“生きさせろ!”では、今の国家の“生きさせる権力”への反撃にはなり得ない。『完全自殺マニュアル』ではそれに“死ぬ権利”が対置されていた -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題1989-2001」を読む(2)


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前回から続く

 

外山 では本編の“雑談”を読んでいきます。全部で4節に分かれてますね。第1節を各自、黙読してください。

 


 (「1.『九〇年代』という問題」黙読タイム)


 

外山 では何かあればどうぞ。

藤村 140ページから142ページにかけて、「天皇制への回帰」と見出しがついた部分がありますけど、その中でもとくに141ページあたりで論じられていることが、まったく理解できない。市川真人さんが「天皇制の問題について」いろいろ語ってますよね。「『われわれの資本主義と彼らの共産主義』であれその逆であれ、あたかも感情的なイデオロギー対立として語られたわけです。それどころか、ほとんど『清浄とケガレ』のようにすら語られた時代だった。資本主義とは聖なるものであり、共産主義やその過程である社会主義とは禍々しきものであるといったように」とか云ってる。これに対して東浩紀が「社会主義が禍々しいの?」と突っ込んだら、市川さんは「少なくとも八九年時点の日本では、多くはそう語られていたはずです」と応じている。なんとなく民俗学っぽい用語を織り交ぜながら、そういうことを云ってるわけですけど、何を云ってるのか、まったく分かりません。

外山 時代認識そのものが間違ってるんで、あまり頑張って律儀に読解してやる必要もないとは思うが、一応まあ読書会だし(笑)、頑張って解読してみましょうか。

藤村 資本主義陣営の人間にとっては、社会主義などというのは「禍々しい」、「ケガレ」である、逆に社会主義者にとっても資本主義というのは「禍々しい」、「ケガレ」である、冷戦構造下の対立というのはそういう感情的・感覚的な対立だった、と市川さんは見てるってこと?

外山 こういう、1度でも何かの“主義者”とかになったこともないような奴には、そんなふうに見えるんでしょうね(笑)。

藤村 こういう人にとっては、資本主義も社会主義も「ケガレ」なのかもしれない(笑)。

外山 仮にこういうトンデモな理解を受け入れるとして、ここで云われてるのは、まず、「日本という国が資本主義以前から、つねになにがしかをケガレとして忌避する構造を必要としてい」て、「『清浄なもの=われわれ』と『ケガレ=排除すべきもの』という対立構造」を支えるものというか、そういう対立構造を作り出してそれに依拠するもの、というふうにこの人は天皇制を捉えている。ところが敗戦によって天皇制が日本社会の表面からは消去されてしまった。そこでそういう対立構造を「イデオロギーで代替せざるをえなくなっ」て、この人のイメージする冷戦構造こそまさにそういうものだった、というわけですね。冷戦が崩壊すると、だから再びそれに代わるもの、あるいはもともとそういう装置だった天皇制の必要が意識されるようになって、例えば宮台真司なんかが00年代に入ると盛んに“天皇”を論じ始めた、ということじゃないでしょうか。

藤村 うーん……。

外山 そもそもトンデモ説なので理解できなくてもいいですが(笑)。だって藤村君も引用した部分にある、「社会主義が禍々しいの?」という東浩紀の突っ込みに対する、市川真人の「八九年の日本では、多くはそう語られていたはずです」という返答もムチャクチャだよね(笑)。当時、そこそこ知的な階層を含む多くの人たちが、民主化を求めて天安門広場を埋め尽くした若者たちに共感を寄せたけど、それは“社会主義vs民主主義”みたいなイメージとはあまり関係なくて、逆に“土井社会党”を支持して自民党支配を終わらせようと志す自分たちと、中国の民主派学生たちとを重ね合わせて見てたりしたわけですよ。

藤村 当時のオレはだいぶキチガイだったし、日本社会のそういう左派的な雰囲気に危機感を抱いて、大濠公園の周りを毎日ジョギングしてたもん(笑)。

外山 革命鎮圧のために一身を投げうたなければならない瞬間が刻々と迫っている、と(笑)。

142ページ上段でも市川真人はおかしなことを云ってて、「共産主義と社会主義をめぐる対立項がありましたが、それらは完全な二項対立ではないことが」云々とありますが、たしかにそれは完全な二項対立ではなかった。しかしここで市川真人が云ってるのは、“第3項”としての新左翼の存在を視野に入れてのことではないよね。そして彼らが影響を受けたポストモダン思想やニューアカといったものが、まさにその第3項たる新左翼の一形態であったということ、さらに云えば彼ら自身がその末裔であるということも、意識されてるフシがまったくない。その程度の認識もない奴が社会や歴史を論じようとしても、こういうトンチンカンなことにしかなりようがない。まあそんなことは最初から予想はついてるんだが、それでも彼らが、トンチンカンなりにどういう歴史観を持っているのか、確認するために読書会をやってるわけですが……。

藤村 市川さんの同じセリフはその後、「資本主義=消費社会はケガレを呼び込むものでもある一方、自由主義は戦後民主主義にとって麗しき理想像でした。ケガれた資本主義と麗しき自由主義が社会民主主義的なオブラートに包まれて表裏一体となり、共産主義的なイメージを排斥してきたのが、あさま山荘事件と重なる高度成長末期から八九年までの日本だったように思います」と続いてて、要するにこういう認識なんでしょう。

外山 資本主義の側は次第にケインズ主義的な福祉国家路線を目指すようになって、社会主義の側もグラムシ主義というかユーロ・コミュニズムというか社民主義というか、そういう方向がメインになって、それらが渾然一体となって、かつてのような弱肉強食の剥き出しの資本主義や、スターリンに象徴されるゴリゴリのマルクス・レーニン主義みたいなものは非主流化して排除されていった、というふうに読み替えればまあ、ものすごく間違ってるわけでもないのかもしれない。もちろん冷戦が終わって社会主義に対抗する必要がなくなると、資本主義はまた元の弱肉強食のそれに戻っちゃうわけですけどね。

藤村 ちょうど冷戦が終わるタイミングで日本では宮崎事件が起きて、同じく142ページ上段にある「だからこそ『イメージとしての宮崎勤の部屋』を、新しい消費社会は『消費以外のケガレを背負ったもの』として排除しようとしたのではないか」という認識になってます。社会主義が崩壊して、今後は資本主義あるいは消費社会がずっと続くんだろうという気分の中、消費社会の負の部分としての宮﨑勤的なものを排除しようとした、と。それは主張としては分かるけど、天皇制の話がどう絡んでるのか、やっぱりちっとも分からない。

外山 ……ちょっと戻って137ページ中段に、これも市川真人の発言ですが、「八九年は大きなイデオロギーが崩れたあとで、どう新しいイデオロギーを手に入れていけばよいかを考える、言わば近代の意識や文脈を引きついだ言説と、イデオロギーなどとうに消費されハッキングされ尽くしているのだから、むしろそこでは『消費』そのものが主体化しているのだと捉える言説との対立が可視化された年」とあって、さっき読んだ“基調報告”のまとめになってます。それを承けて東浩紀が、「八九年以降の批評の歴史を『Mの世代』から始めるという選択は、ぼくとしてはたいへん頷けるところがありました」と云っているのは、“それはオマエがキモヲタだからだ!”と云いたくなりますが(笑)、キモヲタなんだし仕方がない。

138ページに入って中段の、「イデオロギーなき世界──鶴見済と宮台真司」という小見出しのすぐ後の東のセリフ、「大文字のイデオロギーから小文字の消費へという力点の移動は、九〇年代前半の批評のひとつの軸を作っていると思います」というのも、東の基本的認識の表明でしょう。で、『Mの世代』に始まり、『完全自殺マニュアル』(鶴見済・太田出版・93年)だの宮台真司の『制服少女たちの選択』(94年・朝日文庫)だのって本が90年代前半の“批評史”を彩って、「そうしたなか、九五年に地下鉄サリン事件が起こるという流れです」と東は云ってる。つまり市川真人にとっても東浩紀にとっても、市川にとっては90年の真理党の選挙出馬で、東にとっては95年の地下鉄サリン事件で、オウム真理教は“唐突に”視野に飛び込んでくるものなんですね。80年代半ばからのオウムの成長過程が彼らの視野にはまったく入っておらず、彼らにとってオウムというのは、自分たちが埋没している、“批評シーン”というタコツボも含めた彼らの日常の外から、いきなり飛び込んできたものにすぎないんでしょう。

それともおそらく関係して、彼らのオウム理解というのは、“消費社会”の延長線上の存在であるかのようなものになる。さっきも云ったように、本当はオウムというのは、むしろ消費社会に反発を持った連中が消費社会の外で秘密結社のような閉じた共同体を作って、それが80年代半ば以降のバブル的な消費社会の爛熟の裏面で急激に伸張していた、というものです。90年代に入る頃になると、この現実を変革したいとか、そういう情熱とは一切無縁な、東や市川といった一般ピープルの視野にも入ってくるぐらい、すでに伸張しきってたというだけの話。

とくに宗教に惹き寄せられるようなタイプでなくとも、例えばぼくらのような政治運動シーンの人間の視野にも、オウムの存在は80年代後半のうちにとうに入ってましたよ。もちろんそれは相対的に好意的な見方をしてて、たいていは、同時期に伸張してた幸福の科学との比較で、管理社会への反発をぼくらと共有してるように見えるオウムへの好印象と、単にインチキくさい幸福の科学への反感とが、対照されてセットになってるような感覚です。ぼくらは麻原に“超能力”があるとか思わないし(笑)、その種の“迷信”とは無縁な正しい近代人だからこそ宗教ではなく政治運動をやってるわけで、一緒にはやれないけれども、まあこの管理社会を“別個に進んで共に撃て!”ぐらいのシンパシーは、オウムに対して抱いてましたよ。しかしこういう、管理社会への反発もなく、少なくともそれを打倒するための試行錯誤に身を投じるほどの反発はない一般ピープルにとっては、オウムなんてものはまったく意味不明のワケ分からん集団でしかなかった、ってことだよな。

藤村 あるいはせいぜい“中沢新一の影響”ぐらいにしか思ってないんでしょう。

外山 “落ちこぼれの馬鹿”どもに中沢新一の言説が“誤配”されて“暴走”させた、と(笑)。……138ページ下段の、東浩紀による『完全自殺マニュアル』解釈もどうなんだ。「『完全自殺マニュアル』は、イデオロギーがなくなり退屈な日常が訪れたので、そこから逃げだす手段を提供しようという本です」と云ってる。そういうふうにも云えなくはないが、それはあくまでも“体裁”だよね。たしかに「退屈な日常」から「逃げだす手段」として“自殺”という選択肢が提示されて、その具体的な方法を細かく解説してる本ではあるが、根底にあるのはむしろ、この「退屈な日常」からはもう“逃げだせない”という諦めです。「逃げだす手段」はもう“自殺”しか残ってない。で、自殺して逃げだせ、という本ではなくて、これ以上は無理だという時には自殺という究極の手段があるんだから、そのことを常に意識しておけば、この「退屈な日常」もどうにかやり過ごせる、逃げだそうと思えばいつでも逃げだせるということが分かっていれば、少しは気持ちもラクになる、という本なんです。つまり「退屈な日常」から「逃げだす」ための本ではなく、「退屈な日常」に耐えるための本。

藤村 “でかい一発”なんかもう来ない、というのが鶴見済の決めフレーズだったもんね。でも、究極的には“自殺する”というのが、社会に対してはともかく諸個人にとっては“でかい一発”になるということでもあるでしょ?

外山 いや、鶴見済はそれをもはや“でかい一発”とは云わないと思う。

藤村 鶴見済って、実は“でかい一発”派じゃないのかな?

外山 本音というか、体質的にはそうかもしれない。

藤村 本来ならオウム派や小林よしのり派に近いようなメンタリティの人。メンタリティというか、問題意識というか……。

外山 この社会をどう“生きづらい”と感じているかが近い、と。

藤村 そうそう。

外山 だけど具体的にじゃあどうするか、って段では鶴見済はオウム的な“でかい一発”のほうには行かず、『完全自殺マニュアル』に書かれてるような、要するに“死を思え”の一種だよね。

藤村 自殺という究極の選択肢を常に意識しながら……。

外山 革命みたいな“でかい一発”なんか妄想せずに、この「退屈な日常」をやり過ごせ、ってことです。

藤村 それは“適応せよ”ということではなくて、つまり宮台真司的な『終わりなき日常を生きろ』(95年・ちくま文庫)ともまた違う。

外山 そこはぼくは怪しいと思う(笑)。効能は一緒だもん。革命とかそういう“でかい一発”を期待するな、この「退屈な日常」あるいは“終わりなき日常”に耐えろ、ということにしかならない。反革命思想ですよ(笑)。

藤村 つまり劣悪な労働環境でバイトとかしてて、こんな生活を続けることに何の意味があるんだ、オレの人生はつまらん、という気分が耐えがたいまでに高じた時はもう、死ねばいいじゃん、という選択肢を示してるんであって、そういう生活をムリヤリ“やりがい”とかで正当化するような言説ではないでしょ。

外山 でもそれは宮台も同じじゃない?

藤村 大塚英志とかであれば、オタク的な趣味に耽溺することで、日常の中に“かわいい”ものとか見出して云々って話になりそうだけど、少なくともそういうのとは違うと思う。そこらへん東浩紀はさすがに、キモヲタだけに鋭いところもあって(笑)、143ページで、福嶋亮大と市川真人が「『完全自殺マニュアル』を『動物化するポストモダン』の前史と位置づける」みたいな話を始めたのに対して、「すこし違和感があります。単純に読後の印象としても、『完全自殺マニュアル』は『動物化するポストモダン』とちがって(略)もうすこしじめっとしているというか、陰影がある本だと思うんです。文学的と言ってもいい」と反論して、これはそのとおりだよね。やっぱり『動物化するポストモダン』(東浩紀・講談社現代新書・01年)は、東の云う“データベース的消費”が一般化して現在ののっぺりした消費社会というものを、“あっけらかんと”ではないにせよ、肯定してみせる側面がある本だもん。しかし『完全自殺マニュアル』は……。

外山 そのすぐ後に続けて東が云ってるように、「随所で生きづらいひとのための本であることが強調されている」ような本だからね。だから142ページ下段で東が嘆き気味に、「鶴見済さんは、いまはツイッターをやっているんですが、そこに書かれているのは有機農法やデモの話なんです。『完全自殺マニュアル』の序文の、あのキレキレの文章の著者が、二〇年後にデモに行き着くしかなかった」と云ってるように、雨宮処凛的な“生きさせろ!”の人になってしまうのも仕方がないと云えば仕方がない。

藤村 うん、そうだな(笑)。

外山 とはいえ、ぼくはリアルタイムで『完全自殺マニュアル』を“反革命”として批判してたんだけど、わずかに肯定しうるのは、それが決して“生きさせろ!”ではなかったところなのにね。スガ(秀実)さんも雨宮処凛批判の文脈でよく云ってたように、“生きさせろ!”では今の状況に対する有効な反撃にはなり得ないんだよ。それこそポストモダン系の思想家たちがさんざん云ってきたように、今の国家権力はかつてのような“死なせる権力”ではなく“生きさせる権力”であって云々っていう、フーコーとかドゥルーズの云う、いわゆる“生権力”の話だよね。“生きさせろ!”では“生権力”を補完することにしかならない。それに対して『完全自殺マニュアル』では、“生権力”が社会の隅々までを覆うヌルい抑圧に、いわば“死ぬ権利”が対置されたわけだ。『完全自殺マニュアル』が評価できるとすればその一点だけです(笑)。しかし鶴見済はそのわずかに持ってた革命性さえ捨てて、東が嘆くように、今ではすっかり“生きさせろ!”路線で“アベを倒せ!”の雨宮的な人になってしまっている。4、5年前にナントカっていう“資本主義批判”の本(『脱資本主義宣言』新潮社・2012年)を出した鶴見済が九州でトークライブをやったんで、押しかけてそこらへんを“質疑応答”の時に追及したんだけど、テキトーにはぐらかされた(笑)。まあ、“生権力”の話は思想的な素養がある程度なければ、すぐにはピンとこないもんだろうしさ。さすがのぼくも上手いこと分かりやすく云えなくて、「“生きさせる権力”が問題視され始めてた状況の中で、いわば“死ぬ権利”を掲げるという革命的な役割を果たした鶴見さんが、なんで“生きさせろ!”とか云ってんですか」ってふうに質問したんだけど、そりゃ鶴見さんも他の聴衆もポカンとするよな。

……それにしても147ページ上段の福嶋亮大の発言もまたヒドいね。これは福嶋亮大が悪いんじゃなくて、こういうデタラメなオウム論を広めて、当時まだ中学生ぐらいで状況が把握できなかったのも仕方がない、81年生まれの福嶋亮大とかの世代にもそれを継承させてしまっている東浩紀や大澤真幸が悪いんだけどさ。この福嶋の発言も完全に大澤史観を踏まえたものであることは、福嶋自身が云ってるとおりです。「九〇年代的な主体の様式ということで言うと、大澤真幸さんのオウム論『虚構の時代の果て』(九六年)が明快だと思う」とまず云って、続いてデタラメなオウム論が披瀝される。同じページの中段・下段で東浩紀も、「『虚構の時代の果て』は、オウム真理教についてかなり早い段階で分析の枠組みを作った本ですね」とか、「『虚構の時代の果て』は、『理想の時代』『虚構の時代』という見田宗介の時代区分を再発見し、ふたたび光を当てた点でも重要な本です。『動物化するポストモダン』もその前提のうえで書かれている」とか云ってるように、見田宗介の素人考えを源流とする、大澤真幸-東浩紀というデタラメなオウム論や歴史観の形成における戦犯的な継承関係があるわけです。オウム論に関して云えば、消費社会・管理社会への抵抗運動としての80年代のオウムという視点のないオウム論が、批評シーンのタコツボの中で盛大に流通して、批評的な物云いに関心を持つタイプの後続世代も、それを前提として受け入れてしまって、福嶋亮大もこういうデタラメな認識を身につけたりしている。「麻原彰晃はある意味ゲロゲロなものなんだけど、そこになぜか超越性が宿ってしまう」というふうに、そもそも麻原がなぜある種の若者たちに対して絶大なカリスマ性を発揮しえたのかという、一番の根本のところで、「なぜか」としか云えないぐらい理解できてないんですね。80年代の、まだだいぶマトモだった頃の麻原がそれなりに魅力的な人物であったろうことは、ぼくのような“反管理社会”の政治活動家にはごく当たり前のことでしかありません。続けて福嶋が云うように、大澤真幸のオウム論は「基本的にオタクとオウムを区別していない」もので、つまりトンデモ理論であって、そんなものに福嶋亮大なんかの後続世代が可哀想に影響を受けちゃってる。とにかくケシカラン話だよ(笑)。

さっきも云ったが、それにさすがにこの後に座談会でも言及はあるんじゃないかとも思うが、90年代の言論を振り返った時に最も重要だったのは、やっぱり“小林vs宅”論争だったはずなんだ。ぼくがなんで宅八郎を“90年代最高の批評家”とまで云うかといえば、アメリカに6年も先駆けて、オウム事件を機に日本で“反テロ戦争”が勃発したその最初の始まりの時点で、“反戦派”として果敢に戦ったのが宅八郎だからです。もちろん“反戦派”なんてものはイコール“テロリスト側”と見なされるのが“反テロ戦争”なんで、宅八郎は殺されます。つまり“小林vs宅”論争の後、宅八郎は書ける場所を失って、書き手としては抹殺される。今回の戦争での最初の“戦死者”と云ってもいいと思います。オウム・バッシングの中で本当に殺されちゃったオウムの“科学技術省大臣”の村井秀夫に次いで2人目かな?

もちろんこの時にスガさんをはじめ、ごく少数の、片手で足りるぐらいの人たちだけが宅八郎の側について援護射撃をした。それ以外のところでは、せいぜい吉本隆明が頑張ってたぐらいですよ。吉本隆明は“原発推進”とかろくでもないこともたくさん云ったけど、一番大事な、日本版“反テロ戦争”勃発の時点でちゃんと云うべきことを云った。逆に、柄谷行人や浅田彰が普段どれだけスゴいことを云ってたとしても、あのオウム事件の時に云うべきことを云わないんじゃ何の存在意味もない、はっきり云って“要らない”人たちだとぼくは思ってます。かく云うぼく自身、サイトにある獄中記その他(コレとかコレとか)を読めば分かるとおり、オウム事件に始まる“反テロ戦争”下での“反戦派”として人知れず葬り去られた、つまりほぼ何の支援もないまま2年間もみすみす投獄されたという“戦死”体験者の1人なんで、こういうことを云う資格があると思う。

……ともかく、せっかく彼らも“01年”で時代を区切って、つまり“反テロ戦争”の世界レベルでの開始時点に1つの切断線を見てるわけで、“反テロ戦争”というのは、それまで想定されていた水準を遥かに凌駕する規模や質のテロ事件をきっかけとして、警察権力の極端な肥大化の開始という形で勃発するという、誰でもちょっと考えれば分かる程度のことを国内の出来事の分析に今なお適用できずにいるのは、“批評家”としてもうどうしようもない。80年代後半の反管理社会・反消費社会の運動としてのオウムだけでなく、95年のオウム事件の“反テロ戦争”の文脈での意味すら見落としてるんだもん。で、彼らの身の丈に合った、“オタク”がどうこうって類のくだらないオウム論しか出てこない。つくづくケシカラン!

藤村 とはいえ、一応は“ゲンロン友の会”の会員として多少は擁護しておくと(笑)、このテの議論ではスルーされそうな出来事も意外と拾ってるとは思うよ。とくに東はよく拾ってる。

外山 うん、それはぼくも同感。褒めなきゃいけないほどのことではなく、当たり前のことなんだが(笑)、“基調報告”ではほぼスルーされてた『ゴーマニズム宣言』の変質の経緯についても、東浩紀が140ページ上段から中段にかけて、「『ゴーマニズム宣言』のスタートは九二年です。そして当初は個人主義的でリベラルな立場にいたのだけれど、途中オウム真理教との対決(VXガスによる暗殺未遂事件)や薬害エイズ事件での学生運動への失望を経て、最終的には『戦争論』(九八年)で軍国主義肯定というか、大きな物語を復興せよというメッセージを発するようになる」と補足してるしね。それは“基調報告”の市川真人の視野に入ってなかったことなのか、入ってたけど瑣末なこととしてスルーしたのかは分からないけどさ。

……東たちの議論とはあまり関係ないけど、140ページ上段の1行目にある、これは大澤聡の発言の中に、「ロビイングを通して政策立案にも関与する」ような宮台真司の振る舞いって、最近だと小熊英二がこういうタイプでしょ。

藤村 “ロビイング”とはまた違うけど、野間(易通)さんの『金曜官邸前抗議』(河出書房新社・2012年)によると、小熊は反原連と野田首相を合わせる仲介をしたらしいし、たしかに同じ匂いがする(笑)。

外山 あと平田オリザとかさ(笑)。そういう良くない“知識人”のあり方のモデルを、宮台は作ってしまった。あるいは宮台をはじめとする“社会学者”とか、さらには心理学の言説とかがハバを利かせ始めるのも90年代で、それまでの“文学”とか“思想”とかは没落していく。“天下国家”とか“世界と私”とかって壮大な話は影を潜めて、個人の内面の話ばかりになっていく、その延長線上に栗原康みたいな“自分語りアナキズム”なんかもあるよね(笑)。東も143ページ中段で「『ボーダーライン』に始まり『メンヘラ』『コミュ障』といった言葉がつぎつぎ登場する、九〇年代後半からゼロ年代にかけての心理主義的な空気」を指摘してるけど、栗原康の“アナキズム”は“メンヘラ・アナキズム”だもんなあ(笑)。……でもまあ、この人たちは90年代半ば頃、宮台真司を支持してた側の人でしょ?

藤村 さあ、一概にそう云っていいものかどうか……。宮台は『批評空間』のラインからは排除されてたようなところがある。東が宮台と仲良くなるのも、東自身が『批評空間』系と訣別した後のことだったと思う。

外山 東浩紀はさすがにこの4人の中でも相対的には視野が広くて、どっぷり『批評空間』系の一員だった頃から、その外にも少しは目が向いてたっぽい。だから他の3人がスルーしてしまいそうなものも時々拾うことができるんでしょう。……ぼくはこの90年代半ば当時の宮台全盛期から、とにかく宮台を敵視してたからなあ(笑)。ちょうどぼくは“カルチャースタア”として『週刊SPA!』誌上で中森明夫にプッシュされてた時期で、その末期だろうね、たぶん96年アタマの新年号で「中森文化新聞」の“スタア”たちによる“書き初め大会”みたいな企画があって、鶴見&宮台的な“でかい一発はもう来ない”とか“終わりなき日常を生きろ”とかって反革命言説に怒りを燃やしてたぼくは、「終わりなき日常に未練なし ハルマゲドン希望」って書いて提出した(笑)。“終わりなき日常を生きろ”なんて、現状追認のイデオロギーにしかならないわけで、革命派からすればそんなもん、敵に決まってますからね。でもまあ、この座談会の面々にそういう視点を期待しても仕方がない。
『Mの世代』に関して補足しとくと、大塚英志はオタクだけど、中森明夫は、まあ見た目はともかく(笑)、スタンス的にはむしろ反オタク側なんです。だからこそ『Mの世代』も面白かったんだけどさ。中森明夫は“オタク”の名づけ親だけど、批判的というか、侮蔑的なニュアンスでそう名づけたんだし……まあいいや。そろそろ先に進みましょう。第2節は166ページまでですね。各自、黙読してください。

 

 

 

つづく

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