ネトウヨにしてもパヨクにしても東浩紀が何を云ってるか、なんてことはまったく視野に入れてない。それが深刻な問題として意識されてない・・・『ゲンロン』 「昭和批評の諸問題 1975-1989」を読む(7) (外山恒一)


ゲンロン「昭和批評の諸問題」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題」を読む
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(6)からのつづき →

 前々々々々々回からの紙版『人民の敵』販促シリーズの第7回目、最終回である。

 紙版『人民の敵』に掲載しているのと同様のコンテンツを別途作成して、こういうものが毎月読めるんだと具体的に提示することを目的として、紙版で最近よくコンテンツとしている、福岡での読書会での議論の全編書き起こしを、紙版用とは別個に1つ用意した。書き起こしたのは6月4日におこなった、東浩紀が中心となって刊行している雑誌『ゲンロン』創刊号(2015年12月)に掲載された、東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大の4名による座談会シリーズ「現代日本の批評」の第1回「昭和批評の諸問題 1975-1989」の読書会である。

 内容的には紙版に掲載されるものの平均値ぐらいの“面白さ”である気がする。紙版の定期購読の参考とされたい。

 


 

(「5.制度化する現代思想」黙読タイム)

 

外山 いかがでしょうか?

参加者A 83ページ下段に出てくる「リゾーム」ってのが、ウィキペディアで調べてみても今ひとつよく分からないんですけど……。

外山 ああ、これはまあ、「ニューアカを象徴する言葉が『リゾーム』ですよね」といきなり云われてるとおりで(笑)、当時は半ば“流行語”ですらあったらしいんだが……ポストモダン思想の文脈では、“ツリー”って言葉と対義語的に使われるんです。“ツリー”はもちろん“木”で、まず幹があってそれが枝分かれして、枝もまず大枝がいくつか分かれて、そのそれぞれがまたいくつもの小枝に分かれて、その先にまたさらに細い小枝が分かれてるような、“体系的な階層構造”みたいになってるでしょ。そういうのが“ツリー”ね。つまり“共産党”みたいなものですよ。中心にまずドーンと“中央委員会”があって、“都道府県委員会”があって、“ナントカ地区委員会”があって、“ナントカ工場細胞”とかがあるような構造。それに対して“リゾーム”というのは、日本語では根っこと茎で“根茎”とか訳されてるけど、まあ“芋”みたいな植物を思い浮かべたらいいです。どこが“中心”ってわけでもなく、地下で無秩序にいろんな方向に伸びてて、あちこちに大きな芋があったり小さな芋があったり、その芋どうしもどこがどうつながってるのか分からないし、成り行きでそうなってるだけでとくに法則とかもない。そういうのが“リゾーム”です。だから結局、旧左翼的な“前衛党”と“68年”的な“新左翼ノンセクト・ラジカル”を比喩的に云ってるわけですね。ポストモダン思想の文脈では、“リゾーム”が善で“ツリー”が悪の象徴(笑)。

参加者A なるほど。

外山 ……84ページ上段で市川真人が云ってるように、“ニューアカ”的なものも含めて、従来のアカデミズムからはみ出すものとして登場したさまざまな言論を、90年代以降は「大学が吸収し、制度化していったという流れ」があって、それに対する彼らの苛立ちのようなものは、もちろんぼくも共有できるんですけどね。その延長で中沢新一とか持ち上げるのはちょっといかがなものかとは思うが(笑)、云わんとするところはまあ分からんでもない。アカデミズムの言説では学術的な根拠のない思いつきみたいな大風呂敷を広げることはできないんで、知的な物云いというのが全部アカデミズムに囲い込まれると、かつて“総会屋雑誌”とかに新左翼の怪しげなイデオローグたちが書きまくってたような、“うさん臭いかもしれないが刺激的で壮大な言説”みたいなのは登場できなくなる。そういう中で中沢新一はなかなか頑張っている、ということでしょう(笑)。

藤村 もともと中沢新一は東京外大の助手だったよね。それを西部邁とかが東大に呼ぼうとして……。

外山 87ページ上段の最後の行にある「八八年の東大中沢事件」ってやつですね。88年時点の東大では中沢新一みたいなうさん臭い人は受け入れてもらえず、その件で怒った西部邁も東大を辞めちゃうという騒動になるんですが、90年代前半ぐらいから雰囲気が変わってきて、今や東大は、“ニューアカ”的なものも含めて、“表象文化論”がどうこう、サブカルっぽい“新しげな学問”の発信源みたいになってるでしょう。同じく87ページ上段にあるように、94年には『知の技法』っていう、そういう方向性が濃厚な教養学部の教科書が市販されてベストセラーになったりして、それを大澤聡は「中沢事件以降の反動でもあったはずです」と評してますが、さらに90年代後半になると蓮實重彦が東大総長になってしまうということまで起きる(97〜01年)。

藤村 ……この節を読むと、はたしてこういう座談会に何の意味があるんだろうっていう根本的な疑問が湧き上がってくるよ(笑)。89ページ中段から下段にかけて大澤聡が、『ソシオロゴス』っていう社会学系の雑誌を経由して80年代後半に出てきたような著作を、

「橋爪大三郎『言語ゲームと社会理論』(八五年)、内田隆三『消費社会と権力』(八七年)、大澤真幸『行為の代数学』(八八年)、宮台真司『権力の予期理論』(八九年)といったあたり。上野千鶴子もここに入れていい」

と列挙しつつ、しかし同時に、

「これらを『批評』と呼ぶべきかどうか。判断が分かれるところですね」

とか云ってる。つまりこれらの書き手はアカデミシャンだし、厳密な方法論に則って学術的に論じる人たちであって、彼らがジャーナリズムに書く文章は“社会評論”とか“政治評論”とは云えるかもしれないが、従来の感覚からすれば“批評”と呼ぶには抵抗があるわけだ。しかしそういうものも“批評”の枠に入れて考えることにしないと、だって例えば宮台真司は映画も文学も論じるし、まさに“横断的”な人で、“批評”にだいぶ近づいてくるわけだよね。最後のほう、91ページ上段で東浩紀が語ってるとおり、かつてはマルクス主義というものがあって、

「マルクス主義は『大きな物語』そのものだから、マルクス主義と結びつけてさえいれば、文学について語っていても、美術や音楽について語っていても、自動的に世界について語っていることになっていた」

・・・んです。マルクス主義はグランド・セオリーなんで、“横断”なんてことをわざわざ志向するまでもなく、すべてのジャンルを横断しちゃう。それに対抗する小林秀雄とかの反マルクス主義の側も、対抗するために自然とすべてのジャンルを横断することになる。そういうマルクス主義のようなものが失効したために、今では個々のジャンルがバラバラに放置されているような状況になってるんだけど、そういう中で「批評の越境性をどう回復するかが課題です」(東・91ページ)というふうに云われてるわけだ。でも、そうすると、この座談会で延々とやってるような、あくまでも“文学”を足場にしてそこから多少なりとも他のポップカルチャーとかにも手を伸ばすような“批評”のあり方とは違ってこなきゃいけないんじゃないかという気がする。この座談会はまだ冷戦崩壊の89年までを対象としてるからギリギリどうにかなってるとはいえ、やっぱり『批評空間』中心史観というか、たとえ批判的にではあれやがて『批評空間』に結集していくラインを軸に“批評史”を論じてたりするよね。そういうのがはたしてどれほど有効なのか、大いに疑問だよ。

外山 ニューアカ以降の批評が、サブカルチャー的なものも対象に組み込むようになったことを彼らは肯定的に捉えていて、その流れで吉本隆明の『マス・イメージ論』とかにも言及があったりするけど、そういう“越境的な批評”みたいなものも含めた批評シーン全体が今や1つのタコツボと化しているということについて、認識が足りないというか、ちょっと甘すぎるんじゃないかという気がぼくはずっとしてる。藤村君の云う“『批評空間』中心史観”の問題で云えば、もはや『批評空間』そのものが社会的には何ほどのものでもなかったわけだ(笑)。

藤村 彼らの云うように、いろんな書き手をリクルートしたり育てたりといった役割ははたしたんだろうけど……。

外山 そういう“『批評空間』出身”の書き手たちが批評シーンというタコツボの新たな住人になっていくようなものでしかないでしょ。“越境”なんてことを志向するんだったら、“批評”と“それ以外”とを越境しなきゃダメなんだ。批評シーンの中に身を置いたまま、批評の対象を拡大するというような方向が“越境”になりうると思ってるようではダメで、批評シーンそのものがタコツボになっている現実を直視すべきだよ。

藤村 東浩紀はおそらく、80年代のポストモダン論客たちの批評と自分たちのそれとの連続性を確保したくて、それで“『批評空間』中心史観”になっちゃうんだろうし、それはそれで試みとしてはよく分かる。そういうことも必要かもしれない。でも、オレはすでにこの後の『ゲンロン』第2号の座談会にもちょっと目を通してるんだけど、そんな枠組のまま90年代以降の“平成批評の諸問題”を論じるのは無理があるだろう(笑)。

外山 この節の冒頭近く、82ページ中段で東浩紀が、「七〇年代の『現代思想』や八〇年代の『へるめす』とちがい、九〇年代の『批評空間』は『シーン』を作らなかった」と云ってますが、90年代というか“85年以降”はそもそもそういう時代、“批評”なんていう営為そのものが1つのタコツボと化してしまってる時代なんであって、それらの媒体を作ってた側の主体的な力量や意志の問題ではない。東浩紀がこういうふうに云うのは、意志や努力でまだ何とかできると思ってるっぽい。

かつては思想や学問の言葉と、政治的な運動の現場の言葉というのは、どっちが“優位”だったかはともかく、お互いに意識し合ってたわけです。しかし今や、ネトウヨにしてもパヨクにしても、例えば東浩紀が何を云ってるか、なんてことはまったく視野に入れてないよね。柄谷行人とか、名前も知らない人がほとんどでしょう(笑)。そういうこと自体が、この座談会に参加してる人たちには深刻な問題として意識されてない気がする。そういう状況なんだから、90年代の『批評空間』が“シーン”を作れないのも当たり前なんだ。批評シーンとその外とが端的に切れてるんだもん。そんな中でいくら主体的に努力したって、せいぜい“『批評空間』シーン”しか作れませんよ(笑)。“だめ連”界隈では、そういうタコツボの住人たちが“『批評空間』熟読系”って茶化されてましたけどね(笑)。タコツボを出ることを志向しないかぎりは、ニューアカ的なものが結局は大学という空間に囲い込まれていったように、“『批評空間』シーン”に好事家たちを囲い込むような“シーン”の作り方しかできない。

……83ページ上段の市川真人の、60年代のある時期までは“フランス現代思想”はほぼリアルタイムで日本にも入ってきてたのに、「それが、おそらくは六八年のショックで止まってしまい、止まった時計の針を本格的に動かしたのが、柄谷さんや浅田さんだったのだと思います」っていう発言も、困ったもんだね(笑)。連合赤軍事件とか内ゲバとか、“68年”の“その後”があまりにも悲惨だったために、って意味ならまあそうとも云えなくはないぐらいには容認できるけどさ。

藤村 「六八年のショックで」という云い方はあまりにも乱暴だ(笑)。

外山 ポスト構造主義とか呼ばれた一群の思想はむしろ「六八年のショックで」フランスに登場したようなものであって、しかも「六八年のショック」はフランスも日本もアメリカもドイツも同様に経験したわけですよ。で、ボードリヤールやデリダやドゥルーズ=ガタリが模索し始めたのとほぼ同じようなことを、スガさんに云わせれば例えば津村喬なんかが、笠井潔に云わせれば笠井潔だけが(笑)、つまり“68年”の経験を言語化しようって模索を日本でも始めるんだ。しかし日本国内でおこなわれてたそういう模索をほとんどまったく無視して、80年前後になってフランスからそういうのを輸入してくるのが、日本の歪んだ“ポストモダン・ブーム”だよね。しかも政治性を捨象して輸入するもんだから、日本の“68年以降”の政治的経験に基づいた例えば笠井潔の“ポストモダン思想”は、ニューアカ・ブームで話題の“ポストモダン思想”とは噛み合わなくなってしまう。……市川真人のこんなトンチンカンな発言に、大澤聡が「的確な整理ですね」って応じてるんだからアタマ抱えちゃうよ(笑)。

藤村 それに続く83ページ中段の東浩紀の発言の中に、「七〇年代から八〇年代にかけて、フランス現代思想をよくわからないままに換骨奪胎しようとしていた時代こそが、本当の意味で世界性があったんじゃないかと思います」とあるけど……。

外山 そんなところに世界性なんかありません。フランスの思想家たちがフランスでやってたのと同じように、同時期の日本で、日本の“68年”を言語化しようとしてた津村喬や笠井潔の模索にこそ「本当の意味で世界性があった」んです。まあこの東浩紀の発言は、90年代以降にアカデミズムの世界に囲い込まれてしまったものよりずっとマシだ、という主旨ではあるけどさ。それに東浩紀は、70年代から80年代にかけてやっぱり“フランス現代思想”が輸入されていろいろ物議をかもしていたアメリカと同時代性があると云ってるんであって、フランスと同時代性があると云ってるわけでもないしね。……とにかく、政治運動シーンの動向と思想的なシーンの動向との、“こういう事情があって断絶してる”ってことも含めての並行性が視野に入ってないから、彼らはこんなヘンテコな歴史認識を平然と表明できるんだ。

藤村君の云うように、たしかにこの“89年まで”を対象とした“批評史”の試みであれば、“批評シーンそのものがタコツボ化していく過程”として描きようもあるけど、それ以降となるともう完全に“タコツボの中の話”にしかなりようがないから、何をどう語ろうというのか楽しみではあります。

東野 やっぱり来週も続けるんですか? ……キッツいですよ、これ(笑)。歴史の認識が徹頭徹尾、間違いまくってるじゃないですか。

外山 でもこういう間違った歴史観のほうがむしろ今は圧倒的に優勢なんだからさ。彼らが具体的にどう間違ってて、その結果どういうふうに現状を誤認してしまっていて、それらに対してどこからどう突っ込めば多少なりとも話が噛み合うのか、我々は彼らと違って政治サイドの人間なんですから、ちゃんと考えていく崇高な使命を負ってるんです(笑)。

〈完〉

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