ポストモダン派(外部派)と共同体派(オルガン派)の対立 -東浩紀って、実はかなり『オルガン』右派と相性がいいのかもしれない ・・・『ゲンロン』 「昭和批評の諸問題 1975-1989」を読む(4) (外山恒一)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)

ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)

ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
(1)(2)(3)(4)

(3)からのつづき →

 紙版『人民の敵』販促シリーズの第4回目である。

 紙版『人民の敵』に掲載しているのと同様のコンテンツを別途作成して、こういうものが毎月読めるんだと具体的に提示することを目的として、紙版で最近よくコンテンツとしている、福岡での読書会での議論の全編書き起こしを、紙版用とは別個に1つ用意した。書き起こしたのは6月4日におこなった、東浩紀が中心となって刊行している雑誌『ゲンロン』創刊号(2015年12月)に掲載された、東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大の4名による座談会シリーズ「現代日本の批評」の第1回「昭和批評の諸問題 1975-1989」の読書会である。

 内容的には紙版に掲載されるものの平均値ぐらいの“面白さ”である気がする。紙版の定期購読の参考とされたい。

 


 

(「2.ニューアカと父の問題」黙読タイム)

 

外山 じゃあ何かあればどうぞ。

藤村 そうだなあ……。

外山 冒頭から大澤聡が話題にする「ポストモダン派と共同体派の対立」(57ページ)というのは、ぼくも『人民の敵』第27号での対談で藤村君に教えてもらうまで知らなかったことですけど、ぼくは批評シーンの主流派たる柄谷・浅田ラインと『オルガン』派との対立って、さっきも出てきた91年の“文学者の反戦声明”をめぐる問題からだという認識でずっといたんです。実際はここで大澤聡が解説してるような“前哨戦”が存在してたんですね。

藤村 「もちろん、『共同体派』は他称です」という説明もあるけど、浅田彰は当時、竹田青嗣や加藤典洋をもっと口汚く“ムラ派”とか呼んでた(笑)。

外山 どうも“外部派vs共同体派”って言葉で整理したのは上野千鶴子らしいですね。

藤村 そのことはオレも『人民の敵』で初めて知ったんだ。編集段階で外山君がちゃんと調べてくれたようで、頑張って調べてる姿を想像して、読みながらニヤニヤ笑ってしまいました(笑)。……さらに云えば、竹田・加藤の側も柄谷・浅田を“外部派”と呼んでたわけではない。

外山 うん、“眩惑派”と呼んでたんでしょ? 明治以来の日本の知識人の伝統で、“最新の思想”を欧米から輸入して、それをありがたがって“眩惑”されてるだけだ、あるいは外来思想の権威をカサに着て読者を“眩惑”してるだけだ、と。つまり“共同体派”はここにも説明のあるとおり、柄谷・浅田の側からする竹田・加藤への悪口であり他称の蔑称だし、“外部派”のほうは逆に竹田・加藤の側が柄谷・浅田に投げつけた悪口とかではなく柄谷・浅田の側の自画自賛的な自称であって、上野千鶴子は結局この論争を、柄谷・浅田の側に有利なように名づけたってことでしょう。

藤村 大澤聡は「浅田は当時かなりムカついたようで、ずいぶん感情的な文章になっている」と云ってるけど、どっちが先かはともかく、竹田青嗣の側もかなり感情的な、柄谷・浅田をバカにしきったような文章を書いてたよ(笑)。

外山 ……この座談会は、こういう部分には好感が持てる。『オルガン』派の存在って、もちろん柄谷・浅田ラインがずっとブイブイ云わせ続けてたからだろうけど、“批評史”とかを振り返る時にも無視されがちだったじゃん。こういう経緯をちゃんと掘り起こして言及するのは、まったく公正な態度だよ。だって90年代以降も、元『オルガン』派の人たちはずっとそれなりに活躍してたし、加藤典洋の『敗戦後論』なんか高橋哲哉との論争にまで発展してて、もちろん加藤・高橋論争についてはさすがに言及されることも多いとはいえ、たいていは単に加藤典洋の“右傾化”を揶揄するような言及の仕方でしかなかったりするもん。

東浩紀もさすがに時々はスルドいことも云うね。58ページ中段から下段にかけての、大澤聡が「外部派のほうがよっぽど共同体的じゃないかという批判」と形容してるような柄谷・浅田への批判は面白い。加藤&竹田が、批評ってのはムズカシゲなことをあれこれ云うんじゃなく、読者に対して「なんとなく、わかるでしょ?」というスタンスでいいはずだと主張したことを、自分がどっぷり浸かってる共同体の内部の人間しか相手にしてないと批判したはずの柄谷・浅田が、例の『近代日本の批評』の座談会では、「『他者』がいるかいないかという話をしているけれど、他者の定義はとくになくて、『だれそれには他者がいる、しかしこいつには他者がいないのでけしからん』と断罪する道具でしかない。『絶対的他者』や『相対的他者』という言葉も使って、『武田泰淳は意外と絶対的他者だと思う』『いや、相対的他者だと思う』みたいな話をしている」っていう(笑)、自分たちの“信者”向けの発言にしかなってないじゃないか、と。

藤村 しかし柄谷・浅田へのこういう批判も、実は小浜逸郎が『ニッポン思想の首領たち』(宝島社・94年)でとっくに書いてるけどね。

外山 そうなのか。

藤村 ほぼ同じ批判。……やっぱり東浩紀って、実はかなり『オルガン』右派と相性がいいのかもしれない(笑)。もちろん東浩紀は“共同体派”の側にはっきり立つことを表明したりはしないけどさ。加藤・竹田的な“直感主義”に同調するような書き方は絶対にしない。次回に読むんだろう『ゲンロン』第2号での座談会では、東浩紀は加藤典洋を大絶賛してて、オレもちょっと笑ってしまったけど、それも『敗戦後論』や『戦後的思考』といった個別具体的な著作を絶賛してるだけで、その背景にある加藤典洋の基本的スタンスそのものへの絶賛ではないしね。

外山 59ページからの、柄谷行人の例の“教える・学ぶ”関係についての議論に対する東浩紀の批判もなかなか面白い。柄谷が“教師”の立場からいろいろ云うことが、バカな“生徒”にはちっとも伝わらなくて、そこから柄谷は“他者”についてあれこれ考察するわけだ。しかし実はそれは“父と子”の関係みたいなもので、例えば柄谷は東浩紀のことを“父から見た子”のような“他者”だと思ってるんだろうけど、東浩紀の側は、自分は柄谷にとって“もっと他者”な気分でいるらしい。“私生児”ぐらいのレベルの“他者”なんじゃないか、っていうね。しかし柄谷にはどうも“父から見た子”以上にかけ離れた“他者”なんて視野に入ってないんじゃないか、という疑惑(笑)。

藤村 ……いきなりズレたことを云いますが、この59ページ上段の東浩紀の発言に「江藤淳は『父になる』ことを説いていましたが、それに対し柄谷行人は、江藤から遁走するような感じで『父になれないぼく』をテーマにして評論を書いていた」と云ってて、ここで云う“父になれない”というのをスガさん的な文脈に置き換えると“党を建設できない”ってことになるのかな?

外山 うん、そうでしょう。

藤村 “引き受ける”ってことだよね。

外山 63ページ下段の福嶋亮大の発言に、「江藤淳はひとまず『成熟』のひとですよね。成熟とは、自分の限界を受け入れる、喪失を受け入れるということでもある。別の言い方をすれば『不純』になることですね」というのがあって、これも同じようなことを云ってるんだと思う。……その前後にある「ネトウヨは江藤の『私生児』として生まれたと言えるんじゃないか」(東・64ページ)って話も、東浩紀用語でいう“誤配”のイメージでそう云ってるんだろうね(笑)。

藤村 でも“誤配”にしても、江藤淳の今のネトウヨへの影響力なんて、あまりないと思うけどさ。まあ“真実が覆い隠されている”みたいな論じ方自体はたしかにそっくりだけど。

外山 で、柄谷はやっぱり東浩紀がこだわってた“誤配”ということにピンときてなかったんじゃないか、という話も60ページから61ページにかけてあって、柄谷の視野の範囲内には“誤配”ではなく“誤解”ということしかなかったんじゃないか、と。たしかにそもそも柄谷は“教師と生徒”の関係で自分は“教師”の側にいる設定で、“云ってることが伝わらない”ことをあれこれ考察してるんであって、それは“誤解”のレベルの話だし、“誤解”というのは“正解”が存在して初めて“誤解”も生じるんだから、柄谷は“教師”という“正解の保持者”の立場から“誤解”する“他者”について云々してるってことでもある。たしかにそんなの実は“他者論”でも何でもないよなあ(笑)。もちろん東浩紀の云ってる“誤配”というのはさらにもっと違うレベルの話で、“柄谷先生”の云うことを“生徒”が理解するとかしないとかの話ではなく、教室で生徒に向けてあれこれ云ってたつもりが、たまたま廊下を通りかかった業者のオッサンか何かが柄谷の言葉の一部分だけ耳にして感銘を受けて、しかも完全にムチャクチャな“誤解”をしてて、その“誤解”に基づいて柄谷のあずかり知らぬところでとんでもない“実践”をやらかして大問題を起こしたりして、問いただしてみると“柄谷先生がこうおっしゃってたので”とか云うもんだから、柄谷のところに“どういうつもりだ?”って抗議が来て、“そんなもん責任とれねーよ!”みたいな話でしょ、たぶん(笑)。

……藤村君がさっき云ってた話も出てきたね。58ページ中段で、例の『わかりたいあなたのための現代思想・入門』について東浩紀が、「じつはぼくが最初に現代思想を勉強した本」だと実に好感の持てることを云っている(笑)。きっと中学生とかでニューアカ・ブームの洗礼を受けて、高校時代にはもうデリダとか読みまくってたような早熟なヘンタイ野郎に違いない、というのはどうもぼくの勝手な決めつけ、それこそ“誤解”だったようです。もっとも84年12月に出た本だから、刊行されてすぐ読んだんだとしたらやっぱり中1、中2だし、“疑惑”が完全に晴れたわけではない(笑)。それにもっと遅く、大学生になってから後追いで読んだんだとしても、左翼学生でもなかったくせに“ポストモダン思想”なんかに興味を持つ必然性が理解できん。なんでそんなもの“わかりたい”とか思ったのか?(笑) ぼくの場合は当然、まず“左翼道”を地道に歩んで、やがて限界に突き当たって、しかも“連合赤軍事件”とか“内ゲバ”とか“スターリン主義”とかの問題も決して他人事ではないっていうところにまで思索と経験が及んだ段階で初めて“ポストモダン思想”が視野に入ってきたんだもん。

藤村 東浩紀だって“運動”はしてたよ。

外山 マジっすか!? それは初耳だ。

藤村 中学生の時に「うる星やつら」を再放送しろって要求を掲げて……。

外山 いやいや、そういうんじゃなくてさ(笑)。

藤村 それで署名運動もやってるし、さらには高校時代の外山君と同じように、ラジカセで「うる星やつら」のサントラを鳴らしながら移動したりして……。

外山 親近感の持てるエピソードではあるが……(笑)。

藤村 そんなこと、よくやったよなあ。

外山 ぼくの“さだまさしの反戦歌”には遠く及ばないにしても、たしかにかなり恥ずかしい“活動歴”だ(笑)。立派! ……ちょっと時間も押してきたし、先に進みましょうか。

つづく

 

ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)

ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)

ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
(1)(2)(3)(4)