私ぐらいの本格派のテロリストになれば、“共謀罪”だか“テロ準備罪”だか、そんなものちっとも怖くない(外山恒一)


昨年来というか一昨年来というか、トランプが勝ったりルペンが負けたりと揺れはありつつ、世界はどんどん面白いことになっている。もちろん私はトランプ的なものやルペン的なものが勝利することをとりあえずは望んでいる。べつに奇を衒っているわけではなく、ファシストなんだから当たり前である。我々ファシストは単に“右傾化”を望んでいるのではなく、格差や貧困といったこれまで(まあ第二次大戦後、だな)主に左翼が取り組んできたテーマを“右から”かっさらおうとしているのであり、トランプやルペンが云っていることは、レイシズムなど従来のダメな右翼運動の残滓を引きずってもいるんで百点満点ではないが、我々ファシストのそういう方針にかなり近いことは間違いない。

それにしてもアメリカでは勝てて、フランスでは勝てないというのは、ちょっと意外ではあった。もちろん今回のルペンが勝てないことは選挙前からはっきりしていたんだが、私がこれまで抱いていたイメージでは、二大政党制よりも多党制のほうがまだしも極左や極右はメジャー政治(議会政治)の舞台で台頭しやすいはずで、現実にはどうも逆だったようで意外なのである。たしかに考えてみれば、多党制においては少数派も議会に代表を送りやすいけれども、とりあえず送りやすいというだけで、世間一般で少数派はいつでも少数派の地位に甘んじなきゃならないように、議会においても少数派は常に少数派であり続ける以外にないという、単に多党制では世間一般のそれが議会での議席配分にもおよそそのまま反映されることになるにすぎない。しかし二大政党制では、少数派は独自勢力としては絶対に台頭しえないけれども、まずは二大政党のいずれかの内部で既成指導部を批判する形で熱狂を作り出してヘゲモニーを奪うことにさえ成功してしまえば、その後は政権掌握を展望することさえ可能になるらしい。

目からウロコではある。極端な連中の台頭を抑えるのが本来は二大政党制の眼目の1つであるはずだが、一点突破にさえ成功すれば、裏目に出てしまうのだ。多党制では極右や極左も比較的簡単に議会進出できたりして、日常的に存在感だけは発揮しうるものだが、そっちのほうが本質的には実はよっぽど“安全”なのかもしれない。

多党制のフランスでルペンは今後も苦戦し続けることになるのだろう。第1回投票では中道の2人と、右翼のルペンと左翼のメランションとがほぼ互角に戦って、それぞれ4分の1ずつに近い得票をしていた。上位2人で決選投票になるので、保守派というか体制側というか既得権益層というか反革命勢力というか、要するに“奴ら”は、決選にルペンとメランションとが勝ち上がることを本気で危惧していたようだが、仮にそうなっていたとしても、実際の決戦投票でメランション支持派の多くも“鼻をつまんで”マクロンに投票していたように、“奴ら”も“きっと鼻をつまんで”ルペンではなくメランションに投票していただろう。アメリカ大統領選でのサンダース陣営についても似たようなことを指摘したように、そういう意味でも、現在の世界状況においては“左翼”はむしろ体制側の一員なのだが、私がイメージしているような“正しいファシズム”路線、つまり、冷戦状況下でつい身につけてしまったレイシズム体質を完全に払拭して、ここ数十年は主に左翼が問題にしてきた“資本主義の悪”を、資本よりも国家権力を上位に置くことで規制する、まあ要は“国民国家を再建する”ことでグローバル資本主義の猛威に対抗するのだ、という方向に純化すれば、やがてルペンも多党制のフランスでも勝てるようになるかもしれない(もちろん“原則的な”左翼は“国民国家”なんてもの自体がレイシズムを引き起こすのだと云うだろう)。

ひるがえって我が日本国内はちっとも面白くない。人によっては、トランプ現象やルペン現象と似たようなことが安倍自民党にも起きているじゃないかと云うかもしれないが、見た目ちょって似てるだけでほとんど何の関係もない。既成政治から疎外されていた極右や極左の運動がまず議会外で沸騰してそれが自民党や民進党の方針に影響を与えてしまっているような側面は皆無である。ノイホイさん(菅野完氏)の傑作ベストセラー『日本会議の研究』(扶桑社新書・2016年)が明らかにしたように、たしかに“60年代以来”持続しているほんの数名の秘密結社みたいな極少数派の極右グループの地道な活動が安部自民党の“右傾化”を支えちゃいるんだが(詳しくは同書後半を読むといいが、“結論”というか“ストーリー”のエッセンスについては、ノイホイさん自身をもキョーガクさせた、私の手になる“要約”がココで読める。この画像の中にある囲み記事の部分である)、やはり日本で起きている“右傾化”とトランプ現象やルペン現象が全然違うのは、日本会議にしても在特会にしても、主観的にはきっと“日本のトランプ”たらんとしているんだろう彼らには、これまでの左翼のイシューを奪ってしまおうという視点が(事後的にそうなるんでもいいんだが)まったくないところである。

なんだかなーと思うのは、安部自民党を支持しているらしい“ウヨ”の諸君は、例えば原発が必要だと本気で思っていたり、日本には米軍基地が必要だと本気で思っていたりするわけでは、どうもないらしいことである。仮にそんなこと本気で思われていたとすればそれはそれで困ったことだが、まだ救いもある。実際には彼らは、単に反原発派や反基地派が“ウザい”だけなのである。ココロザシが低すぎるというか、そもそも政治的な諸々に口を出す資格もないような手合いであって、そんなゴミどもの存在が、このどうにも変化のない現状のその変化のなさを規定するそれなりに大きなファクターになってしまっているのが、このFラン土人国家のここ数年の政治状況だったりする。

たから“共謀罪”云々の空騒ぎなんぞも見ていてただ虚しいばかりである。あれがろくでもない法律なのは云うまでもないし、そもそも95年以降、この国でおこなわれるさまざまな“改革”は、それが自民党政権によっておこなわれるものであれ民主党政権その他によっておこなわれるものであれ、全部ろくでもないに決まっているのであって、“何でも反対”することだけが正しいのだが、同時にまた、いくら反対したってそれらろくでもない“改革”は絶対に止められないというのも“95年以降”の必然である(もちろん“革命でも起きない限りは”ということであって、あきらめるのでなければ、個別の法案その他に反対することではなく“一発逆転”の総体的な革命を目指すことだけに唯一意味がある)。

共謀罪に反対する人たちの云うことは、なるほどいちいちもっともである。しかし現在、云ってる内容が正しいかどうかはどーでもいいという状況になってるんであって、そこが身に沁みて分かってない連中が反対派のほとんどであるかぎり相変わらず展望はない。論理的に間違っていようがどうだろうが、今、政府がやりたいことは全部まかり通ってしまうのである。私も引き続き、「ムダな抵抗はやめなさい。そんなことよりまず我がファシズム勢力に合流しなさい」と声高に叫んで、つまり“革命派”の孤塁を守る以外にやることがない。

「共謀罪なんか成立しちゃったら、外山恒一なんか一発でアウトだよな」的な声を、エゴサーチしてるとよく見かける。どうせ無責任にテキトーなことを云ってるだけなんでこれまたどーでもいいんだが、ヒマなんで一応云っとくと、私ぐらいの本格派のテロリストになれば、“共謀罪”だか“テロ準備罪”だか、そんなものちっとも怖くない。

そもそも例えば例の政見放送だって、公職選挙法はおろか共謀罪にも破防法にも一切引っかからないように巧妙に文言が練り上げられているし、それは最近やっている日常的な街宣の文言についても云える。

最近の街宣のフレーズは、次のようなものである。

 戦争やるならアメリカとやれ! 「九州ファシスト党〈我々団〉」で検索を。あなたの街のテロリスト、身近なテロリスト、会いにくるテロリスト、「九州ファシスト党〈我々団〉」でございます。爆破したいぐらい原発が嫌いです。「九州ファシスト党〈我々団〉」、悪い政府が嫌がることしかやりません。良いファシスト、「九州ファシスト党〈我々団〉」をよろしくお願いいたします。決して怪しい者ではございません。単なる、フツーの、平凡な、ありふれた過激派でございます。原発推進派は死ねばいいと思います。「九州ファシスト党〈我々団〉」、どちらかと云えば、あちら側でございます。日本政府はテロに屈しろ! テロリストが人質をとって、アメリカと手を切れと要求してきた時は、素直に従ってください。「九州ファシスト党〈我々団〉」からのお願いでした。過激な右翼思想と過激な左翼思想を独自の視点でミックスいたしましたところ、右でも左でもない、ただの過激派になってしまいました。「九州ファシスト党〈我々団〉」でございます!

走行している時は冒頭の「戦争やるならアメリカとやれ! 『九州ファシスト党〈我々団〉』で検索を。あなたの街のテロリスト、会いにくるテロリスト、『九州ファシスト党〈我々団〉』でございます」の部分だけをひたすら繰り返し、赤信号に引っかかったり、渋滞に巻き込まれたりした時のために上記約1分間ぶんぐらいの“ワンセット”がある。いつ青信号になっても困らない、どこで切ってもそれで終われるように組み立てられた、我ながら実に見事なルーティン街宣がこれで可能になる。

で、注意して読めば分かるとおりこの演説、破防法にも共謀罪にも一切引っかかる心配がない。

たしかに私は“我々はテロリストだ”と云っちゃあいる。しかしそれだけで法律には引っかかりようがない。極悪政府はどうにかして思想の内容を取り締まろうと四苦八苦しているようだが、Fラン土人国家のくせに表向きは近代国家を装わなきゃいけない以上、露骨にそれはやれない。具体的なテロをやるか、少なくとも、やろうと計画してその緒にでもつかない限りは法律には引っかけようがないのである。今回の共謀罪新設はまさにその“計画段階”で処罰しようというものではあるが、計画段階であれ何であれ、やっぱり頭の中でだけ考えてるうちは取り締まりようがなく、計画の実現のための“準備行為”に具体的に踏み込まないかぎりは、いかに極悪政府といえどもイカンともしがたい(もちろん、今回のような法律の制定は、さまざまの行為にあくまで事後的に対処することを原則とする近代的な法体系から逸脱するものではあって、“問題”であることはたしかでもある)。

私が“テロリスト”だというのは、主義主張としてそうだと云ってるだけである。

私は革命派である。革命を目指しており、革命のためには時にはテロも必要だと考えてもいて、したがって私はその限りではまごうことなきテロ肯定論者、テロ肯定主義者、すなわち“テロリスト”である。しかしテロリストが必ずしも常に実際にテロをやるとは限らない。テロリストなんだが、現下の状況ではいざテロの実行に踏み込むことはやめておこう、という戦術・戦略はフツーにありうることだし、私も今のところ特に具体的なテロ計画は何も持っていない。“計画段階”であれ具体的な行為に踏み込まないかぎり、単にテロ肯定論者であるだけでは、実態がどうであれ外見上は近代国家ぶっておきたい政府は、それを取り締まる法律など作れないのである。だから私は日常的な街宣でも堂々と「我々はテロリストです!」と安心しきって声高に繰り返しているわけだ。

ちょっと聞いたぶんには物騒なことばかり云っているようであるが、“我々が”テロをやるとか計画しているとかいうようなことは一言も云ってない。我々とは別の存在である、現にこの世の中にすでに存在しているさまざまなテロ組織がやっている(あるいは今後やるかもしれない)テロについて、あくまでも“他人事”として言及しているだけである。我々がそれをやるとは一言も云っておらず、我々以外の“誰か他のテロリスト”が人質事件などを起こした場合に、政府は彼らに“屈服”せよと云っているだけなのだ。そんなもん、政府内の弱腰派だって云いそうなことにすぎないし、その程度のことを処罰などできるはずがない。

原発云々のくだりも、爆破“したい”と云ってるだけで“する”とは云ってない。

とまあこんな具合に、私レベルの本格派のテロリストともなれば共謀罪の1つや2つ、何にも怖くない。これまでどおり活動するだけのことである。法律なんて実にチョロいもんだ。

もっとも、法律は怖くないが警察は怖い。

この国は、一見したところ近代国家ぶっているだけであって実際には近代国家でも何でもないFラン土人国家であり、つまり“法治主義”とかそんなまるで近代みたいなものは存在しない。法律がどうなってようが、警察をはじめ国家権力の担い手たちは、やろうと思えば何でもてきる。我々はチョロい法律の網の目をかいくぐっていくらでも革命の恐ろしいインボーを進めていくことができるが、このFラン土人国家の土人警察は、その法律と無関係に人を逮捕したり殴ったり蹴ったりするし、土人裁判所もそれを追認するので歯止めは何もない。

だから本当は、共謀罪新設だの何だの、このFラン土人国家にとってはしょせん外向けのファッションにすぎず何の意味もないあれこれの法律の“改悪”に反対することなどではなく、例えばごく最近の例で云えば、本来ならとっくに時効が成立してたはずなのに、警察・検察・裁判所が単に裁判手続き上のテクニックを駆使して時効の成立を阻んで時間を稼ぎ、そうこうしてるうちに時効の制度そのものが廃止されて、晴れて半世紀近くも昔の殺人の容疑者を逮捕するというような、そういう具体的な1つ1つの土人行為について、ヒドい目に遭ってるのが中核派とかだからといって見て見ぬふりをせず、真っ赤になって本気で怒り狂うことのほうが、百ナユタ倍も重要なはずなんだが……。