ロックBAR飲み歩きシリーズ 大分編 ・・・いいよなあ、大分。書いてるとまた行きたくなってくる。


ロックBAR飲み歩きシリーズである。

第1弾として、そもそも私がそんなことを始めた理由について昨年9月28日付の記事で書いた。第2弾として、いよいよ意識的に飲み歩き活動を本格化させた初期に、“面白い飲み屋”をどうやって探すか試行錯誤した様子を同12月7日付の記事で書いた。今回は第3弾である。

2012年の“全国ツアー”の過程で“面白い飲み屋”を訪ね歩くことを覚え、もちろんツアーを終えて本拠地・九州に帰還したら、九州でこそテッテー的にそれをやらねばいかん、と実際に帰還する前から考えていた。ツイログで確認すると、7月末に福岡に戻るや、8月アタマにはもう九州各地を転々とし始めていることが分かって我ながら感心する。

とりあえずは九州全県の県庁所在地(と“ほぼ”100万都市である北九州市)を開拓して回った。それぞれにいろんなドラマがあったのだが、今回は大分のことを書こう。いやもう、大分サイコーなんスよ。「あちこち回ってみて、どこが一番面白い?」と訊かれた時には「大分!」と答えている。

そもそも福岡人は大分に縁がないのである。九州というのは真ん中にドドーンと巨大な山塊があって、東西を隔てている。ぐるりの海沿いにあちこち都市が栄えてるんだが、真ん中を突っ切るのが大変で、したがって南北の移動はラクなのだが、東西に移動しにくい。福岡・熊本・鹿児島は移動しやすいし、それとは別に明後日の方向に延びた福岡・佐賀・長崎というのもまあ、行き来は多い(福岡から長崎に行くのは結構大変だが、長崎の人は福岡によく出てくる)。福岡から見ると、宮崎や大分という九州の東半分に行くのがとにかく大変なのだ。それでも宮崎はまあ、ぐるりと回って“鹿児島のさらに先”という感覚ではある(福岡とを結ぶ高速道路は、大分よりも宮崎のほうが先に全線開通した)。問題は大分で、福岡人からすれば、「噂には聞くけど実在すんのか?」ぐらいの無縁さなのである。

そもそも福岡では大分出身の人とほとんど出会わない。これまで2、3人しか会ったことない気がする。隣の県なのに不思議だ。

もっとも九州の北端で、私がずっと拠点にしてきた福岡市からは約60キロぐらい離れた北九州市に行くと、大分の人をゴロゴロ見かける。九州の北端から福岡市があるのとは反対側のぐるりを南下していけば大分があるのだから、北九州と大分とは行き来しやすいのである。しかしなにせ福岡都市圏と大分との行き来は中間にある巨大な山塊が邪魔をして、それを思うだけで多くの人がきっと挫折してしまうのである。

あと、過去に私が福岡で遭遇した大分人というのがまた、2、3人だが不思議な人たちばかりであった。若いのに、そしてとくに社会派っぽい人たちでもなかったのに、なぜか大分の市長だの知事だのについてやたら詳しいのである。そしてそのことについて語りたがるのである。福岡も含め、九州の他の県の若者たちでそんな人、見たことない。そもそもチョー社会派な私にしてから、福岡の市長や知事なんて、顔も知らないし名前もパッとは思い出せない(いま試しに考えてみて、市長の名前は思い出せたが、知事はやっぱり思い出せない)。しかし私がかつて遭遇した大分人たちは、若いのに、そしてとくに政治好きでもなさそう人たちだったのに、大分の市長がこうだ知事がああだと延々語るのである。神秘の国だ。

とまあ、福岡人の私にとって大分というのは長らく謎めいた未知のエリアだった(行ったことぐらいはさすがに何度かあったが、現地の人と交流があるような行き方ではなかった。よく行くようになって合点したのだが、大分は九州というよりむしろ“瀬戸内”なのである。現地の人たちも自分たちが“九州人”であるというアイデンティティは希薄なようだ)。2012年の夏から秋にかけて、ついに私はこの秘密のベールに包まれた大分の地をディープに探索することになったのだ。

 

飲み歩きシリーズ第2弾で書いたような、私の親しいミュージシャンが過去にライブをやった飲み屋、なんてものも大分にはなかったので、初期の開拓は難航を極めた。飲み歩きとは別に、我が九州ファシスト党の若いモンたちに学生のフリをして大学構内に侵入させ、サークル棟の各サークルの郵便受けにアブないビラを投函しまくる、という活動も九州各地で並行して展開したのだが、突破口はその副産物として唐突に開かれることになった。

別府大学に進撃した帰りのことである。高台にある大学から市街地のほうへ降りてきたあたり、まだ市街地には入っていない、郊外の住宅地といったあたりで、車を運転しながら周囲を漫然と眺めていて、それが視界に飛び込んできた時には仰天した。

畳何畳分かありそうな、巨大なチェ・ゲバラの肖像である。慌ててブレーキをかけた。

車を降りて、何の店だろうかと確かめにいく。どうも飲み屋っぽい。この時は昼間だったので、開いてはいない。看板らしきものもあった。実はこの店は今はもうないので名前を出してしまうが、「大魔王」という店である。大魔王!? 巨大なゲバラに、店の名前が「大魔王」って、一体どーゆー店だ? よく見ると、ゲバラの周りに横文字でいろいろ書いてあって、「One Love」というフレーズもあったので、おそらくレゲエBARではないかと推測した。

とにかくこれは一度訪ねてみなきゃいかん。

その時はファシスト党の若いモンも一緒で、彼らは福岡に用事を残してきていたので、いったん福岡に戻り、たぶん1週間後ぐらいに改めて1人で出直してきたんだったと思う。訪ねたのは2012年9月13日のことだったとメモが残っている。

入ってみると、予想どおりレゲエBARだった。マスターは若く、当時30ちょっとだったような気がする。

たしかその日は私の他に客はおらず、自己紹介を兼ねて、都知事選の話だの、調子に乗ってさんざん武勇伝を語りまくったんだと思う。ゲバラの肖像画を掲げるようなマスターなので、面白がってはくれたらしい。が、飛ばしすぎたか、「どうもこの人、面白いけどオレのキャパでは相手するの無理だ」ということだったんだろう、マスター、「もっとオススメの店があります。ココはもう閉めるんで、一緒にその店に行きましょう」と云い出した。

もちろん異存はない。

そのオススメの店というのは別府の街なかにあった。「大魔王」からは3、4キロ離れている。マスターはなんと、タクシー代を負担して私をその店まで連れて行ってくれた。

もともといずれにせよマスターはその日、早じまいしてその店に顔を出すつもりではあったらしいことが、行ってみて分かった。そのオススメの店Sでは、Sのマスターの40歳の誕生パーティが開かれていたのである。大魔王マスターはSマスターに、「誕生日プレゼントを連れてきました!」と云って私を紹介した。

Sマスターは私のことを知っていた。

もちろん政見放送か何かで知っていたのだろう。しかも単に知っていただけでなく、どうやら少しばかり“尊敬”してくれていたらしい

「外山さんからお金なんか取れませんよ」と云ってタダで飲ませてくれた。これ以降、別府に行くたびにSには顔を出しているのだが、やはりそのたびにタダで飲ませてくれる。行くのは年に1回ぐらいだけれども……。

話を聞いてみると、Sマスターもまたかなり変わった人らしい。ちょうど40歳の誕生日だったわけだが、20代の頃に1期だけ、別府市議会議員を務めたことがあるという。1期で辞めて、まだまだ勉強が足りないと思ったということなのか、大学に入り直して政治学を修めた。それできっとまた立候補するのだろうと周りは思ったはずである。そう思いきや、なぜか飲み屋を始めて現在に至る、という人である。

ちなみに3年前、「劇団どくんご」が初めて大分市で公演をやることになった時、会場確保に動いたのも私である。以前書いたとおり、日本の行政というのは芝居なんぞに公共の公園をなかなか貸したがらない。しかもこの時は交渉にかける時間的余裕がほとんどなく、私はふと思いついて、このSマスターに大分市の市議会議員を紹介してもらい、短期決戦で無事に大分市の一等地の公園を借りることができた。

Sマスターの誕生パーティには、すぐ近所のライブハウスの店長も来ていた。店長は私のことは知らなかったが、Sマスターと私が話している内容には興味津々の様子で、さらに私が一応ストリート・ミュージシャン歴20数年で、音楽もやってないことはないということを知ると、たぶん社交辞令だったのだろうが、「ぜひいつかウチでもやってくださいよ」と云った。

その日はそれでおしまいだ。大魔王マスターは、「さすがに遠いんで一緒には行けないけど、大分市内にも面白い店はいっぱいあるんで、ぜひ行ってください」と、かつて自分も店員をやってたことがあるというレゲエBARや、大分のパンク・シーンの“番長”みたいな人がつい最近始めたばかりだという“パンクBAR”を教えてくれた。番長のことは当然、ライブハウス店長もよく知っているようで、「最近でこそフツーに話せるようになったけど、若い頃は怖くて、とてもじゃないけど話しかけたりなんかできませんでしたよ」などと云ってる。

大分市と別府市はすぐ隣である。車なら海沿いの広い道路を10分か15分も走れば着く。列車でもたぶんそのぐらいである。したがって行き来は頻繁にあるようだ。

この時は翌日また別の県に移動しなきゃならない用事があり、大魔王マスターに勧められた大分市内のいくつかの店を訪ねるために再度大分入りしたのは8日後のことである。

 

もちろんパンクBARにも行った。番長は番長だけあってさすが全身にスミが入ってたりしちゃいるが、とても温和で話しやすい人だった。年は私より1つか2つ下だが、20代の頃から大分でパンクと云えば番長のバンドだというぐらい、シーンの顔役であり続けているようだ。

番長も私のことは知らなかったので、「大魔王のマスターに紹介されて来ました」から始まって、例によって自己紹介を兼ね、“政界のパンクス”としての武勇伝をひとくさり……すると番長も私のことを面白がってくれたようで、「実はオレ、明日ライブなんだけど、出てよ」などと急に云い出した。

私は慌てる。「いやいやいや、たしかに弾き語りもやってるとは云ったけど、そのライブって当然、パンクのライブでしょ?」

「そうだよ。大分のパンクスの連中が大体みんな集まる」と番長。4つか5つのパンク系のバンドが出て、もちろんトリは番長のバンドらしい。

「でしょ? こっちはフォークギターの弾き語りだもん。しかも反体制的なアツいメッセージ・ソングとかじゃないよ。どっちかというと……コミック・ソングだよ?」

「いいから出てよ」と番長はもうすっかりその気である。

そんなわけで急遽、翌日は番長主催のパンク集会に飛び入り出演して、“勝手に作ったゴルゴ13の主題歌”だの、“働きたくないという思いをひたすら訴える替え歌メドレー”だの、大分の何十人かの若いパンクスたちを相手に弾き語って、それはそれでウケてはいた。

問題は会場である。会場は実は、例の別府市のライブハウスだった。「そりゃたしかにウチでも“いつか”やってくださいよ、とは云ったけど、まさか10日もしないうちに来るとは!」と店長も驚いて笑っていた。

 

それとはまた別口である。

大分に当時まったく知り合いがいなかったわけではなく、大分の文学青年で、たしか私の政見放送を見て何年か前に連絡をくれて、会って話して、それがきっかけで「どくんご」の北九州公演など観に来るようになって、この2012年の、この約2ヶ月後の「劇団どくんご」大分県宇佐市公演を引き受け、客席にはその人とその人の娘と、私と、あとその会場を管理してる人の計4人、つまり動員実質ゼロ(!)、客席より舞台上のほうが人が多いという、劇団史に残る驚異的な記録を打ち立ててくれることになる人がいた。その人に紹介されて、やはり大分市の中心街にあるFというロックBARにも行ってみた。

ここでまたスコブル面白い話を聞いた。大分では毎年、春だかに「反戦ギグ」というロック系のイベントが開催されているというのである。「すごいですね」と感心すると、「いやいや、大分なんて田舎ですし、そんなの福岡じゃあ、いくらでもやってるでしょう」などとFマスターは謙遜(?)する。福岡でそんなの、聞いたことない。「いつからやってるんですか?」と訊くと、「湾岸戦争の時からですね」と平然と云う。湾岸戦争!? 20年以上やってるということじゃないか!

後で知った話、主催者はパンク番長の弟なんだそうである。

 

さらにまた別口である。

前回(飲み歩きシリーズ第2弾)の最後に書いた、知らない街でとりあえず面白そうな飲み屋をネットで探す場合の検索ワードとして、「詩の朗読」というのを思いついて我ながら天才だと思ったというのは、実はこの大分での飲み歩きの時の話なのだ。ダメモトで検索してみて、まさか1軒、引っかかってしまった。当然その店Tにも行ってみた。

もっとも当時、Tは行くたびに閉まっていた。もう潰れてるんじゃないかと思いながら、大分に足を運ぶたびに粘り強く1度は必ず様子を見に行くようにしていたのだが、何度目についに開いていた。ちょうどヤル気がなかった時期のようで、最近はたいてい開いている。

Tも初めて中に入った時には驚いた。そこそこ広い店内の1辺の壁が全部、天井まで本棚で、「サブカル」ではなく「サブカルチャー」王道のラインナップでびっしり埋まっている。軽く数百冊はあるはずである。さらにそれとは別にカウンターの脇に特別枠コーナーのような本棚がポツンとあり、ふと見ると、あれはデカいしよく目立つ、小熊英二の例の『1968』上下2巻がどーんと目に飛び込んできた。

さすが“詩の朗読”イベントなんかやった店である。しかもマスターは当時まだたしか31とかである。

いやー大分、侮りがたし。

いろいろ話し込みながら、たいていどの店でも私は「この街に私なんかが行って面白がってもらえるような店って他にもありますか?」と訊くのだが、Tマスターは「そりゃあもう、何といってもT’ですよ!」と同じくタ行で始まる店名を挙げた。読みにくいだろうが、この“詩の朗読”のサブカルチャーBARを「T」とし、そのマスターがオススメしてくれた店を「T’」とする。

私は一応、T’の名前をメモ帳に書き込んだ。

そうやって教えてもらった店にすべて行くわけではない。すでに行きつけになりかけてる店もいくつかあるし、そうそう新規開拓はできない。行きつけの店がなぜかことごとく閉まってたり、たまには2、3日滞在できたりする場合のために、情報としてストックしておくことになる。

この日はTの次に、すでに行きつけになりかけていた前記Fに行ったんだと思う。そしたらFの店員が突然たまたま、「そういえばT’ってお店もオススメですよ」と云い出したのである。2つの店で共通にオススメされたんじゃ、ガゼン興味が湧いてくる。これはもう、この夜のうちに訪ねてみようと決めた。

しかしF店員は、「口で説明しても、地図を書いてもなかなか辿り着けないと思う」と云って、距離的にはそう離れているわけではないのだが、親切にもわざわざ付き添ってT’まで案内してくれた。

うん、これはたしかにチョー分かりにくい場所にある。路面にも飲み屋があるマンションっぽいビルの狭い通路を奥に入って、パッと見は何かの事務所の入口のようなドアをガラガラと開けなきゃいけないのだ。

入ってみると、狭い。もともと狭くて、カウンター席のみしかも4つか5つしかなく、席に着いたすぐ背面は壁というぐらいなんだが、その狭い店内にマスターの趣味の私物がこれでもかとうず高く積み上げられていて、つまりアリジゴク状になっているのだ。いや、“趣味の私物”と云ってはいけない。実は店名から想像はついていたのだが、遠回しに説明すると店名は某有名古典プロレス・マンガのキーワードで、T’はつまり“プロレスBAR”なのである。店内の壁際に積み上げられ、もともと狭い店内をますます狭苦しくしているのは、私よりたしか1つ2つ年上のマスターがおそらく何十年の歳月をかけて収集したプロレス雑誌、プロレスDVD……ではなくVHSといった、店のコンセプトにまったく添ったアイテムの数々なのだ。

カウンター席の横や背後の壁際だけではない。カウンターそのものの両端にも山のように積み上げられている。それだけではない。マスターが座っている、カウンターの内側のほうがもっとすごい。マスターはほとんど身動きできない。座ったまま手の届く範囲に冷蔵庫があって、ビールを頼むと缶ビールを出してくれるのだ。当然いろんな酒は作れない。私はビールしか飲まないので詳しくは知らないが、たぶんビールと焼酎のお湯割りぐらいしかメニューはない。ビールだって、頼むと「あったかなあ……」と不安げに冷蔵庫を試しに開けてみたりしている。350ミリ缶ビールがそのまま出てきて1本500円、つまりほとんど儲けはないはずである。

私はプロレスのことは全然詳しくないが、というかほとんど知らないが、プロレス好きの人はかなりの高確率で文化系インテリっぽい気はしている。プロレスを“やる側”はムキムキ・マッチョな皆さんだが、マニアなレベルで“観る側”の人たちには、それこそ“サブカルチャー王道”のような人が多い。T’マスターもやっぱりそういう人で、店のウリは“プロレス”だが、音楽や映画や、さらに演劇にだってフツーの人より圧倒的に詳しい。

そもそも話し込んでみて驚いたのだが、T’マスター、若い頃は福岡に住んでいたらしく、福岡の“そのスジ”の、つまりテント芝居だのパンクスだの前衛芸術家だの反体制文化人だのといったアングラな人々が夜な夜な結集していた“伝説の飲み屋”「勝手にしやがれ」(『親不孝通りの迷宮 勝手にしやがれ伝説』という本も出ている)の常連客というか“ほぼ店員”で、かつて“そのスジ”の店では“マスターが客に説教する”というのは当たり前の光景だし、「勝手にしやがれ」も当然そうで、T’マスターもさんざん説教され、鍛えられたというのである。

「勝手にしやがれ」は90年に閉店しており、私はちょうどその頃からまさに親不孝通りの入口でストリート・ミュージシャン稼業を始めたのだが、当時酒は1滴も飲めず、したがって飲み屋なんかに行かないから「勝手にしやがれ」に行ったことは結局ない。しかし「勝手にしやがれ」のマスターだったS氏が次に始めた飲み屋には、もう飲めるようになっていた2000年前後によく行っていたし、そもそもS氏は福岡のテント芝居シーンの関係者だったので、その飲み屋とは別ルートでもともと知り合いでもあった。そういえばS氏もプロレス好きで、興行の呼び屋のような仕事もやっていたことを思い出した。

へー、世間は狭いなあと驚いたのだが、そんな話もどーでもよくなるぐらいT’には不思議でたまらないことが1つある。カウンターの下を覗いてみたのだが、どうもカウンターの中に入るための扉のようなものは見当たらない。マスターの背後を窺ってみるのだが、どうもそっちにも扉らしきものはない。つまりマスターがどうやってカウンターの中に入っているのかが分からないのである。まさかプロレスのリング入りのようにロープを飛び越える感じでそこに今いるのか? それとも実はそこから出ずにずーっとそこで暮らしているのか?

ともかくT’こそは大分の最ディープ・スポットであると私は確信している。

 

他にも大分には面白い飲み屋がたくさんあって、10ではきかず、とてもじゃないが全部は説明できないし、ひと晩で飲み歩けもしない。昨年の「どくんご」大分公演の事前情宣で飲み歩いた時には、ただそれだけのために3日間滞在した。

またいつか書くと思うが、私が九州で一番オススメする観光スポット・高崎山もちょうど大分と別府の間にあって、要するに野生のサルを餌付けして観光客に見せているのだが、九州人もたいてい「そう云えば子供の頃に1回だけ連れて行ってもらったことがあるなあ」という程度なのが普通という場所に、私はこのところ毎年のように飽きもせず行っている。ただのサルだし何てことないのだが、チョー面白いのである。

いいよなあ、大分。書いてるとまた行きたくなってくる。