柄谷のNAMを「自由な個人のアソシエーションとかで、VXガスに抵抗できるはずがない」と切って捨ててる東浩紀は、やっぱり相対的にはかなり優秀なのかもしれない -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題1989-2001」を読む(3)


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前回から続く

 

 

外山 第2節は166ページまでですね。各自、黙読してください。

 


 (「2.陰影と屈折の時代」黙読タイム)


 

外山 よろしいですか? ……東浩紀もまあ、たまにはいいこと云ってるんだけどな。148ページ中段に、「『批評空間』はまさに九〇年代の雑誌で、だから今回こそ扱うべきなのだけれど、(略)あらためていろいろ読みなおして思ったのだけれど、『批評空間』は本質的に九〇年代のパラダイムに属さないんですよね」という発言がある。東が云うとおり、社会全体にとってはもちろん、狭い批評シーンの中においてさえ、『批評空間』は中心ではないし、何ほどのものでもなかったわけです。

藤村 しかしそれに続く、「じつに反時代的というか、イデオロギーが消えてしまった世界のなかで、それでもイデオロギー的はあるんだと言い続けた存在。一種の亡霊みたいなもので、時代論の枠組みで扱うのは難しい」という部分には違和感がある。

外山 うん、ぼくもある。

藤村 東浩紀にはそう見えたというだけの話で、たしかに“イデオロギーの時代は終わった”みたいなことが云われてはいたけど、それ自体がまたポストモダン的な別種のイデオロギーなんだし……。

外山 ぼくの違和感は、むしろ東の発言を承けての次の市川真人の発言のほうにある。「イデオロギーが消えようとしているからこそ、あえてわれわれが言い募るというスタンスですね」と応じてるけど、柄谷や浅田が“あえて”選んだのは“憲法9条”とかであって(笑)、“イデオロギー”とかは“あえて”選んだわけではないはずでしょう。ポストモダン思想なり、あるいはポストモダン的なマルクス主義なりの“イデオロギー”に依拠してることは、柄谷や浅田にとって、そもそも自明の前提のようなもので、彼らが当時ことさらに“あえて、あえて”と連発してたのは、彼らのそもそものスタンスからは出てくるはずもない“平和憲法を守れ!”みたいな唐突な主張に関してだよ。さらにその市川発言を承けての東の次の発言も、「でもその『あえて』が途中からベタになっていった」っていう、これが“平和憲法がどうこう”という主張に関して云ってるんならそうも云えるが、柄谷・浅田のイデオロギッシュなあり方そのものについて云ってるんなら、やっぱりおかしい。

藤村 東が云ってるのは、90年代というのは本来は、“正義”みたいなものをベタには掲げられなくなった時代だったはずだ、というぐらいの意味じゃないかな。例えば自分はコレが正しいと思ってるけど、それに同意しない人も世の中には大勢いることを前提としてしか、“正義”は掲げられなくなったっていう。

外山 それはつまり相対主義でしょ。相対主義がポストモダン思想おける正義だよね。

藤村 正義というか、認識の前提というか。

外山 ベタな“正義”を掲げる連中に対して、そんなものはもう成立しないんだ、“正義”なんて相対的なものでしかありえないんだ、と云って闘いを挑んだのがポストモダン思想なんだし。

藤村 あ、そうだね。

外山 で、そういうポストモダン的な“正義”は、柄谷や浅田を含むポストモダン派たちには“ベタに”掲げられてたはずですよ。で、そういう相対主義的な“正義”の立場からすれば、“憲法9条”なんて“ベタな正義”を掲げるのは本来おかしいわけで、だからそれについては“あえて”ってことになる。91年の“文学者の反戦声明”の前後で柄谷や浅田も、あるいはいとうせいこうとかも“あえて、あえて”を連発してたから、そういう印象になってるのは分かるけど、ここで東たちが云ってるようなことではなかった。

150ページの、好感が持てる一連の発言もやっぱり東浩紀か(笑)。そりゃまあ『批評空間』を中心に“90年代批評史”は語れないという認識になれば当然のことではあるが、それにしても、筒井康隆の小説『文学部唯野教授』(90年・岩波現代文庫)まではまだしも、“サルまん”(『サルでも描けるまんが教室』相原コージ&竹熊健太郎 1990-92年)にまで言及するとは思わなかった(笑)。オタクだからマンガも視野に入れるのは不思議でも何でもないのかもしれないが、たしかに“サルまん”は東の云うとおり、「ポストモダン批評のひとつの頂点」だとぼくも思いますよ(笑)。東以外の3人からは、少なくとも自ら進んではこういう発言は出ないでしょう。

“サルまん”というのは、それを描いてる相原コージと竹熊健太郎がマンガの中に2人組の“マンガ家コンビ”として主人公格で登場して、どういうマンガを描くべきか、過去のマンガ作品をいろいろ分析しながら、やがてマンガの中でマンガの連載を始めるんです。しかも、その“マンガ内マンガ”はいわゆる“番長もの”なんだけど、ライバルというか倒さなきゃいけない敵キャラが話が進むごとにどんどん強くなっていって収拾がつかなくなるというのをギャグにしながら、最終的には“ポストモダン番長”みたいなのが出てくるんだ(笑)。具体的には読んでほしいけど、要はポストモダン思想で理論武装した“番長”で、主人公の側がいろいろ攻撃を仕掛けても、“そんな技が有効だというのは、これこれこういう理路で効く、というしょせん西欧的な理性中心主義に支えられたものにすぎない”とか云って(笑)、ただ無根拠に無意味に強い“番長”が登場する。“ポストモダン番長”じゃなくて、“意味なし番長”だったかな(笑)。

“サルまん”は何度も読み返してるぐらい好きなんで、ついつい語りたくなってしまうが、それは措いといて、全体の流れとして、やっぱり東浩紀がそんなふうに言及の対象をどんどん広げていった結果として、だんだん“朝ナマ”とか『噂の真相』とか「中森文化新聞」とかって話題を他の人たちも出すように、とくに後半はなってると思う。そこは先週危惧してたような、まさか90年代も“『批評空間』中心史観”で押し切る気じゃあるまいか、という予想が裏切られて、まあ、いいんじゃないでしょうか(笑)。

藤村 ただし、『噂の真相』の別冊として出た『日本の文化人』(98年)にも言及されてるけど、この座談会より『日本の文化人』のほうが、対象として目配りしてる範囲はずっと広い(笑)。あと、さっきココの本棚から抜き出してきた、『発言者』系の非保守派の論客であるスガさんが(笑)、宮崎哲弥・高澤秀次とやった鼎談をまとめた『ニッポンの知識人』(KKベストセラーズ・99年)って本もあるけど、そっちでは浅羽も呉智英も大きく扱われてるし、やっぱりバランスがずっといい。

外山 この東浩紀たちの座談会では、どうも呉智英ラインの人たちの扱いが、さすがに少しは言及してるとはいえ、小さすぎる気がするよね。そこらへんを全部まとめて“小林よしのり”に代表させてるのかもしれないけど……。でもやっぱり浅羽は90年代半ばぐらいの時期、宮台と張るぐらいの存在感だったはずだよ。

藤村 担当が分かれててね。偏差値が高い若者は宮台を読み、偏差値が低い若者は浅羽を読んでた(笑)。しかしマジメに云っても、呉智英・浅羽をちゃんと独立して扱っていないがために、『ゴーマニズム宣言』に対する東の評価もブレまくってる気がする。

外山 それはどのあたりに感じる? 例の「ゴーマンかましてよかですか?」って決めゼリフへの市川真人のヘンテコな解釈も、また152ページ中段あたりで繰り返し表明されてるけど、そこはもうスルーしちゃうとして……(笑)。

藤村 154ページ上段で、東浩紀が「小林さんは否定するだろうけど」って、べつに否定しないと思うが(笑)、「『戦争論』はどうのこうの言ってネトウヨを生みだした本だし、実際にいま読み返すと、『これこそが真実だ、目覚めよ』といったメッセージに満ちた洗脳まがいのテクストとなっている。それは否定できない。/ただ、いま振り返ってみると、そういうことをやっていた時期のほうが例外的だったようにも思えます」と云ってる。「例外的」じゃないよね。むしろ逆でしょう。現在も含めて、そんなことばっかりやってる人じゃん。

外山 ぼくは『ゴーマニズム宣言』以外、小林よしのりはほとんど読んだことないからよく分からないけど、『ゴーマニズム宣言』以後はそういう「洗脳まがいのテクスト」ばっかり書いてるとは思う。そしておそらく、デビューから『ゴーマニズム宣言』までの期間より、『ゴーマニズム宣言』以降のほうがもう長いんじゃない? そういう意味ではちっとも「例外的」だとは云えないだろうけど、『ゴーマニズム宣言』以前のものからすれば『ゴーマニズム宣言』は例外的なものだったという意味なら、読んでないから知らんが、そうなのかもしれない。

藤村 でもそれは、小林よしのりに限らず、『ゴーマニズム宣言』みたいな政治的プロパガンダのエッセイ・マンガなんて、少なくともメジャーなものとしては『ゴーマニズム宣言』以前には存在しなかったというだけの話だよ。

外山 まあね。

藤村 で、その前の153ページの市川さんの発言にあるように、「ぼくにとっては小林よしのりの選択と、たとえば百田尚樹のふるまいとのちがいは紙一重に思えます。大衆に、彼らが喜ぶ物語を投げ込み、その欲望を鼓舞して自分自身が巨大な偶像となっていく」という、こういう振る舞いを小林よしのりは今でも続けてるでしょ。単に、今の小林よしのりは90年代後半ぐらいに比べて思想的にだいぶマシになってるというだけの話であって(笑)、相変わらず「自分自身が巨大な偶像となって」、比較的マシな思想を読者たちに啓蒙しようとしている。……というか、もし小林よしのりを肯定したいのであれば、むしろ「『これこそが真実だ、目覚めよ』といったメッセージに満ちた洗脳まがいのテクスト」の書き手としての小林よしのりを、部分的に、慎重にではあれ、肯定する視点が必要なんじゃないだろうか。だってそうでないと、小林よしのりなんて、単に“時事問題の絵ときマンガ家”にすぎなくなってしまうよ(笑)。

あと、155ページ上段から中段にかけて、「オウム真理教事件のときには、小林さんはVXガスで暗殺されそうになります。アシスタントも仕事場の周りを警備したり、すごいストレスだったと思うけど、それでもだれも彼のもとを離れない。そして事件が片づくと、みなで香港旅行に行って、小林さんがアシスタントたちに高級ブランド品を買い与えたりする」という家族的な共同性、小林の「完全に『父』のふるまい」について東浩紀が「妙に感心した」という話をしてますよね。それに対して市川さんが、「小林的な家父長性を素直に肯定できますか?」とツッコむと、東は「肯定するというか、人々がそれを求めるという認識は持つべきだと思う。倫理的に正しいかどうかはわからないけれど、そのようなふるまいを多くのひとが求めるという現実はあるだろうと」って、ゴマカシというか、はぐらかしたような答え方をしてる。オレは、小林よしのりの家父長的なあり方について、はっきり云って気持ち悪いと思います。だからきっぱり否定してもいいんだけど、しかし同時に、小林が家父長的であることは、小林が常々云ってる、消費者ではなく“プロフェッショナル”つまり生産者としてのあり方、みたいな話と密接に結びついてもいるんだ。そこは肯定すべき部分もあると考えているオレとしては、小林の云うことを丸ごと肯定したり否定したりするのではなく、いろいろ混じってる要素を慎重に腑分けして、1つ1つ評価していくような作業が必要だと思うわけです。

これは157ページ下段に出てくる、小林、中森明夫、濱野智史、宇野常寛の“AKB論”の座談会の本(『AKB白熱論争』幻冬舎新書・2012年)について東が、小林・中森は生産者側の視点に立ち、濱野・宇野は消費者側の視点に立ってて、「落差がある」と云ってることにもつながるんだけど、しかし全体として、もちろん東も含めて、“消費者”を肯定する歴史観を語ってるわけだし、だから“生産者”であることと結びついた小林の家父長的なあり方についても曖昧なことしか云えないんでしょう。オレは、東浩紀が小林よしのりに対して肯定的なこと自体についてはいいと思ってるんだが、こういう“消費者肯定”の歴史観では、小林をちゃんと肯定するロジックは出てこないんじゃないか、と。

さっき云った『噂の眞相』別冊の『日本の文化人』の中に「ドロ沼の若手文化人ソーカン図」ってのがあって、小林よしのりと盟友関係にある呉智英は「オトナになれ(新保守派)」の「黒幕」に位置づけられているし、小林よしのりはもちろん浅羽も大月も西部邁も「オトナになれ」派だよね。一方「コドモで何が悪い(おたく派)」の「黒幕」が中森明夫で、浅田や柄谷など『批評空間』系の人たちもこの近くに位置づけられている。大塚英志は真ん中あたりだが、中森明夫と「友好関係」、大月・浅羽とは「敵対関係」となってるから「コドモで何が悪い」派に近いのは明白だ。オレは、この図は当時の言論状況をかなり正確に映していると思うから、東たちが大塚英志パラダイムで小林よしのりを論じるのはかなりの無理スジだと感じざるを得ない。そして東たちがそういう歴史観しか持てずにいるのは、後半チラチラ触れられてはいる『宝島30』とかの言説をおそらくリアルタイムでは軽視してきたんであろうツケであり、『批評空間』について、イデオロギーの時代はもう終わったのに“あえて”イデオロギッシュにやってる、としか捉えられない程度の浅いイデオロギー観から抜け出そうとしなかったツケだろうと思う。

外山 ……160ページ下段から161ページ上段にかけての東の発言についても、“さすが! 鋭い!!”とは思ったんだ。まずさっきの、オウムに毒ガス兵器で狙われても、「アシスタントがだれも辞めず、小林さんの運動を支えているというのは本当にすごいことで」云々、「そこに家父長制的なコントロールがあるとしても、そういう支えがなければ運動なんてできるわけがないので、この点で小林さんの運動家としてのすごみは確実にある」、「社会改革を本気でやるって、よかれあしかれそういうことだと思う」と小林を妙に持ち上げた上で、柄谷行人が00年代初頭にやってたNAM(New Associationist Movement。柄谷の提唱で00年から03年までおこなわれた、“資本と国家への対抗運動”)について、「まったく論外ですよ。自由な個人のアソシエーションとかで、VXガスに抵抗できるはずがない」と切って捨ててる(笑)。

まったくそのとおりで、柄谷は生産者ではなく消費者を組織するという革命の戦略を思いついて、NAMを提起したわけだ。しかし、そもそも何の決意も覚悟もないことを本質とする“消費者”なんか、いくら組織したって“運動”の主体になんかなりません。東のNAM批判はそこをまっすぐ突いてて非常に鋭いんだけど、問題は、東もまた別種の“消費者運動”を提起してるにすぎないことなんだよな(笑)。逆に柄谷は、そもそも無理スジとはいえ、消費者運動を革命運動に転化させようというココロザシは少なくとも持ってたわけだ。そのぶん柄谷のほうが東よりマシだとさえぼくは思う。東のNAM批判は正しいんだが、じゃあどうすれば「VXガスに抵抗できる」ようになるかといえば、まず何より“消費者運動”であることをやめなきゃいけない(笑)。

藤村 大塚英志の云う“かわいい”的な消費のあり方を、彼らは肯定的に評価して、その延長線上で考えてるんだもんね。それこそ大塚英志はまだ“あえて”それを云ってたような気がするけど、この人たちは“ベタに”それを引き継いじゃって、その結果としていろいろ扱いに困る問題が出てくるという点についてだけは、東浩紀は敏感だったりする(笑)。

外山 時々鋭いことも云うんだよなあ。最近の運動についても鋭いことを云ってたでしょ。156ページ中段で東は、「現在の状況について言えば、右翼的なパトスに対して左翼的な理性があるかと言えばぜんぜんそんなことはない。SEALDsのブームやカウンターの例が象徴するように、二〇一五年は左翼の側も右翼と同じようにパトスで戦い始めた年で、パトス対パトスの構図が明確になっている。そういう意味では、左翼の右翼に対する優位性はもはやない」と云ってます。最後に出てくる「優位性」って、要するに知的優位性だよね。右も左も、どっちもアホになってるということです。シールズやしばき隊は、もはやネトウヨと“どっちもどっち”だと云ってる。(紙版)『人民の敵』で藤村君としょっちゅう云い合ってる話そのまんまで、もちろん最低限の知性と良識があれば誰だってこういう判断になるはずなんだけど(笑)、もはや“知識人”までバカになってるんだかから、そんな中で東浩紀はやっぱり相対的にはかなり優秀なのかもしれない。

藤村 “しばき隊評論のトップランナー”(『人民の敵』第21号第27号での議論を読んだ元しばき隊の清義明氏がツイッターで藤村氏をそう評した)として云わせていただきますと(笑)、同じ156ページの上段で福嶋さんが、「超越の感覚を生み出すのは右翼的なパトスしかない。あるいは、パトス的に超越性にコミットしなければならない」と云ってます。左派もたしかに現在ではほぼそうなってて、“アベ政治を許さない!”的な運動を、“安倍は悪い奴だ! ファシストだ!”みたいな言葉で人々の感情を煽って、つまりパトスを組織するようなことばっかりやって成立させてる。

しかし野間(易通)さんたちのカウンターの運動はそれとはちょっと違う。野間さんたちは、パンクを中心としたサブカル感覚を組織してるんです(笑)。……少しマジメに云うと、やっぱりシールズとカウンターを同列に並べちゃいけませんよ。だんだん混ざってきて質も似てきたかもしれないけど、カウンターは直接行動であって、シールズは“陳情”にすぎないんだもん。

外山 それはそうなんだけど、東がここで云ってるのは、単に左翼もバカになってしまった、ということでしょう。左翼は本来、理性の運動だったはずなんだけど、今や右も左も理屈のない、パトスつまり情念の運動になってしまってる、と。

藤村 うん、分かってます。ただ、東浩紀はどこかで、“安倍以外ならもう誰でもいい”みたいな最近の“安倍ヤメロ!”運動を“否定神学的マルチチュード”と評してて、シールズはそうかもしれんけど、野間さんたちはそういう“否定神学”的なパトスの調達の仕方をやってるんじゃなくて、サブカル的に調達してるんだと強調しておきたかっただけです(笑)。

外山 ……あと常識的なことだけど、156ページ下段から157ページ上段にかけての議論にも異議はない。ネットの登場は、消費社会をますます全面化させたわけですよね。東が云うように、「インターネットが普及し、みなが全世界に対して安価で情報発信できるようになれば、さすがにみな多少はモノを考えて議論するようになり、世界もよくなるだろうという幻想がある時期までは全世界を支配していた」という、もちろんぼくは、何の覚悟もないそこらへんの連中に“自分の意見”とか発信する権利なんか認めたらロクなことにならんと最初から思ってましたが(笑)、一般的にはそういう「幻想」があったでしょう。ところが実際には、東の発言を承けて市川が云うとおり、「主張や発信するばかりで他人の言うことには興味がなかったり、せいぜい共感するものをリツイートしてなにかを言った気分になれてしまうから、議論が逆に成立しないんですよね。自分とちがう意見にはたんに感情的に反発しても、それを肯定してくれる別の脊髄反射が必ずあるから、結果的にタコ壷的な狭い同質性が空虚の外殻だけを固めてしまう」ということになった。さらに続けて市川は、「だれもが快適な自己主張をした結果、公共性や遠い他人に興味など持たずに、地縁や血縁で集まったほうが快適だということがわかった、という話でしかない。その状況と、大きな地縁かつ血縁としての民族主義、さらには国民国家にもとづく国家主義ががっちり結託しているのが、今日的な状況なのでしょう」と云ってて、おおよそ同意するけれども、しかし「だれもが快適な自己主張をした結果」のところが実は「戦後民主主義の理念にもとづいてだれもが……」と始まってるのが、やっぱりトンチンカンだと思う。戦後民主主義は関係ない。資本主義もしくは消費社会ですよ。

……しつこいようだが、91年の湾岸戦争勃発に際しての、柄谷たちの“文学者の反戦声明”について、まさに165ページ上段で、市川真人も「ぼくもリアルタイムでは知りません」と云ってるわけです。71年生まれだから当時もう20歳ぐらいだった、しかもこんなにインテリな市川サンの視野にもリアルタイムでは入ってこなかったぐらい、何の社会的インパクトもない『批評空間』界隈の“イベント”にすぎなかった。

藤村 うーん……しかし彼はオレらと1コしか違わなくて、しかも早稲田の文系インテリだったわけでしょ。福岡の田舎学生のオレでも知ってた“文学者の反戦声明”をリアルタイムでは知らなかったとか、ありえないと思うんだけどなあ。

外山 本来ならというか、あれが多少なりとも社会的インパクトを持ちえた“運動”であれば、ね。しかしそうではなかったということが、この市川真人の一言で証明されてるようなもんです。ただ、東浩紀が最後のほう、166ページ上段で云ってるように、「湾岸戦争時の反戦声明の意義は、むしろ、それに違和感を抱いた加藤典洋らがのち『敗戦後論』(九七年)を書き、それがまた高橋哲哉との論争を引き起こした、その副産物によって歴史に残っていると言えるのではないか」というのが、せいぜいのところでしょう。もちろん“加藤典洋vs高橋哲哉”の論争自体が、もはや90年代後半だし、ますます批評シーンというタコツボの中の事件でしかないが、そういうものとしても“反戦声明”よりは大きな事件だと思います。

それから先週も云ったけど、165ページ下段から166ページ上段にかけて、“反戦声明”に絡んでチラッと“いとうせいこう”の名前も出てくる。いとうも柄谷らと並んで“反戦声明”の中心的な1人でした。しかしおそらく、ここでいとうの名を挙げた大澤聡はもちろん、他の3人も、いとうせいこうが盛んに政治的・社会的発言をやるようになったのは、この“反戦声明”の時ではなくて、とりあえず土井社会党ブームに象徴される80年代末の“政治の季節”の渦中での、反原発運動や天安門広場の学生たちを支援する運動とかが起点になってるということは、ちっとも念頭にはないでしょうね。91年のしょーもない“文学者の反戦声明”も、80年代後半の“政治の季節”の勢いの余波、残照の1つだということが分からないと、ますますそんなものに言及する意味はないんです。で、だからこそこの人たちは、朝ナマに対する評価もヘンなんだ。

藤村 うん、それはオレも思った。

外山 161ページ上段で、若くて時勢に遅れてる大澤聡が「九〇年代はなんといっても『朝まで生テレビ!』(八七年=jの時代だった」と云ってるのは仕方ないけど、その間違いを年長の東や市川が訂正してあげないどころか、同調しちゃってるのが腹立たしい。なんてモノを知らない奴らだ、と。朝ナマはどう考えても“80年代後半”という時代の産物でしょう。・

藤村 だよなあ。

 

つづく

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