70年代に左翼が退潮したという認識からして間違い。「プレニューアカ」なぞ、全員左翼じゃないですか …『ゲンロン』 「昭和批評の諸問題 1975-1989」を読む(3) (外山恒一)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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(2)からのつづき →

 

 前々回からの紙版『人民の敵』販促シリーズの第3回目である。

紙版『人民の敵』に掲載しているのと同様のコンテンツを別途作成して、こういうものが毎月読めるんだと具体的に提示することを目的として、紙版で最近よくコンテンツとしている、福岡での読書会での議論の全編書き起こしを、紙版用とは別個に1つ用意した。書き起こしたのは6月4日におこなった、東浩紀が中心となって刊行している雑誌『ゲンロン』創刊号(2015年12月)に掲載された、東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大の4名による座談会シリーズ「現代日本の批評」の第1回「昭和批評の諸問題 1975-1989」の読書会である。
内容的には紙版に掲載されるものの平均値ぐらいの“面白さ”である気がする。紙版の定期購読の参考とされたい。

 


 

(「昭和批評の諸問題 1975-1989」「1.プレニューアカの可能性」 黙読タイム)

 

外山 はい、では何かあればどうぞ。

藤村 冒頭の東浩紀の発言の中で、この座談会の前提になってる柄谷・蓮實・浅田・三浦雅士の『近代日本の批評』座談会について、その「独特の『非歴史性』」が指摘されてる(48ページ)。「柄谷や浅田もまた、それぞれだれかに見出されたはずですが、この共同討議ではそのような彼ら自身の歴史性には言及されない。かろうじて三浦雅士だけが自分の来歴を語るのですが、蓮實、柄谷、浅田は、批評史全体の傍観者のような立場で話していて、どの時代からやって来たんだという感じになっている」と東浩紀は云ってて、さっきからの話につなげると、これはつまり、柄谷・蓮實・浅田が体現していたポストモダン思想もそれなりの必然性があって登場してきたものであるにも関わらず、そこが捨象されてしまっている、という批判だと解釈していいのかな? で、さらに続けて「九〇年代に影響力を持ったこの討議そのものが、批評史の多様な過去を平坦にし、村上隆風に言えば、『批評なるもの』全体を『スーパーフラット』にしてしまうような働きを持っていたのではないか」(49ページ)と。

外山 もともと柄谷も浅田も、自分が今なぜこういうことをテーマにしてるのか、ということを説明せずにいきなりあれこれ論じ始める人じゃん。

藤村 東浩紀の冒頭発言は、「ゼロ年代の批評はそれ以前の批評史から切れて、前提知識がゼロでも読めるサブカルチャー批評の影響力が強くなった。それはふつうは『批評空間』派の対極だと思われているけど、ここにその『切断』『平坦さ』の萌芽があると思いました」と締めくくられる。それを承けて大澤聡が、東浩紀の用語である“データベース的”云々の話につなげていく。……これはやっぱりさっきから外山君が繰り返し問題にしてる“タコツボ化”の話なのかな?

外山 つまり“1つ1つ積み上げていく”ような語り口というのが、“68年以前”の“旧左翼”に対応するものなんですね。“党建設”的な語り口とでも云えばいいのか……。それに対して“68年”の“新左翼ノンセクト”は“党“を否定したんであって、その語り口も、“1つ1つ積み上げていく”ようなものではなくなる。柄谷・蓮實・浅田の語り口が、ここで東浩紀が批判的に云うようなものになるのも、その必然的な結果でしょう。しかし柄谷・蓮實・浅田は、“68年”的な問題意識をかなりの程度に自覚してそう振る舞ってるんだと思うけど、東浩紀の云う“ゼロ年代批評”も含めて80年代後半以降のそういう語り口は、結果として似ているだけで、なぜそういう語り口をせざるを得ないのかという“68年”的な問題意識の自覚はないと思う。だから、東浩紀のように柄谷らの語り口と“ゼロ年代批評”とのそれとの間に継承関係を見出すんじゃなくて、やっぱり断絶のほうを見なきゃいけないんじゃないだろうか。

53ページ上段に、これもやっぱり東発言ですが、「左翼が退潮したプレニューアカの時代には、左右の対立を乗り越える議論の枠組みをどう作るかが大きなテーマになっていた」とあります。違うよね? 「左翼が退潮したプレニューアカの時代」とか云ってるけど、その「プレニューアカ」の時代に活躍し始めた論客たちというのは、さっきの大澤聡の文章の中で挙げられてた面々を見ても明らかなように、全員左翼じゃないですか(笑)。“退潮した”のは“左翼”ではなく“旧左翼”で、“大きなテーマになっていた”のは“左右の対立を乗り越える議論の枠組みをどう作るか”とかではなく、“68年”的な新左翼ノンセクトの問題意識をどう言語化するか、ということです。“旧左翼”と“68年的な新左翼ノンセクト”の中間形態である“新左翼党派”も含めた“党”的な左翼のそれとは違う思想や理論が追求されていた。旧左翼的なものを引きずってる新左翼党派も含めて、“党”の“綱領”とかに象徴される“大きな物語”に依拠する左翼思想ではなく、ノンセクトが担った反差別や反公害その他の“個別課題”に象徴される“小さな物語”に依拠する左翼思想が模索されたわけですね。“68年以前”の左翼だけを“左翼”だと思えば、東浩紀の云うように「左翼が退潮したプレニューアカの時代」ってことになるんでしょうし、「左右の対立を乗り越える」つまり“右とか左とかってことではない”「議論の枠組みをどう作るかが大きなテーマになっていた」ってことになるんでしょうが、違うからさ(笑)。実際は、単に“新しい左翼理論”が追求されてたにすぎない(笑)。

藤村 だとしたら、竹田青嗣とか加藤典洋みたいな人たちの立場はどうなるの?

外山 竹田青嗣や加藤典洋も左翼じゃん(笑)。彼らのテーマも完全に“68年”の言語化でしょ? もちろん彼らの場合はここでの東浩紀と似たようなところがあって、“68年以前の左翼”を“左翼”ってことにしちゃってて、自分たちはそれとは違うし、したがって“左翼”ではない、というつもりでいるだろうけど。……ここで東浩紀が「左右の対立を乗り越える議論」と云ってる念頭には、そのすぐ後に福嶋亮大が引き合いに出す山崎正和とか、さらにそれを承けて東浩紀が引き合いに出す、「ダニエル・ベルやハーマン・カーンがやっていたポスト消費社会論」に対応する、「日本では未来学と呼ばれ、保守派の学者たちによって展開されてい」た諸々の議論の存在もあるようです。それらの議論はたしかに、ポストモダン論の主流である“68年”的な新左翼系論客の問題意識とも響き合うところがあって、実際、ニューアカ・ブームがそういう回路に接続されて、80年代日本の現状肯定イデオロギーとして回収されていったという側面について、笠井潔も『ユートピアの冒険』でさんざん批判してる。

藤村 スガさんの『1968年』にもあったように、牧田吉明とか、70年代に入ると“新左翼と新右翼の共闘”を模索する動きも盛んになるわけでしょ?

外山 それはここで東浩紀たちが云ってるのとはまた別の文脈だからなあ。たしかに70年代には“68年”をさらに前進させるためのさまざまな模索はありましたよ。それで“オカルト”や“偽史”に走る人たちもいたし、“左右共闘”を目指す動きも出てきたり……。

藤村 東浩紀も、「左右の対立を乗り越える議論」ではなく「“既成の”左右の対立を……」と云えばよかったのかな?

外山 だけどそもそも70年代に「左翼が退潮した」という認識が間違ってるんであって、70年代半ばあたりから“プレ・ニューアカ”として目立ち始めた人たち自身がまごうことなき左翼であって、“68年”の問題意識の延長線上であれこれ論じ合ってたんだもん。そこを押さえておかないとおかしな議論になってしまう。もちろん80年代前半にそれらがニューアカ・ブームで形骸化して、“68年”的な問題意識もなしくずし的に雲散霧消させられてしまうんで、“85年”以降の“動物の時代”に突入するんだけどさ。……それに東浩紀がここで「退潮した」と云ってる「左翼」って、まさに“68年”の全共闘のことでしょ。大澤聡の文章にあった、“70年代”は“激動の時代に挟まれた時代”だっていう、その場合の“1つ目の激動の時代”は“60年代の学生運動”を指してて、“70年代”はそれが“終わった”後の時代だ、って認識と重なってるわけです。完全に認識が間違ってる。“68年”的な“新しい左翼”が、「退潮した」どころかいよいよ主導権を握り始めた結果として、ポストモダン論が70年代半ばから勃興してくるんだよ。

欧米ではたぶん、ポストモダン思想が“68年”体験の言語化である、というのは改めてクドクド云うまでもない自明のことなんでしょう。しかし日本ではポストモダン思想を云々してる“批評シーン”の連中の間でさえそこらへんがちゃんと認識されてないんだよな。そもそも日本では、自らの“68年”体験を言語化する模索を独自に続けて、フランスのそれとかに近いところまで自力で到達してたのって、笠井潔ぐらいだもんね。まあ“模索”自体はそれこそ“プレ・ニューアカ期”にいろんな人がやったんだろうけど、最終的にはその“正解”が“フランス現代思想”として“輸入もの”として入ってきてしまう。だから“68年”以来の脈絡が、ポストモダン思想を云々してる当人たちにすら見失われてしまったんだとも思う。しかしそろそろ、そういう日本の“批評史”の特殊性に気づくべきだよ。この座談会に参加してる連中は、そのことにまだ気づきもせずに“批評史”を云々してる。

藤村 笠井さんが野間(易通)さんとの往復書簡(『3・11後の叛乱』集英社新書・2016年)の中で書いてたけど、欧米の新左翼には、日本の新左翼党派が持ってたような“前衛党”意識みたいなものが希薄だった、と。だから欧米のポストモダン思想というのは、“前衛党”的なものに依拠しない、まさに“新左翼の思想”ってことで分かりやすいんだけど、日本で“新左翼”と云えばまず想起されるのは中核派とか革マル派とか、旧左翼とまったく代わり映えのしない“前衛党”意識に凝り固まった勢力でしょ。

外山 新左翼の“党派”がそれなりの規模で存在したというのが、日本の新左翼運動史の特殊性だもんね。そこらへんはスガさんの『1968年』でも指摘されてた。日本でも“68年”の主役が“ノンセクト・ラジカル”であったことは欧米と同じなんだけど、日本的に特殊な存在である“巨大な新左翼党派”も完全な脇役には甘んじてなくて、あまり事情が分かってない後続世代から見た時に、むしろそっちのほうが目立ってしまったりする。で、それら党派が、内ゲバだの連合赤軍事件だの、ムチャクチャなことをやらかしまくって、それで当然のごとく70年代に入って“退潮”していくんだけど、みんなそっちにばかり目が行って、肝心の“ノンセクト・ラジカル”はべつに“退潮”なんかしてないし、むしろとくに内ゲバに巻き込まれたりしない“批評”や文化運動のシーンでは、70年代に入るといよいよヘゲモニーを掌握し始める、ってことが見えない。しかしそこらへんの亜インテリがそういう迷妄に陥ってしまうのは仕方ないけど、まがりなりにも00年代以降の“批評シーン”の中心にいる東浩紀までそれでは困るよ。そんなことではマトモな“批評”なんか出てくるはずがない。

参加者B(30代男性) 例の“理想の時代”、“虚構の時代”とかいうのも、世界的にはべつに共通認識でも何でもないでしょ?

外山 そりゃそうですよ(笑)。

参加者B 日本の狭い“批評シーン”の内側でだけの“共通認識”であって……。

外山 うん。“タコツボ”認識(笑)。

参加者 “68年”とか、あるいは冷戦構造が崩壊した“89年”とかを焦点化するほうが、世界的に通用するに決まってますもんね。

藤村 (東浩紀の他の著作をパラパラめくりながら)さっきから探してて見つからないんだけど、実は東浩紀も、“日本的ポストモダン”というものが、もともと欧米のポストモダン思想が持ってた政治性を捨象する形で輸入され流通したことについて、かなり以前から指摘して批判してるんです。……しかしポストモダン思想って、浅ーい戦後民主主義みたいなものと、わりと簡単に結びついちゃう可能性も持ってるでしょ。柄谷も“平和憲法を守れ”みたいなことを云い出しちゃうわけだしさ。あるいは“日本はアジアに対して悪いことをした”っていう、まさに“68年”的な認識の1つが全面化すると“ヘサヨ”にもなってしまう。

外山 “華青闘告発”問題ですな。

藤村 政治性を捨象して流通してしまったがゆえに、時間が経つと却ってショボい政治性と簡単に結びついてしまってるところもあると思う。

外山 “ヘサヨ”とも結びつくわ、“リベサヨ”とも結びつくわ……(笑)。

藤村 今どきの若い人文系の学者で、ポストモダン思想の影響を受けてない奴なんかほとんどいないはずだしね。その人がもともと持ってる政治的スタンスと、ポストモダン思想のいろんな便利なフレーズとが、テキトーに結びつけられる。

外山 なぜか“戦後民主主義批判”だけは語られないんだよなあ。それが日本の“68年”のメイン・スローガンの1つですらあったはずなのにさ(笑)。まあ“被害者視点での平和主義”への批判というところで、“68年”の“戦後民主主義批判”を継承してるつもりの人もいるみたいだけど。……なんかつい同じような愚痴ばっかり繰り返してしまうし、いっそ先に進みましょうか。

つづく

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