新人類世代の論客たちがデッチ上げた、ウソの歴史観に乗せられすぎだよ -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題1989-2001」を読む(1)  (外山恒一)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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東浩紀が中心となって刊行している雑誌『ゲンロン』創刊号(2015年12月)に掲載された、東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大の4名による座談会シリーズ「現代日本の批評」の第1回「昭和批評の諸問題 1975-1989」をテキストに、福岡の“外山界隈”で6月4日におこなった読書会の模様を、全編テープ起こしの形でレポートした。

その中で、これは3週にわたっておこなう、つまり6月11日と18日にもそれぞれ『ゲンロン』第2号および第4号掲載の東らの座談会をテキストとする読書会をおこなうと予告してあるとおり、3回シリーズの座談会にこちらも3回シリーズの読書会で対処したので、前回までと同様のスタイルで引き続きレポートを続ける。

『ゲンロン』第2号掲載の「現代日本の批評」座談会シリーズ第2回「平成批評の諸問題」の読書会テープ起こしは、やっぱり超長いんで、5回に分けてレポートすることになる予定である。

 

なお前回までのそれと同様、これは紙版『人民の敵』に掲載しているのと同様のコンテンツを別途作成して、こういうものが毎月読めるんだと具体的に提示することを目的として、紙版で最近よくコンテンツとしている、福岡での読書会での議論の全編書き起こしを、紙版用とは別個にこのweb版用に用意する、という趣旨である。紙版の定期購読の参考とされたい。

 


 

東野 前回って、最後まで終わりましたっけ?

外山 全部やったよ。東野君は前回、とくに後半はもうウンザリしてたようだから記憶から抹消してるんだね(笑)。でも続きをやります(笑)。

東浩紀が中心となって刊行している『ゲンロン』という雑誌に3回にわたって掲載された「現代日本の批評」という座談会をテキストとした読書会を、こちらも3週にわたって続けようという、今日はその第2週目です。座談会は、柄谷行人や浅田彰らが89年から90年にかけて『季刊思潮』という雑誌でおこなった「昭和批評の諸問題」という連続座談会を踏まえて、“批判的に”ということもあるとは思いますが、それを継承というか“続き”をやろうという試みなんでしょう。東らの座談会は、“89年まで”を扱った柄谷らのそれとも重なりつつ、1975年から、第3回座談会がおこなわれた2016年までの、40年間あまりを対象としています。

で、先週読んだ第1回座談会が、柄谷らのそれと同じく「昭和批評の諸問題」と題して、75年から89年までを対象としたものでした。今日読んでいく第2回座談会「平成批評の諸問題」は、2016年4月に刊行された『ゲンロン』第2号に掲載されたもので、座談会のメンバーは前回と同じく、東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大の4人。89年から01年までを対象としていますが、01年というのは云うまでもなく“9・11”の年、アルカイダによる“アメリカ同時多発テロ”が起きた年ですね。それはやはり東らがそこに、それ以前と以後を分ける歴史の大きな切断線を見ているためなんでしょうが、その歴史観がはたして本当に妥当なのかどうか、ということも含めて今日は検討していくことになると思います。最近流行の若い、というかぼくと同世代以下の30代40代の“軟弱ヘナチョコ文化人”どもの言説をチェックするという、引き続き“検閲”モードの読書会ですが(笑)、まあ何というか、彼らの云いぶんも聞いてやろうじゃないか、ぐらいのつもりで開催してます。

前回すごく時間がかかってしまったので、今回はトバしていきましょうか。前回は座談会メンバーの1人が担当して事前に書いているらしい、議論の叩き台としての「基調報告」の部分も前半と後半の2回に分けて読んだので、そこでだいぶ時間を取られたこともあり、今回はそこは一気に済ませてしまおうか、と。じゃあ124ページから135ページまで、市川真人による「基調報告」を各自、黙読してください。

 


 (市川真人「[基調報告]一九八九年の地殻変動」黙読タイム)


 

外山 さて何かありますか?

藤村 132ページに「テマティック」、「テマティスト」という言葉が出てきますよね。電子辞書で調べてもよく分からなかったんですが……。

外山 実はぼくもそうで、ネットで検索してみました(笑)。

藤村 オレも一応、ネットでも調べてみたんだ。そしたらブログとかで「テマティスム」という言葉を使ってる人はそこそこいるんだけど、何の説明もなく、そんな言葉は知ってて当然であるかのような書き方ばっかりでさ(笑)。

外山 どうも語根は“テーマ”と同じみたいですね。想像で云うしかないけど、つまり作品の“主題”を主に論じるような批評が「テマティスム」なんじゃないでしょうか。「フォルマリズム」つまり“形式主義”と対義語的に使ってる人もいたし、“内容”に注目するか“形式”に注目するか、ってことなのかなあ、と。

東野 ……こんなの出てきましたよ。「“テマティスム”を検索しても、何もネット上で該当するものが見つけられないから、“わからない”。これが、ネット世代・検索世代の“わからない”の意味」(笑)。

外山 実に見事な“批評”だけど(笑)、それは一体何ですか?

東野 「テマティスム 意味」で検索したら出てきたんですけど、誰かのツイッターでの呟きのようですね。

外山 我々は“ネット世代”なんぞではないので、検索して何も出てこなくても文脈から推理あるいは想像して、せめて“分かったつもり”になりましょう(笑)。……他に何かありますか?

まあ、歴史認識がトンチンカンであるという問題については、この人たちの議論は全部そうなんで後回しにして、“89年から01年まで”をテーマとした座談会のための「基調報告」なのに、あんまりそんな感じのしない文章だね。でもタイトルからして「一九八九年の地殻変動」だし、それは意識的に、まず“89年”に焦点を当てて議論の出発点を提示しようとしてるのかもしれないけどさ。

藤村 主に参照されてる大塚英志の言説は、80年代のものでしょ。それが89年以後、90年代にいよいよ現実化してきたという話じゃないかな。

外山 大塚英志の『少女民俗学』はいつ出たんだっけ? 引用されてる『Mの世代』(太田出版・89年)での大塚英志と中森明夫との対談の中で言及されてるんだから、89年以前に出てるんでしょうけど……。

藤村 あ、89年ですね。添付の年表に載ってる。じゃあ『少女民俗学』も“89年以後”の批評の中にギリギリ含まれてるのか。

外山 ともかく全体的にほぼ共感できない文章でしたが(笑)、それでも多少はぼくの認識とも重なってるのかなと云えなくもないのは、129ページの、第3節に入った1行目にある「八九年からの時代は、それまでの『ポストモダン』状況も含めた“近代”と、現実に訪れた“ポスト近代”との端境期だった」という箇所ですね。おそらくこれは“89年から01年まで”の時代ということで、01年以降はもう完全な「ポスト近代」だという認識でもあるでしょう。細かいことを云えば、ぼくはそれを“85年から95年まで”と考えてますけど、そういう「端境期」がこのあたりに存在するという点については、そのとおりだとぼくも思う。

藤村 全体としては要するに、柄谷が『日本近代文学の起源』(80年・講談社文芸文庫)で、“内面”とか、あるいは“児童”なんてものは近代になってから“発見”されたものにすぎない、ということを「近代国家という“制度=物語”」のもとでの抑圧の問題と絡めて、つまり否定的に論じていたのに対して、大塚英志はそこに「少女」を発見し、「“少女=消費”を肯定する」という形で、柄谷とは違う視点を提示した、と。90年代をとおして、そうした大塚的な発想が主流になって、いわば“消費者優位”の言説を拡散していった。やがて柄谷はそういう状況を背景に、今度はNAM(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント。柄谷の提唱によって00年に結成され03年に解散した“資本と国家への対抗運動”)のような形で、“消費者運動”を模索する方向に向かったけど、消費社会を支える主体のリアリティを捉え損なっていたために失敗した、と市川さんは見ている。

外山 市川真人は、大塚英志のほうをより高く評価してるわけだよね。

藤村 もちろんそうです。

外山 柄谷的なものから大塚的なものへと“批評”のあり方が変わっていくという点でも「端境期」で、端境期なんだから大塚が優位に見える局面もあれば柄谷が優位に見える局面もあるけど、大きな流れとしては次第に大塚的なもののほうが勝利を収めていく。そしてその大塚を引き継いで登場したのが東浩紀である、という歴史観が表明されてるんでしょう。

藤村 うん、そうだと思う。

外山 市川真人自身も大塚・東のラインを支持してる。この座談会自体がそもそも、柄谷らを中心とした“思想地図”から東らを中心とした“思想地図”への転換を図る、いわば批評シーンでのヘゲモニー奪取を目論んだものだと思うし、だからこそ柄谷はすでに大塚や東によって乗り越えられたという歴史観が提示されているようにも思うが、“消費者”というものをそもそも敵視しているファシストとしては、こういう歴史観にはつい反射的に反感を抱いてしまう(笑)。まあ、彼らの歴史観はこうだ、ととりあえず受け止めておきます。

藤村 オレも個々の具体的な出来事に対する評価に関してはすごく違和感がある。例えば小林よしのりに対する評価だよね。129ページ下段で、『ゴーマニズム宣言』の“決めフレーズ”である「ゴーマンかましてよかですか?」について、「“傲慢でありながらも、その傲慢を『読者の許可』を得て行う”著者の消費者優位の装い(傍点8字)に他ならない」とされている。この解釈はどうなんだ、っていう。オレは小林よしのりに対する評価が一番高いのは“今”で、この90年代の小林よしのりは全然好きではなかったが、この解釈は違うだろうと思う。

外山 ぼくもその箇所には“?”マークをつけた(笑)。

藤村 “正義”を天真爛漫に語ることができなくなった時代状況の中で、それでも“正義”を語らなくちゃいけないという、だからあえて「ゴーマンかましてよかですか?」と“ワン・クッション”を置いてるんだと思うよ。「著者の消費者優位の装い」とかではない。

外山 ある種の“照れ隠し”でしょう。大仰な物云い、“天下国家”を論じるようなことが忌避されているという、まあぼくに云わせればそれ自体が“迷信”なんだが(笑)、その迷信を当時の小林よしのりも共有していて、だから“政治”や“社会”について“一言もの申す!”的な場面では“照れ”が入る。

藤村 それに『ゴーマニズム』の読者はともかく、小林自身は、部落解放同盟の人たちと対話したり、HIV訴訟に関わったり、やがては“新しい歴史教科書をつくる会”に関わったり、個々の評価はさておき、一貫してアクティヴィストだった。つまり小林よしのりは“消費者”としては振る舞ってこなかったし、読者たちもそういう小林に喝采を送ったわけです。大塚英志的な“消費社会の肯定”みたいな文脈で捉えるのはヘンだよ。

外山 ネトウヨの大量発生に関しては、小林はかなり責任があるとは思うが、ネトウヨ的なものって結局は“消費者”ってことでもあるし、だからこんなふうに強引に結びつけられてしまってるようにも思う。

藤村 しかし小林は、自分の読者のネトウヨ化、つまり自分の言説が“消費”されるような状況になると、敢然と、そういう読者たちとは違う立場に移行して、今では“反米保守”の人になってたりする。……小林よしのりの扱い方もヘンだと思ったけど、同時にやっぱりオウム真理教についての解釈も同じようにヘンだと思った。130ページ中段で、オウムというのは「浅田彰が『落ちこぼれの馬鹿』による『誇大妄想の暴走』と言い放ったとおりであったことは、オウム真理党の選挙を生で観れば一目瞭然だったはずだ」とか、この人は云ってるけどさ。浅田彰にとっては、自分以外の人間は全員、“落ちこぼれの馬鹿”なんであって(笑)、実際128ページ下段から129ページ上段にかけても、浅田彰がかつて別の場所で、「宮﨑勤事件はもちろん、連合赤軍事件だってたんにくだらないと思う。落ちこぼれの馬鹿が誇大妄想にかられて暴走したら、ろくなことにならないというだけのことでしょう」と語ったことに触れてある。

外山 毎回そんなことばっかり云ってる、と(笑)。

藤村 市原真人の書きぶりでは……。

外山 オウムがまるで、「消費者としてどこまでも『ゴーマン』に増長した、しかし判断の視点がどこまでも矮小な」(129ページ下段)愚かしい連中の集団に過ぎなかったかのようだよね。

藤村 うん。しかし実際にはそんなことないでしょう。

外山 何にも見えてないよなあ、この人。

藤村 これではちょっと困る。

外山 まず小林よしのりの件について云うと、128ページ中段で小林に言及し始める最初の部分で、消費社会への「『肯定』の様態は、政治的ウィングを超え、当事者同士がどう思うかにかかわらず、九二年に『週刊SPA!』で連載が開始された小林よしのり『ゴーマニズム宣言』に繋がってゆく」と書いてあって、これはつまり大塚英志をはじめ左派だけでなく右派の小林も、ということのはずだけど、少なくとも「連載が開始された」時点での小林はむしろ左派で、つまり少なくともそこではまだ「政治的ウィングを超え」て云々なんてことは起きてない。小林が急速に“右傾化”するのは、それこそ“オウム以後”のことですよ。ここはまあ、事実誤認という程度のことにすぎなくて、ぼくもそうこだわるつもりもないが……。

藤村 大塚英志的な感性や状況認識と、小林よしのりやオウム真理教といった出来事はまったく違う文脈にあるということが見えてなくて、こういう書き方になるんじゃないかな?

外山 あと、座談会のほうではさすがに東浩紀あたりが言及するんじゃないかと思うけど、“90年代前半”とか“半ば”ぐらいの時期の批評的言説について振り返るなら、絶対に視野に入れとかなきゃいけないのは、宮台真司と並んで浅羽(通明)じゃん。

藤村 そうそう!

外山 宮台についてはさんざん言及されてるけど、浅羽に関しては一言の言及もないというのは、明らかにメチャクチャだよ。

藤村 小林よしのりさえ大塚英志に強引に結びつけて論じたりするのは、要はこの市川真人の視野に入ってる“論壇”の“中の人”に結びつける形でしか小林やオウムを理解できないということなんだろうし、まあ誰だってそうなってしまうのかもしれないが、そもそも視野に入ってる“論壇”の範囲がたぶん狭すぎるんだ(笑)。で、“消費者優位”みたいな状況の中で、「『わからない』批評はより敬遠され、『自分たちにもわかる』か『わからないけれどなんとなく共感できる』ものが好まれた」(130ページ上段)、そういう批評が溢れてしまった流れの中に小林よしのりのブームもある、というふうにこの人は見てるわけだよね。ここは前回の読書会でも触れた、“難しい批評”を書く浅田彰とかと、“なんとなく、分かるでしょ?”的な批評を書くべきだという加藤典洋や竹田青嗣たちとの80年代末の論争を念頭に置いて書かれてて……。

外山 明らかにそうですね。しかも明確に浅田側に寄って書かれてる。

藤村 とはいえ、そういう形でもギリギリ加藤典洋ぐらいまではこの人の視野にも入ってるんでしょう。しかしそのさらに“外”の、浅羽とかの“別冊宝島”系の……。

外山 “別冊宝島”というより『宝島30』(93年6月~96年6月)だね。

藤村 うん。あるいは『発言者』(西部邁を主幹とした保守系言論誌。94年4月・5年3月。現在も後継誌『表現者』が刊行されている)とか、そういうものはまったく視野に入っていないんじゃないかという疑いを禁じ得ない。まず何より小林よしのりにこれだけ言及するんなら、そのブレーンを務めた、大月隆寛とか浅羽通明とか……。€

外山 つまり呉智英の“3大弟子”の面々。もう1人、まあ小林よしのりとはたぶんほとんど関わってないと思うけど、オバタカズユキという人がいる。

藤村 彼らがメインを飾ったのが『宝島30』でしょ。さらには大月・浅羽あるいは呉智英が小林から距離を置き始めた後には、今度は西部邁がブレーンのようになるわけだし、その西部の“拠点”が『発言者』なわけだ。なのにそれらを視野に入れていない。

外山 先週の座談会を読んだ印象では、さすがに東浩紀の視野には入ってるんじゃないかと、この後に読む座談会部分に期待するけど、少なくともこの市川って人の視野には入ってなさそうだ。

藤村 まあ、スガ(秀実)さんの比喩で云えば、市川さんが“日東駒専”レベルの人ではない、ってことなんでしょう(笑)。

外山 そんな“右派言説”みたいな低偏差値向けの言論なんか、ハナから相手にしてない、と。

藤村 そういうものを愛読してきた我々のような“日東駒専”レベルの人間には(笑)、どうもそう感じられてしまう。だって一応そういうものだって“批評”のはずでしょ。市川さんの目にどれほど水準の低い、バカな言説に映ったとしても、“批評史”なんてものを構成しようというんなら、前回も云ったように、批評というのは学問的な厳密さが要求されない代わりに、書き手の価値観や自意識を文章の形で晒す営みなんだから、ここで市川さんが列挙してる人たちより、小林よしのりや『宝島30』系の書き手たちのほうが、よっほど“批評”的であるはずなのにさ。あるいはもしそういうのが“批評”じゃないと云うのであれば、だったら小林よしのりなんか論じるなって話だよね。

外山 浅羽・大月の“界隈”かどうが微妙だが、似たような印象で、佐藤健志って人もいたはずだ。ぼくの旧い友人の浅羽信者の佐藤賢二じゃなくて、たしか『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年)とかって本を書いた人。

藤村 ああ、いた。『発言者』や『表現者』にも書いてる。

外山 それから……そもそも“宅八郎”への言及がないこと自体、いかがなものかと思うよ。“90年代最高の批評家”は宅八郎であるはずだもん。その宅八郎の論敵の1人だった切通理作って人も“浅羽界隈”にはいて、それなりの存在感を持ってたと思う。そこらへんの流れがたぶんまったく視野に入ってない。

藤村 “オウム”だって、論じるならむしろそっちと絡めて論じるべきでしょう。

外山 ……改めて冒頭から云っていくと、そもそも時代認識が最初から最後までトンチンカンなんだが(笑)、最初の124ページ下段の後ろから4行目に、「ソ連のアフガニスタン撤退完了に始まる政治変動」とあって、なぜそこに起点を置くのか、と。あるいは短期的に見ればそうも云えないこともないのかな?

藤村 冷戦終結がいよいよ目に見えるものとなった、そのきっかけということでしょう。

外山 しかしその話はやっぱり“ゴルバチョフ登場”から始めないと意味ないじゃん(笑)。

藤村 まあ、そう思うけどさ。

外山 ゴルバチョフの登場に始まる「政治変動」の帰結が89年に一挙に現実化する。さらに云えば冷戦そのものの起点もおかしなところに置かれてるんだ。125ページに入って上段3行目に、「戦後を象徴してきた“ベルリンの壁”」というフレーズがある。これもヘンだよね?(笑) ベルリンの壁って、実はかなり建設は遅いんだよ。

藤村 えーと……“公民”担当の予備校講師として、オレはそこらへんはパッと云えなきゃダメなんだが(笑)、出てこないな。60年代だったと思う。

東野 “64年”に百円賭けます。

外山 ほー、64年ですか。賭けないけどさ(笑)。

藤村 「“ベルリン封鎖”(48年)と“ベルリンの壁”をゴッチャにするな!」って授業ではいつも言ってるんだが……(笑)。

東野 ベルリンの壁は、62年か64年です。

外山 (検索して)残念、61年でした(笑)。いずれにせよ「戦後を象徴」なんかしてないんだよ、ベルリンの壁は。もちろんぼく自身も若い頃は、そもそも物心がついた時点でベルリンの壁は厳然と存在してて、それはほとんど絶対的な存在であるように感じられたし、はるか昔からあって未来永劫あり続けるものだという感覚を持ってたけど、実は30年も保ってない。だから市川真人がこういう勘違いをしてしまうこと自体はよく理解できるんだけど、そろそろそういう事実誤認からは抜け出してないとマズいよね、もう大人なんだから(笑)。

藤村 オレらとほぼ同世代でしょ。71年生まれで、1コ下。

外山 で、いつも云ってることの繰り返しになっちゃうが、同じく125ページ上段の後半に、「はるか極東の島国である日本においても世界的な地殻変動は」云々と、“89年”が1つの時代の“終わり”であったことが印象づけられたと云ってて、“昭和天皇の死去”はまあともかくとしても、それ以外に挙げられる指標が「手塚治虫や美空ひばりの他界」って、“このサブカル野郎め!”と云いたくもなる(笑)。たしかに手塚治虫や美空ひばりが死んだのも、“昭和の終わり”を印象づける出来事ではあったけど、天安門事件や東欧革命といった「世界的な地殻変動」の日本への波及を云うんなら、そんなサブカル的なあれこれ以前に、89年参院選での“山が動いた”土井社会党の勝利、って話はどこ行ったんだよ(笑)。

藤村 そうだよなあ。

外山 たまたま参院選だったから“土井政権誕生”にならなかっただけで、あれが“たまたま”衆院選だったら89年の時点で日本の“55年体制”も終わってたんだし、実際その衝撃で自民党に内紛が起きて、“日本新党”だの“新党さきがけ”だのって話で今も終わらない“政界再編”が始まって、その過程で93年の細川政権ってことで“55年体制の終焉”も起きる。もちろん土井社会党の勝利というのは表層の出来事なんだけど、そうやって議会政治のレベルにまで顕在化した、東側世界やあるいはフィリピン、韓国、ビルマといった南側世界での“民主化運動”と同質の“政治の季節”が、反原発運動の第1次ムーブメントをはじめとして、80年代後半の日本にも存在したということがまったく分かってないわけだ。現実政治のレベルで激動が起きてたのに、市川真人はここで、日本でも「思考の枠組み」が変化しただの、「“資本主義と社会主義(自由主義と共産主義)”の二項対立」が揺らいで「見えた」だの、何にも見えてない(笑)。

藤村 先週も云った、オレが高校3年から大学1年まで愛読してた『GORO』の浅田彰の連載でも、そういうことは書いてあったよ。東側や南側での“民主化”の連鎖を“歴史の趨勢”として、その一環としてたしか土井社会党についても言及してたと思う。浅田彰のムズカシイ文章ばっかり読まずに、エロ本での連載もちゃんと読むべきだ(笑)。

外山 ゴルバチョフがソ連のトップに就くのは85年で、土井たか子が社会党委員長になるのは86年なんだけど、そのあたりから始まった激動が89年の“ピーク”に至るわけです。実はオウム真理教だってこの流れの中にある。さっきの、オウムの選挙運動に言及した箇所(130ページ中段)で、「たとえるなら、又吉イエスやマック赤坂といった候補者が、本気で自分が都知事になると信じている姿を思えばよい」と譬えていて、ここで外山恒一の名前を出して同列に並べたりしない良識には好感が持てるが(笑)、オウムに言及する時にまず90年の選挙出馬の話をするのはやっぱりトンチンカンにすぎる。80年代前半、83年だか84年だかに(84年)麻原彰晃の例の“空中浮揚写真”が『ムー』(79年~。学研が発行する月刊のオカルト雑誌)に掲載されて、そこから80年代いっぱいを通してのオウム真理教の急速な伸張が始まるわけだよね。で、80年代のうちのオウム真理教は、そりゃまあそういうオカルト志向そのものが「『落ちこぼれの馬鹿』による『誇大妄想』」の産物であるとしても、その枠内では、比較的マトモというか、“原始仏教に還れ”的な、それこそ“原理主義的”な追求を“マジメに”やってた宗教でしょ。だからこそオカルト志向を持った一部の若者たちを熱狂させた。あるいは80年代半ばの“管理社会”とか“消費社会”への反感を組織した宗教であって、だから“出家”して“俗世”を離れて、宗教的共同体の中に身を置いて“自身を高める”みたいな方向にも行ったわけで、ここで云われてるような、“サブカル的想像力の延長”みたいな低レベルな宗教ではありませんでしたよ(笑)。つまりオウムは“90年代”の出来事ではなくて、あくまでも80年代半ばから80年代末にかけて爆発的に伸張した宗教なんであって、その伸張が行き詰まって迷走を始めた最初の象徴的な出来事である90年の選挙運動なんかから話を始めて、しかもそれ以降しか見ないようなオウム論は、根本のところで間違えてるんです。€

さらに云えば、これも繰り返し云ってることだが、この連続座談会では、せっかく“01年”にも時代の切断線を見出して“1989-2001”って区切り方をしてるわけでしょ。“01年”で切るのは、もちろんアメリカでの“同時多発テロ”が起きた年だからだよね。まさにその、アメリカで01年に起きたのと同じ質のことが日本では95年に、“地下鉄サリン事件”としてアメリカに6年ほど先駆けて起きてたんだという、もちろんそれは01年の衝撃に接しての事後的な把握でいいんだけど、それにも市川真人は今なお気づいてないらしい。徹頭徹尾ダメな歴史認識だよ。
何にも見えてないくせに、「自分たちの組織に『~省』などと名づけて子どもじみた『近代的官僚政治ごっこ』をしていた点にも、その倒錯性が表れている」とか、偉そうにオウムを見下したことを書く。もちろんオウムは宗教学とか心理学とか、内面的なことに関わる範囲での人文科学には精通してたけど、政治学とかそういう“天下国家”的な社会科学に関してはまるでド素人だったから、“社会”と関わろうとし始めると途端にこういうキテレツなことにはなっちゃうんだ。そこがオウムの限界だったと思う。しかしオウムの人たちは社会科学のド素人なりに一所懸命考えた上で、要は“シャドー・キャビネット”を作ったわけだよね(笑)。それは本気で“革命”をやるつもりだった、ってことじゃん。それがいかに素人考えの粗雑な“革命”イメージだったとしても、こんなふうに、“革命”なんてことを1度でも本気で志したこともないような奴が鼻で笑うのを見ると、ぼくなんかはやっぱり腹が立つよ。しかもオウムに対する認識が、そこらへんの一般大衆と変わらないレベルでしかないっていう、まさに“ゴーマンかましてる”としか云いようがない(笑)。・

藤村 オウムだけでなく、連合赤軍に対してもこういう、バカにした見方をしてるんだろうし、少なくともそう読まれても仕方がない。

外山 もちろん連赤だってオウムだって、バカはバカなんだよ(笑)。それはそうなんだが、そういうバカな連中の愚行にもナニガシカの意味はあるし、いろんなことを汲み取ることもできるんだ。あるいはもしも自分も本気で社会を変えようと試行錯誤すれば、どんなにアタマがいいつもりでも、意外と何かの拍子についハマり込んでしまう方向かもしれないわけで、つまり我がこととして思考することもできるはずなのに、市川真人は完全に他人事としてオウムを云々してる。

藤村 他人事だね。彼らは“批評”の世界に閉じこもってて、その外の世界については盲目だったりするんでしょう。

外山 しかし“批評”を志す奴がそんなことではいかんだろう(笑)。

藤村 うん、いかんと思います。社会やなんかについても、あれこれとそれなりに論じたりするんだろうけど、さまざまな出来事についての感度が悪すぎる。

外山 ……これまた前回の繰り返しになるが、125ページ中段の、「ニューアカデミズム」を「全共闘的な枠組みへのカウンターあるいは冷笑」として対立的なものであったかに捉えているのも、たしかに最終的には対立的なものとして一般には受け取られていくんだけど、それはあくまで日本特殊な倒錯なんだってことが分かってるんだろうか? 少なくともここに書いてある限りでは、そういう認識はなさそうに思える。

あるいは、そもそも“89年に刊行された書籍”として何よりもまず『Mの世代』(中森明夫&大塚英志・太田出版)が挙げられてるところにも、“このキモヲタが!”と思っちゃうけど……(笑)。そりゃたしかに『Mの世代』はいい本だし、重要な本でもあるとぼくも思いますよ。しかし“89年”を論じるにあたってまず着目するのが、結局“オタク問題”ですか、っていうね。じゃあ他に何を筆頭に挙げればいいかと訊かれても、パッとは思いつかないが、浅羽通明の『ニセ学生マニュアル』(徳間書店・88年)もたしか88、89年だし、山崎浩一の『退屈なパラダイス』(ちくま文庫・92年)はもうちょっと後かな? あるいは本当に“89年”的な本って、89年には書かれてない気もするけどさ(笑)。本当は『退屈なパラダイス』が一番それにふさわしいんだけど、そんな歴史観を彼らに求めるのはそもそも無理があることはぼくにも理解できる。しかし『Mの世代』から始まるのは、やっぱりゲンナリする。オタク第1世代でもある60年前後生まれの新人類世代の論客たち、大塚英志だの大澤真幸だの宮台真司だのってのがデッチ上げた、自分たちに都合のいいウソの歴史観に乗せられすぎだよ。まあ全共闘世代は何やかんやで“若者”好きで、自分たちがメディアの中堅どころを担うようになった時に、自分たちとは感覚や考え方の違う新人類世代の書き手たちにもどんどん書く場を与えたけど、新人類世代の連中は自分たちの劣化コピーみたいな連中にしかそういう門戸は開かなくて、その結果としてこういうトンチンカンなことを云う論客しか、ぼくらの世代からは世に出られなかったし、だから真に“89年”的な著作も89年には存在しないんだけどさ。

80年代半ばから89年、90年へと至る“政治の季節”を象徴する、しかも『危険な話』(広瀬隆・87年・新潮文庫)とかの“モロ政治系の本”ではなく、いくらかでも“批評”的な本なんか、やっぱり『退屈なパラダイス』ぐらいしか思いつかないもんなあ。あるいは浅羽の90年前後の本が、反原発とかに熱くなってる若者たちを批判する文脈でだけど、かろうじてその熱を捉えてはいる。要はメディアが死んでたんだよ。だから“89年”を象徴する本として『Mの世代』を挙げてしまうトンチンカンも、仕方ないと云えば仕方ない。

藤村 添付の年表に、『ニセ学生マニュアル』も、一番小さい活字で記載されてはいるけどね。

外山 扱いが小さすぎる。“89年”問題は措いとくとしても、さっきも云ったように、90年代半ばは宮台と浅羽が、多少なりとも“知的”な若者たちに影響力を持つ、左右の2大論客だったはずじゃん。……と、ひととおりディスったところで(笑)、他に何かありますか?

東野 125ページ上段の最後のほうに出てくる「カルト的ファシズム」というのは、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(原著92年・邦訳92年・知的生き方文庫)に言及する流れで出てきてますけど、フクヤマの概念ですか?

外山 いや、知らない。

東野 “カルト的”って、どういう意味で云ってるんでしょうか?

外山 もしフクヤマの独自概念とかでなく、一般的に云ってるんだとして、それはそれで分かるじゃん。少なくとも冷戦時代には“ファシズム”なんて絶対禁止、“発禁”扱いの思想であって、だからこそ実際にもネオナチみたいな、思想的にグレた連中がたまに掲げたりするだけの、現実政治的にも何の意味もない、まさに“カルト的”な存在でしかなかった。もちろん“68年”の運動は千坂(恭二)さんの云うとおり実は“プレ・ファシズム運動”の側面を持ってたし、“68年”の新左翼に感化された右翼の中から、カルトではない本当のファシズムを志向し始める部分も萌芽的に出てくるけど、全体としてはやっぱりそんなものマイナーにすぎる。フクヤマは共産主義に対する自由主義の勝利を“89年”の出来事を通して確信したわけだけど、当然そこには、89年時点ではカルト的な存在に落ちぶれていたとはいえ、まず45年に自由主義陣営はファシズム勢力を打倒した、という認識も込みで入ってるよね。そのことを云ってるにすぎないと思う。……他に何かありますか? なければ今週もいよいよ、本編の“雑談会”を読みましょうか(笑)。

東野 もう1つ。133ページ中段に柄谷・浅田が主幹する『批評空間』から生まれた90年代の「優れた批評群」が列挙されてて、その中に笠井潔の『球体と亀裂』(情況出版・95年)も入ってますけど……。

外山 大江健三郎の『万延元年のフットボール』を笠井的革命理論で分析した本ですね。

東野 それも『批評空間』とか『季刊思潮』(『批評空間』の前身)に連載されてたものだったりするんですか?

外山 どうだったかな……(と書庫から現物を持ってきて、巻末の初出一覧を見て)作家論を8篇ほど集めた本だけど、メインの大江論「球体と亀裂」は、たしかに『季刊思潮』に連載されてるようですね。

東野 へー。

外山 しかし『季刊思潮』の90年4月号まで6回にわたっての連載。やっぱり91年初頭の湾岸戦争勃発に際しての、柄谷・浅田らの例の“文学者の反戦声明”に対して笠井潔も含む『オルガン』派(他に竹田青嗣、加藤典洋など)が総じて批判に回って、両者が完全に決裂したことが関係してるんじゃないかな。というのも、最終章だけ『情況』に載ったみたいで、つまり『季刊思潮』にはもう載せてもらえなくなったんでしょう(笑)。……では本編の“雑談”を読んでいきます。全部で4節に分かれてますね。第1節を各自、黙読してください。

 

つづく

ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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