“批評”は社会に対してもはや何の影響も与えることはできないし、“批評シーン”なんて一部の好事家のタコツボにすぎない。重要なのはタコツボから出ることだ・・・『ゲンロン』 「昭和批評の諸問題 1975-1989」を読む(5) (外山恒一)


ゲンロン「昭和批評の諸問題」を読む
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 前々々々回(URL)からの紙版『人民の敵』販促シリーズの第5回目である。

紙版『人民の敵』に掲載しているのと同様のコンテンツを別途作成して、こういうものが毎月読めるんだと具体的に提示することを目的として、紙版で最近よくコンテンツとしている、福岡での読書会での議論の全編書き起こしを、紙版用とは別個に1つ用意した。書き起こしたのは6月4日におこなった、東浩紀が中心となって刊行している雑誌『ゲンロン』創刊号(2015年12月)に掲載された、東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大の4名による座談会シリーズ「現代日本の批評」の第1回「昭和批評の諸問題 1975-1989」の読書会である。

内容的には紙版に掲載されるものの平均値ぐらいの“面白さ”である気がする。紙版の定期購読の参考とされたい。

 


 

(「3.メディア論の視点から」黙読タイム)

外山 うーん……いかん、ますます東浩紀に親近感を持ってしまう(笑)。

藤村 それはどこらへんで?

外山 69ページ下段でいきなり“中島梓”の話を始めるじゃん。小説家の栗本薫の、評論家としての別ペンネームだけど、つまりれっきとした“文芸批評家”としての実績もあるし、70ページ上段でやっぱり東浩紀が云ってるように「『コミュニケーション不全症候群』(九一年)という先駆的なオタク論も出版し」てたりするのに、まさに「批評家たちは中島梓=栗本薫をうまく位置づけられずにきた」(大澤・70ページ)と思うし、まあ笠井潔は『コミュニケーション不全症候群』について論じてたけど、とくに“現代思想”を云々してるようなタイプの人たちが栗本薫に言及することなんかまずなさそうな印象だったから、突然ここで言及されててちょっと驚いた。やっぱり同世代なんだなあ、と。

藤村 竹田青嗣も『コミュニケーション不全症候群』の書評を書いてたよ。

外山 柄谷も中島梓のデビュー作である『文学の輪郭』については論じてたと書いてあるけど、基本的には“柄谷・浅田ライン”の人たちの視野には栗本薫は入ってないもんだと思ってたからさ。東浩紀ももともとそのラインから出てきた人だし、それが実は『オルガン』派の論客たちにも目配りしてたり、栗本薫に突然言及したりするもんだから、だいぶ印象が変わってきた。もっとも東浩紀は“オタク文化”とも親和的な人だから、そういう部分でたしかに栗本薫の存在が視野に入ってても不思議ではないんだけどさ。東浩紀が同じ箇所で、実は栗本薫が「他方でBL文化を立ち上げる仕事もやっている」って云ってるでしょ。これは個人的に琴線に触れる話で、ぼくが中学生時代に熟読してたのが、まさにコレなんだよね。

藤村 へー、そうなんだ。

外山 『JUNE』っていう、今から思えば“ゲイ雑誌”ってわけでもないけど、のちに云う“ボーイズ・ラブ”、つまり“ゲイ”ってテーマに特化した小説とマンガの少女向け雑誌があって、そこに栗本薫というか中島梓が、「小説道場」と題して、まあ糸井重里の“萬流コピー塾”みたいな、読者から募集した小説をあれこれ論評する形で“小説の書き方”を指南する連載を持ってたんです。もちろん募集は“ボーイズ・ラブ小説”限定ね(笑)。ぼくは当時、栗本薫に心酔してて、“そっちのケ”はまったくなかったし興味もなかったんだけど、とにかくその連載を毎号読みたいがために、何も知らない同級生にテキトーなこと云って、「ちょっとトイレ行ってくるから、もう時間もないし、その間にあそこにある『JUNE』って雑誌を代わりに買っといてくれない?」とかさ(笑)。東浩紀の云うように、もちろん栗本薫自身もそういう小説を何冊も書いてるし、たしかに“ボーイズ・ラブ文化”がジャンルとして立ち上がっていく基盤を作った人ではあるんだろうね。

参加者B 外山さんの文体も、実は栗本薫の影響だって云ってましたよね?

外山 そうなんですよ。今やほとんどその面影もないけど、こと“文体”に関しては、最も影響を受けたのは“赤川次郎と栗本薫”なんだ(笑)。中2ぐらいで文章ってものを書き始めた最初の時期だけど、「小説道場」も繰り返し熟読して、漢字と平仮名の使い分けとか、栗本薫が“指南”してるとおりに書いてた(笑)。

藤村 応募もしてたの?

外山 いやー、いくら栗本薫を尊敬してたとはいえ、さすがに“ゲイ小説”を自分も書こうってモチベーションはなかったな(笑)。……ともかく東浩紀が意外と“同世代”っぽいことを次々と云うから驚いてますよ。ただ東浩紀の場合は“政治運動”の経験がないし、そのシーンが視野にも入ってないから、歴史認識に関してズレまくってて、アニメの話だけしてりゃいいのに、それ以外の“社会”とか“政治”とかまで含めたウソの歴史をさんざん広めるもんだから、迷惑してムカついてるんだけどさ。

66ページ下段5行目から大澤聡が、「七〇年代半ば以降に相当する批評史は途端に困難になる。史的叙述の定番も存在しない。文芸批評が批評の全体性を体現しえない」と云ってますが、何度も云ってるように、80年代半ば以降は“批評シーン”そのものが“社会全体”にとって何ほどの重要性もない、無数に並立するタコツボの1つになってて、だから“批評”が社会に対してもはや何の影響も与えることはできないんです。かつてはそれなりに影響を与えてたと思うよ。ところが80年代半ば以降はそうではないから、したがって91年の“文学者の反戦声明”だって何の意味もないし、批評シーンで80年代半ば以降に起きる諸々は、社会的には何のインパクトも持ちえない。そういう現実について自覚が欠落してるんじゃないか、というのがこの座談会を読んでてずっと感じてる疑問だし、大澤聡のこういう発言にも表れてるように思う。

藤村 もちろんぼくにもリアルタイムでの記憶はないけど、80年代前半の“文学者の反核声明”なんかはどうだったんだろう?

外山 あれはそれなりの“事件”でしょう。“反核声明”自体も、それに対する吉本隆明の批判とかも、社会全体をかなり動かした。それと前後する“ニューアカ・ブーム”も“社会的”な出来事だし、だからやっぱり“批評史”が本当に何か意味あるものとして記述できなくなるのは、「七〇年代半ば以降」ではなくて80年代半ば以降だよ。あるいは70年代半ば以降、80年代半ばまでというのは、“批評”がそういう社会的意味を失っていく過程として記述しうるのかもしれない。で、80年代半ば以降というのは、そんなもの記述しようとすること自体が無意味になる。80年代半ば以降は、“批評シーン”なんて一部の好事家のタコツボにすぎないんだし、そんなとこで起きた諸々について“歴史”を書いたって何の意味もない(笑)。だからこそ、これはぼくのスタンスの表明にすぎないけど、“政治の優位”を掲げなきゃいけないんだ。

……これもやっぱり大澤って人が云ってるのか。67ページ中段で、この人は、70年代後半以降の“批評史”を構想するためには“文芸批評”以外の“批評”も組み入れる必要があって、そうなると逆に、すでに教科書的に一定整理されている感のある70年代半ば以前の“批評史”のほうも、そういう視点から再検証して記述し直す必要がある、というようなことを云ってますね。しかしそれを実際すでにやり始めてるのがスガさんだったりすると思うんだよ。スガさんは、これまでのように狭い意味での“文学”だけを云々するのでなく、新左翼党派のイデオローグの“政治論文”とかから引っ張ってきた言葉と、狭義の“文学”や“文芸批評”のそれとを同等に扱いながら、従来の“教科書的”な歴史観を転倒させるような試みを盛んに繰り返してるよね。ぼくが“政治活動家”だからそう云うのかもしれないが、やっぱりむしろ“政治運動シーン”の推移を軸として歴史を記述し、狭義の“批評シーン”なんかもそれを構成する“部分”にすぎないものとして組み込む、という方向でないと“歴史の全体性”のようなものは成立させられないと思う。例えばさっきも云ったように、タコツボと化した批評シーンの中の出来事しか視野に入ってないと、90年代のどこかの時点で急に“ポストモダンの左旋回”と形容されるような変化が生じたことに関しても、それ以前の断絶しっぱなしだった“批評シーン”と“政治運動シーン”とを仲介した“だめ連”の存在の重要性に気づくことができなくて、批評シーンの内側だけにその原因を探し求めて、やっぱり91年の“文学者の反戦声明”が画期なのかなあ、みたいなウソ歴史をデッチ上げてしまう。

藤村 “批評”の枠組を広げるってことに関して、67ページ中段から下段にかけて東浩紀が、また『近代日本の批評』座談会でのエピソードに言及してて、三浦雅士が山口昌男と大江健三郎の“共通性”について話題にしようとするんだけど、柄谷や蓮實はそれに乗ろうとはせず、テキトーな放言をしてケムに巻いて済ませちゃってる、と。つまり三浦雅士は、外山君の云う“政治”ではないけど、狭義の“文学”についてだけ論じるんじゃなく、“思想シーン”の山口昌男の存在を“文学シーン”の大江健三郎と同等の比重で論じることで、せっかく“文芸批評”の常識的な狭い枠組からはみ出そうとしたのに、柄谷・蓮實がそれを拒絶した、と東浩紀は解釈してるのかな?

外山 ここでの発言の主旨としてはそうでしょう。それにこの後、70ページから吉本隆明の『マス・イメージ論』を引き合いに出して、80年代に入ると吉本が狭義の“文芸批評”からはみ出して、少女マンガとかのポップ・カルチャーについても盛んに論じ始めたことに注目してるけど、柄谷・浅田はやっぱり吉本のそういう振る舞いについてかなりバカにしてたでしょう。

藤村 しかし柄谷や蓮實ほどの人ともなれば当然、外山君がいつも云ってる“政治・芸術・学問”という3分野の三位一体性ってことぐらい理解してるはずで、しかもそれを理解してる人であれば、仮にその3つのうちのどれかに優位性を認めるとすれば、当然やっぱり“政治の優位”を認めるだろうから……(笑)。つまり、柄谷・蓮實が『近代日本の批評』座談会で三浦雅士の提起を「結局、山口よりも大江のほうが頭がいい」で済ませてはぐらかしたことについて、東浩紀は、「三浦さんが新しいプラットフォームを作らねばという意識のうえで行った問題提起が、柄谷と蓮實においては、思想に対する文学の優位というふうに処理されている」(67ページ)と批判的に解釈してるけど、これは実はそうじゃなくて、柄谷・蓮實は“大江のほうが政治的に正しい”と云っただけなんじゃないか。

外山 ん? ああ、柄谷・蓮實は自分たちも“文学”の枠内の存在として“思想”の山口昌男より“同じ文学”の大江健三郎の肩を持ったんじゃなくて、実は“文学”でも“思想”でもなく“政治”枠の立場から山口昌男と大江健三郎の仕事の政治的価値を比較して判定を下しただけなんじゃないか、ってこと?

藤村 そうそう(笑)。いや、この東浩紀の説明だけでは、なんで柄谷・蓮實が「思想に対する文学の優位」を表明したことになるのかよく分からなくて、別の解釈も成り立たないかと思っただけなんだけどさ。

外山 なるほど。単に東浩紀が“政治オンチ”で、柄谷・蓮實の“政治的発言”を誤読してる可能性もある、と。

藤村 だって、この座談会でなんで東浩紀がずっと『批評空間』をディスってるかと云えば、それが要は“党派的”な存在になってしまったから、ってことでしょ。仮に実際そうだったとして、そしたらますます「思想に対する文学の優位」なんて立場には立ちそうにない気がするもん。そんな立場はむしろ『オルガン』派っぽい。

外山 とくに『オルガン』右派はそうかもしれないね。……しかしまあ、『近代日本の批評』の当該部分を確かめもせずに想像で東浩紀の解釈が正しいのかどうかを云々しててもしようがないんで(笑)、話を変えますけど、いずれにせよここで東浩紀たちは、例えば吉本隆明が“批評”の対象を狭義の“文学”以外にも拡張しようとしたことを、それが上手くいったかどうかは別として、“その志や良し”的に評価してて、彼ら自身もそういう方向に可能性を見出そうとしてるようですけど、それって要はあくまで引き続きタコツボ化した批評シーンの内部にとどまって、ただその領域を拡張しましょうって話でしょ。もっと広いタコツボにしましょうというか、近隣の他のタコツボとの合併を考えましょうというか(笑)。そうではなく、重要なのはタコツボを出ることだし、それはイコール、“野蛮な情熱”でもって“政治の優位”を掲げるということですよ。

……18時までの予定がもう19時近くなってますが、ここで切って“続きは次回”にすると今日の内容を忘れちゃいそうなんで、最後までやりましょう。ちょっとスピードアップして、では第4節を。

つづく

 

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