうは、福岡、久留米、大分、そして千秋楽の熊本の、4ヶ所10公演に随行し、“終演後の打ち上げ”にはICレコーダーを首からぶら下げて参加、テープ起こししてみると深遠な芸術論から実にくだらないどーでもいい話まで、テンコ盛りの内容だ。

41rzrthfa5l-_sl500_bo1204203200_-gif文筆の天才でありながら文筆収入ゼロという“思想界の北島マヤ”、同世代の誰よりも(もちろん東浩紀なんぞよりも)圧倒的に早い文筆家デビュー(『ぼくの高校退学宣言』徳間書店・89年)を派手に飾りながら一貫して不遇であり続けている外山恒一を“少数派の諸君”の皆様の善意で救うための超高額月刊誌である。ぜひ購入して、テープ起こしの“匠の技”を堪能するよろし。

東浩紀の名前をいまワザと出したんだが、というのもあちこちでさんざん云ったり書いたりしているとおり、東浩紀もその大手メーカーの1人として製造者責任を負っているデタラメな“歴史認識”に私は常々苛立っている。東、大澤真幸、大塚英志、宮沢章夫……といった人々が犯罪的な“偽史”本を粗製濫造し、無知蒙昧な“知識人”どもにはとくに80年代以降について間違いだらけの歴史観が広く共有されており、たまに弱小出版社からせいぜい千部ぐらいしか流通しない本を刊行することしか許されていない私のごとき不遇の天才が、「ったくコイツらの書く“歴史”なんぞ加治ナントカとかの明治維新モノとドッコイドッコイだな」と東や大澤を憐れみつつ、口を酸っぱくして“正史”を語ったところで多勢に無勢である。

51sjju3f7wl-_sx347_bo1204203200_絵に描いたような尻切れトンボの未完の作品で申し訳ないが、私が書いた『青いムーブメント』(彩流社・2008年)は、80年代以降の“正しい歴史”を知ることのできる現時点ではほとんど唯一の書物だ。

その内容をざっくり云えば、80年代後半(「80年代」ではなく「80年代後半」)は、60年代後半以来の熱い“政治の季節”だった、というものである。

「そんなバカな!?」と思う人が大半だろうが、その時代を知らない若い世代であれば東浩紀たちに騙されているのであり、当時すでに少なくとも20歳前後だったはずの40代後半以上の人々は単に記憶喪失に陥っている。

私のサイトにある、「京大シンポジウムでの(会場からの)発言」という文章から以下引用する。“68年革命”つまり日本では全共闘運動が該当する、60年代末の世界的激動に関するシンポジウムでの私の発言である。

 「今日のテーマは“68年革命”ですが、世間には“89年革命”という言葉もあります。云うまでもなく、冷戦終結に帰結した、80年代後半の民主化運動の世界的拡大のことで、中国の挫折した天安門事件も含め、いわゆる社会主義陣営での民主化運動が連鎖反応的に起きました。東側だけではなく、南北問題という時の南側の諸国でも、フィリピン、韓国、ビルマとやはり連鎖反応的な民主化運動の拡大が並行して起きました。それらをもって、“89年革命”は東側と南側で勃発したが、西側つまり日本を含めた資本主義先進諸国では何もそれらしいことは起きなかったという歴史観が流通していると思います。しかし、少なくとも日本には“89年革命”は起きていたじゃないかと私は考えています。“89年革命”が冷戦構造の終焉を結果するものだったとして、国内版の冷戦構造である“55年体制”のほころびは、まさに89年夏の参院選で当時の土井社会党が大勝して、参院では首班指名される事態から始まりました。たまたま参院選だったから土井首相の誕生ということにはなりませんでしたが、もしあれがたまたま衆院選であれば、89年夏の時点で自民党長期政権は終わり、いわば日本版の“民主化”が実現していたわけだし、実際、このことに衝撃を受けた自民党に内紛が生じ、それがどんどん加速して、日本版の冷戦構造たる55年体制の崩壊を伴いつつ、今に至るまで延々と続く“政界再編”の試行錯誤が始まったわけです。土井社会党ブームはそれ単独の現象ではなくて、80年代後半のさまざまな都市型の新しい社会運動、具体的には反原発や反管理教育などの運動の盛り上がりを背景とした、その氷山の一角的な現象で、そうした背景をなす諸運動の盛り上がりの総体を念頭にして、私は日本にも“89年革命”はあったと思うし、おそらく日本のことも日本で忘れられているぐらいですから、他の西側先進国にもあったかもしれません」

『青いムーブメント』は、80年代後半の、大状況としての世界的な“民主化運動”の連鎖、その国内状況への反映としての“土井社会党”ブームをざっと概観した上で、さらに微細に、土井ブームはその氷山の一角であるにすぎない、当時は多くの人が目撃したはずで、あるいは当事者として体験しさえしたかもしれない、土井ブーム以上に現在では忘れ去れている諸々の“熱い”出来事を1つ1つ掘り起こして読者に思い出させ、それらを点ではなく1本の線としてつないで描く試みである。

東らが“80年代”について語っていることも“完全な嘘”ではない。が、それらは当時の“傍流”についての考察にすぎない。もちろん傍流の出来事を記録にとどめたり、それについて考察したりするのも重要で必要な仕事ではある。だが傍流を本流だと強弁するような歴史記述は端的に“偽史”と呼ばれるべき代物と化す。東らの書く80年代史は、当時の主役だった新左翼ではなく共産党サイドにいた人間が書いた60年代史のようなものであり、その程度に遇されなければならない(つまりその程度のものとしての価値ならある)。

私が『青いムーブメント』で提起した重要な論点に、「“80年代”とか云うな!」というものがある。80年代に限らず、60年代も70年代も同様である。例えば全共闘運動は「60年代」の運動ではなく「60年代後半」の運動である。全共闘のプレ形態のような運動がポツポツ登場し始めるのは65年ごろ、本格化するのは67年10月8日以降である。「60年代」と云ってしまうと60年代前半も含まれてしまう。60年代前半はどちらかというと後退期・停滞期であり、何の後退期・停滞期かといえば60年安保闘争の後退期・停滞期である。その60年安保闘争も、国内的には55年の日本共産党の内紛も大きく関係しつつ国際的には56年の「スターリン批判」を契機に世界的規模で始まった「新左翼運動」の模索が、日本ではたまたま日米安保条約の改定問題とぶつかって60年に大爆発したものである。つまり「60年代」などというものはなく、本当は、「60年を中心とする前後10年間」、「70年を中心とする前後10年間」、省略して(「60年代」とかではなく)「60年前後」とか「70年前後」とかとでも云うほうが実情に即しているし、したがって“正しい歴史観”の獲得にも有益なのである。

そして東らの云う「80年代」なるものは、実は「80年を中心とする前後10年間」のことであり、私が『青いムーブメント』で主に論じた「90年を中心とする前後10年間」は、それとはまた全然違う時代の様相を持っている。

もう少し正確に云っておこう。東らの云う「80年代的なもの」とは、「80年を中心とする前後10年間」の出来事に根ざしたものというよりも、そのさらに“その後”により深く根ざしたものだ。

やはり私のサイトに掲載してある「野間易通徹底批判」で詳述したとおり、「80年を中心とする前後10年間」は「サブカルチャー運動」の時代である。他の“10年間”と同じく、前半期つまり70年代後半がその高揚期であり、後半期つまり80年代前半がその後退期である。

ラジカルな運動というものは世間に広く認知された時にはすでに“終わって”いるもので、“ニューアカ・ブーム”だの“若者たちの神々”だのとその担い手たちがもてはやされ始めた83、84年ごろには“運動”はとうに停滞を極めつつあったことは、例えば浅羽通明『天使の王国』(91年・幻冬舎文庫)に収録されている「『現代思想』はいかに消費されたか」を読めば分かる。

東らが中心的に論じる“オタク文化”的な諸現象は、前記「野間易通徹底批判」での語法を繰り返せば、ラジカルな“反政治”の「サブカルチャー」が腐敗・頽落した結果として生じたシニカルな“没政治”の「サブカル」であり、つまり東らの云う「80年代的なもの」とは、「80年を中心とする前後10年間」の諸運動の、80年代後半以降の消息・末路であるにすぎない。

生物学的には私と同世代である東が、「90年を中心とする前後10年間」の、私がとりあえず“青いムーブメント”と名づけた諸運動を捉えそこなうのは、べつに東が愚かだからではない。むしろ逆である。私も“反管理教育”の当時最も若く最も過激な活動家としてそれをかなり中心に近い位置で担った“青いムーブメント”は、バカだけが担い得た運動なのである。

ピークをすぎて80年代半ばにはとうに“ブーム”として形骸化し、パッと見には無意味で難解ぶった韜晦趣味と化しているかのようだったポストモダン思想やサブカルチャーの圏域に、遅れて生まれて中高生時代にギリギリ身を投じた東のような者は要するに同世代の中では極めて早熟な超優等生なのだ。そんな奴、同世代の中に0.1%もいなかったはずで、したがって字義どおり“傍流”である。同世代に1割ぐらいはいた(つまり“少数派の中の多数派”であり、時代あるいは世代のヘゲモニーを握るのは、60年代末に全共闘運動に参加した学生の割合も実際はその程度であったように、全体からすればせいぜい1割ぐらいのものだ)、一番分かりやすいところで云えば“ブルーハーツ”に熱狂していた若者たちが当時の“主流”派だ。

“青いムーブメント”の“青”は第一には“ブルーハーツ”の“青”であり(第二には後述する、“反管理教育”運動を牽引した団体の名称)、正史『青いムーブメント』を唯一高く評価してくれた、つまりメジャー知識人の中では唯一マトモなアンテナを持つスガ秀実氏は、ブルーハーツの代表曲「リンダリンダ」の歌詞から拾って私たち現在40代半ばの活動家の一群を「ドブネズミ世代」と呼んでいる。

そう、我々の世代には“活動家”が多いのである。

つづく