どんな運動でも日常に帰りそびれる奴が出てきて“活動家”になる。そのこと自体を批判する小林よしのりをぼくは支持しない -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題1989-2001」を読む(4)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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前回から続く

 

外山 87年に朝ナマが始まって、深夜の長時間番組であるにも関わらず急速に超人気番組へと成長していくわけですけど、始まって3、4年間ぐらいの朝ナマの出演者というのは、それぞれの背後に現実の運動の支えを持ってた。しかし90年代に入ってからの朝ナマでペチャクチャ喋り合ってる連中の背後には、そんなもの存在しないわけですよ。TVタレント化した“知識人”たちが、ペチャクチャと“討論ショー”をやってるにすぎない。90年代の、朝ナマで宮台がどーしたこーしたというのは、80年代の朝ナマの廃墟の光景でしかないんだ。

藤村 うん、そうですね。

外山 そういうことが、東浩紀たちには全然見えてないわけです。

藤村 “朝ナマはなぜつまらなくなったのか問題”ってのがあるでしょ。この座談会でもそこらへんは考察されてるけど、やっぱり的を外してる。

外山 162ページ中段だね。大澤聡が「パネリストの優等生化」と表現してる。それはそうなんだけど、その原因を大澤は、「録画が簡単にできるようになり、さらにネットで違法アップロードが横行するようになった結果、深夜の生放送ならではの放言が不可能になってしまった」からだと考えているらしい。

藤村 そういう側面もゼロではないかもしれないけど、まあ、間違いだ(笑)。やっぱり“価値”が問われなくなったからだと思う。今の朝ナマの出演者って、政治家と、政策提言をするようなタイプの学者ばっかりで、つまり“批評家”なんかはほとんど出なくなった。

外山 というか、今の朝ナマは“学者”ばっかりで、90年代の朝ナマには“批評家”がたくさん出てて、しかし80年代の朝ナマのメインは“運動家”たちだったってことですよ。“文化人”たちもたくさん出てたけど、やっぱり“運動”的な匂いがする、少なくとも“学者”的ではない人たちがほとんどだった。

藤村 大島渚とか野坂昭如とか……。

外山 大島渚は新左翼運動とも露骨に親和性のある映画監督だし、野坂昭如だって“行動する作家”だよね。もちろんもっと完全に“活動家”な人々としては、左からは小田実や議会政治家に転向する以前の辻元清美、右からは野村秋介や鈴木邦男なんかが、ほぼ常連的に出てた。そういう出演者たちによる“討論”だからこそ、むやみに白熱したわけです(笑)。もちろんテレビの前でもそれなりの数の、80年代後半の“政治の季節”の中で反原発とかいろんな運動に参加してる若者たちが、敵側の発言に怒りを燃やしたり、自分サイドの発言に溜飲を下げたりしながら、手に汗握ってそれを“観戦”してる(笑)。朝ナマとセットで、同時期の86年にスタートして最初の3、4年間ぐらいの、土井たか子をほとんど数日おきに生出演させて“ナカソネ政治”を糾弾させまくってた「ニュース・ステーション」もありました。朝ナマというのはそういう番組として人気を博したわけで、90年代のそれは、“文学者の反戦声明”同様、“80年代後半”の熱気の余熱で保ってたにすぎないんだ。

そもそも最初のほう、148ページ上段に出てきた大澤聡の発言、「九三年、九四年あたりはほんとうに豊作」とこれはもちろん批評シーンの動向について云ってるわけですけど、これがもうぼくなんかとは完全に真逆の時代認識なんだよね。ぼくに云わせれば92、93、94年というあたりが最も時代の谷底で、“反革命”の全盛期ですよ(笑)。大澤が列挙してるとおり、『完全自殺マニュアル』だの『ゴーマニズム宣言』だの『サブカルチャー神話解体』(宮台真司ほか・93年・ちくま文庫)だの、反革命言説も猖獗を極める(笑)。左では宮台が、右では浅羽が、それぞれハバを利かせて、“終わりなき日常を生きろ”だの“青臭い反抗なんかやめてプロフェッショナルになれ”だの、くだらんことばかり云って、悩める青年たちを惑わせ、革命から遠ざけてるわけだ。

これまた朝ナマの評価ともつながってて、90年代前半というのは、80年代後半の高揚期が終わって、現場の運動が消えて何もない中で、宮台や浅羽が運動をディスるような言説ばかり垂れ流してた時代です。最悪の時代だった。だからこういう、「九三年、九四年あたりはほんとうに豊作」なんて反革命の手先みたいな発言を読むと、そりゃぼくなんかに発言の場所がないのも当たり前だと痛感するよ。最初からスレ違ってて、話の噛み合わせようもない(笑)。

藤村 細かいことを云えば、154ページ下段の福嶋さんの発言にも違和感がある。「小林さんは当初は、イデオロギーの時代が終わったからこそ、むしろ自立した個人のネットワークが必要だという考えだったわけですね。ところが薬害エイズ問題での失敗などを通じて、市民社会のスカスカな空洞性に直面し、日本では自立した個人を内在的に作ることはできない、したがって超越的な価値をどこかからインストールしてこなければならない、となった」というふうに、小林よしのりの“右転向”の脈絡が説明されてます。細かいところというのは、薬害エイズの運動そのものはむしろ成功したわけだよね、ってことです。当時の菅直人厚生大臣に謝罪させるところまでいった。つまり勝ったんだから、運動に参加してた若者たちもまた日常に帰ればいいのに……。

外山 社会的な問題に取り組んで大勢で盛り上がるという体験が、麻薬のように作用して、“他に何か取り組むべきテーマはないのか?”的な方向に走る若者たちが意外とたくさんいて、そこに病理的なものを感じた、というのが小林よしのりの“転向”の始まりになるんだよね。

藤村 で、“個の連帯は幻想だった”というふうに、薬害エイズ問題との関わりを総括した『脱正義論』(幻冬舎・96年)は締めくくられる。

外山 小林よしのりのそういう総括には1ミリも賛同できないけど……つまり何かの運動に初めて参加して、高揚体験を持つ、と。最終的に勝つにせよ負けるにせよ、運動が一段落すると、大半の人たちはまた日常に帰っていく。ところがどんな運動でも、盛り上がれば必ず一定数、高揚体験に囚われて日常に帰りそびれる奴が出てくる。そういう人が“活動家”になるわけです。ぼくだってそうだもん。ちゃんと日常に帰ることができた人は“大衆”。これは良い悪いの問題ではなくて、単なる確率の問題として、盛り上がった運動というのは必ずその後に、一握りの“活動家”たちを生み落とす。自然現象みたいなもので、そのこと自体を批判する小林よしのりをぼくは支持しない。ただ、薬害エイズの運動では、これは今のシールズとかでも同じだけど、そうやって運動シーンにとどまった仮免段階ぐらいの若い活動家たちを、共産党がかっさらってしまうわけですね。小林の“右転向”には、これに反発したという要因もある。

藤村 経緯としてはそういうことですね。この福嶋さんの発言は、間違いというほどではないけど、ハショりすぎというか、それで誤解を招くような気がしただけです。失敗したのではなく、むしろ成功したからこそ小林の右転向ということも起きた。“パヨク”はむしろ原発を止めるのに失敗したからこそ発生したようなものなので、この“成功か失敗か”は、“パヨク”問題を考える上では必要な前提だと思います。

外山 しかしここでの『ゴーマニズム』論に関しては、やっぱり右転向のもう1つの大きな契機であるオウム事件との絡みにこだわってなさすぎだよ。VXガスの恐怖にも負けずによく頑張った、ぐらいの話しかない(笑)。……いや、もっと最初からいくと、152ページ下段に東浩紀の初期『ゴーマニズム宣言』に関する言及がある

「『ゴーマニズム宣言』は最初は小ネタばかりですね。日本人のペニスがいちばん気持ちいいんだとか、バカげたネタも多い。それが急速に変わっていく。つまり論壇的になっていく」とあって、これはまったくそのとおりです。しかし何がその変化のきっかけだったのか、ということについてどうも引っかかってる様子がない。きっかけは部落問題だよね。もちろんこの座談会でも、『ゴーマニズム宣言』が部落問題についても切り込んだことへの言及は160ページにあったけど、“偉いと思いました”ぐらいの話で(笑)、それがまさに初期『ゴーマニズム宣言』から中期というか、その次の段階への変質の契機だったという指摘はありません。これでは一介の“政治エッセイ・マンガ家”にすぎなかったはずの小林が、どうして「論壇的」な存在と化して、「あれよあれよというまに小沢一郎クラスの政治家と会うようになり、オウムからは暗殺で狙われ、『噂の真相』にスキャンダルで狙われ、薬害エイズ事件では『HIV訴訟を支える会』の会長にまで就任する」(153ページ上段・東)ことになるのか分からない。

そもそも『ゴーマニズム宣言』の最初の本格的な悪役となるスガさんとのバトルのきっかけが、部落問題なんだよね。左派系・リベラル系の連中が小林に批判的になるのは、小林がすっかり右傾化した90年代後半のことだけど、それまでは奴らはほぼ全員が“小林万歳!”だったわけですよ。小林を“怪物”にしたのはむしろ左派であって、ぼくなんかはザマーミロと思ってますけど(笑)、左派が小林をもてはやし始めたのも部落問題への言及からです。つまり凡庸な左派どもが小林をチヤホヤし始めるまさにその起点のところで、スガさんは先頭を切って小林批判をマジメに展開したことになります。

藤村 160ページ上段で、福嶋さんが「とりあえず『俗情との結託』問題は『差別論』(九五年)が発端になっているわけですが、ぼくは今回はじめて読んでかなり驚きましたね」と云ってて……。

外山 あ、そこにそもそも事実誤認がありますね。『差別論』は『ゴーマニズム』の“スペシャル版”として、だいぶ後になって書き下ろしで刊行されたものでしょ。これは自慢で云うんですが、実は『ゴーマニズム宣言』を最初に批判したのは、スガさんとぼくなんです(笑)。もちろんまだスガさんとは会ったこともないし、笠井潔の影響でスガさんにはとても悪い印象を持ってた頃の話です(笑)。ぼくは自分が当時出してたミニコミとか、唯一連載を持ってた宝島社の『バンドやろうぜ』という音楽誌とかで小林批判をやって、媒体が媒体なんで小林にとってもまったく脅威ではなかったんでしょう、それでも少なくともミニコミは送りつけたんで、欄外(第2巻・138ページ)でちょっと言及はされてるんですが、それはいいとして、ぼくもスガさんも初期『ゴーマニズム』のまったく同じ回を読んで“『ゴーマニズム』を批判しなければ!”という思いに駆られたようなんですよ。それが小林が初めて部落問題に言及した回で、かなり初期、たぶん連載が開始された92年のうちのものであるはずです(調べてみると、連載第16回「差別だらけの社会を糾弾せよ!」。92年1月からの週刊誌連載での第16回であるから、やはり92年中のはずである)。

スガさんの最初の『ゴーマニズム』批判の文章は『「超」言葉狩り宣言』(太田出版・94年)という本に載ってるはずで……(と本棚から取り出して)あれ? “書き下ろし”となってるな。でも94年刊行の本に書き下ろしで載ってるんだから、95年の『差別論』はまだ出てないわけで、もちろんこの『「超」言葉狩り宣言』掲載の「マンガのゴーマニズム」でスガさんはもう“俗情との結託”という言葉も『ゴー宣』批判の決めフレーズとして使用してるし、『差別論』が“小林vsスガ”論争の「発端」ではないことは明らかでしょう。

藤村 なるほど。まあともかく、さらに続けて福嶋さんは、「あんなセンシティブなテーマを、読者層の広いマンガでやるのはものすごく勇気がいる」と云ってるんですが、オレはこの云い方には疑問がある。だって、部落問題がタブーのようにされてたのは、解放同盟の糾弾をみんな恐れてたからでしょ。小林はまず解放同盟に接近してるんだもん。実際に接近したんじゃなくて、解放同盟に対して好意的なスタンスを表明した上で部落問題を扱い始めたってことだけどさ。

外山 同じ160ページの中段で、市川真人も「部落解放同盟ともやりあっているのはすごいけど……」とまるで小林と解放同盟が対立的であったかのような云い方をしてるけど、全然そんなことないよね(笑)。細かい部分で意見の食い違いもあった、というぐらいのことで、解放同盟とは小林は基本的にはそれこそ“結託”してた。

藤村 そうそう。

外山 だからこそ左派系・リベラル系の連中も安心して小林を持ち上げ始める。もし共産党系の部落解放運動とくっついてたら、そうはなってない。

藤村 小林の部落問題へのスタンスって、“差別に苦しんでる人たちがいる。ワシが何とかしてやらねばならん”という、まさに家父長的な感覚にも支えられてた気がするよ。

外山 うん、スガさんの『ゴー宣』批判はそういう側面にも向けられてたと思う。メインの“俗情との結託”というのは、差別されてる側の女の人を“和装の美女”として、差別する側の連中を関西系のガサツなオバハンみたいに描くという、まあマンガだから仕方ないとも云えるが(笑)、そういうプロパガンダの手法に関してだけどさ。

藤村 同じく160ページ中段で、東が「あれは小林の圧勝でしょう」とも云ってるけど……。

外山 ここでも「スガ秀実と小林よしのりの論争はまさに『差別論』が発端だけど」と“まさに”間違った情報をダメ押ししてるね(笑)。

藤村 小林が勝ったというのは、まず影響力の点で……。

外山 うん、何よりもまず“量”の問題でしょう。マンガに活字では対抗できませんよ。ぼくもこの頃、どうすれば小林の影響力に対抗しうるだろうかと悩んで、マンガでないとしたら音楽しかあり得ないなと思った。

藤村 あるいはスガさんのような立場は、一般の多くの人たちからすれば蓮實重彦とかみたいな、スカした特権的なものにしか感じられないだろうし、そういう言説はもう無効なんだということでしょう。スガさんはそれこそ、小林の“俗情との”つまり大衆との“結託”を批判したんだし、大衆の側からすればそんな奴、明らかに“敵”だよね(笑)。しかしちょっとヒネクレたことを云うと、スガさんの側が勝利したと考えることもできる。それまで一部のインテリにしか知られてなかったスガさんが、『ゴー宣』に何度も悪役として登場することで、かなり知名度を上げたと思う(笑)。

外山 まあ、たしかに(笑)。ヒドい似顔絵を描かれてね。これがまたかなり似てるから困る(笑)。

藤村 東はここで「小林よしのりの運動家としての『正しさ』については評価すべきだったのではないか」とも云ってるけど、スガさんのために云っておくと、スガさんも部分的には小林を評価してたし、“真摯”で、“それなりによくやっているとは思う”ぐらいのことは書いてた(「小林がそれなりに良くやっているところはあると思うし、『ゴーマニズム』と言うわりには正しい意味で真摯である場合も少なくない。このことは、フェアーを期する意味でも、まず指摘しておきたい」)。

外山 ぼくはむしろ小林よしのりの“運動家としてのダメさ”を当時から感じてて、東は「九五年までの小林さんについては、オウムとの戦いでも、差別の問題でも、薬害エイズでも、つねに正義の側に立っているように思う。それに対しては敬意を払うべきです」とか云ってるけど、今で云えば要するにシールズ的な正義の側に立ってたというだけのことで、解放同盟だって当時は、まあ恐れられちゃいたとはいえ、今みたいにまるで悪の秘密結社か何かであるかのようなネトウヨ的な偏見が蔓延してたわけでもなし、ごく素朴なリベラル派ならそれほど躊躇せずに接近できる程度の存在ですよ。シールズに対しては批判的なはずの東浩紀が、小林のその程度のスタンスを、カギカッコ付きとはいえ“正しい”とするのはいかがなものかと思う。

……ぼくの92年時点での『ゴーマニズム』批判というのは、スガさんとはまたまったく違う立場からのものだったんだ。小林よしのりは、その時点ではどうだったか分からないけど、『ゴーマニズム』の中で繰り返し“プロフェッショナル”がどうこう、何かの専門家であることを称揚するよね。しかし小林は、マンガについてはそりゃプロかもしれんが、言論人としては完全にアマチュアなわけでしょ。政治とか思想なんてことについてはド素人のくせに、それらの専門家に対して、まるで対等であるかのような議論の挑み方をするようになる。

もちろんごく初期、最初のほんの10回ぐらい、西部邁とかを茶化してたぐらいの時点では、それはべつに鼻につかないんだ。西部は堂々たる大衆蔑視論者、“大衆蔑視”を公言してるような人なんだし、それに対して小林が“大衆として”ムカッとくるのも当然です(笑)。西部にバカにされてる大衆の1人として、“東大のエラい先生だか何だか知りませんけどねぇ”と憎まれ口を叩いた上で茶化すという、非常に微笑ましいもので、素人が専門家に物申す、そのまさに“ゴーマン”さがちゃんとギャグになってた。

ところがこの差別問題を最初に扱った回で、コイツ素人のくせに本気になったぞ、というのをぼくは鋭く察知したんだね。ぼくはこの92、93年の時点ですでに、“マンガ家ふぜい”なんかより“活動家様”のほうが比較にならんぐらい偉いんだという認識に到達してたんで(笑)、“マンガ家ふぜい”の小林のそういう“越権行為”を許してはならんと思ったわけだ(笑)。もちろんそういう云い方はしないけど、こういう奴がマジメに天下国家の問題を云々し始めたらロクなことにならんというのは分かりきってたんで、“その道のプロ”としてのぼく自身の解放同盟批判なんかとも絡めつつ、要は“素人はスッこんでろ”的な批判を、もうちょっとオブラートに包んで……(笑)。しかしスガさんの批判が94年だとしたら、ぼくはたぶん92年に出した『カルピス』ってミニコミで最初の批判を書いてるんで、実はぼくのほうが圧倒的に早いな(笑)。ともかくド素人が社会問題にあれこれ意見を云うような風潮を、『ゴーマニズム宣言』は明らかに加速させたし、その後のネトウヨ問題だってそういう側面は大なんだから、ぼくの批判もそれなりに的確なものだったんじゃないかな。

……朝ナマ問題をまた蒸し返すことにもなるけど、161ページ下段で、大澤聡が「考えてみれば『朝生』だけですよね。代替する番組は存在しない」と云ってる。そうだろうか? そりゃたしかに次の182ページ上段で、市川が「『朝生』の最大の特性のひとつは、無編集であることですね」とか「『朝生』の強さは、とにかく生であることの説得力ですよね」とか云ってるとおり、そういうしかも長時間のレギュラーの討論番組は他にないでしょう。しかし、80年代からすでにそうだったとはいえ、90年代の朝ナマはますますそうであったような、浮わついた“知識人”どもによる“討論ショー”のような番組は、いくらでも作られるわけです。もちろんそれらは「無編集」でも「生」でもないけど、何が云いたいかというと、つまりド素人どもにとっては、朝ナマのような形式で議論を見せられるのは、まだ苦痛なんですよ。それで朝ナマのエッセンスを凝縮したような、“面白場面集”だけで構成されたような、いわばド素人向けの、朝ナマをさらに劣化させたような“討論ショー”番組が次々と作られるようになる。それが「TVタックル」であり、「そこまで言って委員会」であり、「ニュース女子」じゃないですか。朝ナマのように専門家がそこそこムズカシイ話をして、しかも議論が堂々巡りになっててもカットされないようなものは、朝ナマ視聴者よりもっと素人度が高い消費者どもには楽しんでいただけないんで、各局はいわば“コンパクトな朝ナマ”をどんどん作り始めて、そういうものならゴールデン・タイムにも進出できるわけです。だからそりゃ“朝ナマそのもの”であるような番組は朝ナマだけだが、「代替する番組」は実はいくらでも存在してるし、それらが世の中をどんどんマズことにしていってると思う。

藤村 最近は意外とまた朝ナマは面白くなってきてるんじゃないかな。ツイッターでも言及してるのが流れてくる頻度が増えたような気がする。

外山 あ、たしかに“学者ばっかりじゃん”というのはちょっと前の話で、“3・11”以降は、あるいはそのちょっと前のフリーター労働問題ぐらいから、テレビに出せる“現場活動家”の新人もだいぶ発掘できただろうしね。議論のレベルはともかくとしても……(笑)。

藤村 体制側にも百田尚樹とか、キャラの立った論客が増えてきた(笑)。

外山 しかし、162ページ下段の東発言はつくづく情けないよ。福嶋亮大が「そう言えば、麻原彰晃の『生死を超える』(九二年)を一応読んできたんですが(笑)、それこそ『完全自殺マニュアル』を思わせなくもないヨガのマニュアル本なのね。まあいかがわしいけど、これを読むだけではそこまで危険な集団に見えない」と、先入観を抜きに読めばたぶんごく普通の感想であろうようなことを云ったのに対して、「タブーのない共同討議とはいえ、麻原彰晃の再評価は……」とまさに“軟弱ヘナチョコ”ぶりを露わにしてる(笑)。これは冗談ではすまない問題で、だってオウムを直視しないから、こういうデタラメな議論ばっかりしてしまうことになるわけでしょう。

藤村 うん、そうだ。

外山 直視すればもしかしたら“麻原再評価”を云い出す人も現れるかもしれないが、そんなことを恐れずに直視して、もし再評価すべきところがあると思うなら再評価したっていいんだ。それをしないから、80年代のオウムの姿もちっとも視野に入ってこないし、80年代論も90年代論もムチャクチャになって、市川真人が「ぼくたちの世代は、彼らの選挙パフォーマンスを渋谷の駅前で見ているからね」とか、遅れまくったことを平気で自慢げに云ったりできる(笑)。市川が云うように、たしかにオウムの人たちは、「あの着ぐるみとダンスで本気で選挙に通ると信じてい」たわけで、そこがまさにぼくがさっき云った、社会科学の素養がまったくないオウムの限界なんですけど、オウムが本格的にマズいことになる起点は実はこの90年の選挙にあるんだよ。当選するはずなのに落ちた、おかしいぞってことで、“票が操作された!”とか云い出して、どんどん陰謀論に傾いていくわけだ。そういう経緯もおそらくこの人たちには分かってない。逆に云えば、それ以前のオウムは比較的マトモな宗教であることも、ちゃんと見ればすぐ分かるはずだよ。

163ページ下段で市川が一応、宅八郎についても言及してるけど、「『SPA!』も大事ですよね」と云って『SPA!』に触れたついでに、「宅八郎もいてサブカル批評の中心だった」という、ただそれだけです。オウム事件の時にいかに重要な仕事をしたか、一言も触れられてない。これほどの矮小化もなかなかないよ。『ゴーマニズム宣言』の絡みで云っても、“最初の敵役”はスガ秀実だけど、“最大の敵役”は宅八郎だったことも、誰が読んだって明らかな事実のはずだ。

藤村 たしかにそうだった気がする。

外山 オウム事件に際して宅八郎は、『SPA!』の「週刊宅八郎」って連載で毎週、オウムを擁護するというより、要は警察の強引な捜査手法を批判した。ところが小林よしのりも『SPA!』で「ゴーマニズム宣言」を連載してるわけで、サリン事件のずっと以前に坂本弁護士一家の事件を取り上げて、その時点ではもちろん確たる証拠もなしにオウムによる犯行と断定したことで、オウムに命まで狙われるハメになったんだし、サリン事件の後はもうカサにかかってオウム・バッシングをやりまくるんだけど、同じ雑誌で毎号、宅八郎がオウムではなく警察側を批判してることが腹立たしくて仕方がない。で、小林が「ゴー宣」の中で宅攻撃を始めて、宅側も連載の中で応戦して、そこから『SPA!』誌上で4、5ヶ月間、壮絶なバトルが毎号繰り広げられたわけですね。あの時期の『SPA!』はメチャクチャ読み応えがあった。小林の云ってることはメチャクチャだったし、やがて『SPA!』の他の何人かの連載陣も、松沢呉一をはじめ宅側で参戦し始めたりして、小林は完全にキレていわば“場外乱闘”に持ち込むんです。つまり、『SPA!』の発行元である扶桑社の上層部に交渉して、宅八郎の連載を打ち切らせ、小林の目には宅側についてるように見えたらしい編集長も解任させた。扶桑社にとって『ゴーマニズム宣言』の単行本はすでにドル箱になってましたからね。そうして宅八郎は結局、文筆家生命を断たれて、しばらくは『噂の真相』とかに連載を持ってたけど、今はもうどうしてるのかぼくも知りません。“小林vs宅”論争というのはそういうもので、のちに舞台裏まで含めて経緯のすべてをまとめた『教科書が教えない小林よしのり』(ロフトブックス・97年)という本も出ています。この論争のことを、少なくとも東浩紀は知ってるだろうと思うんだが、完全にスルーしてるよね。他の何をスルーしても、これだけは絶対にスルーしてはいけない、90年代の最重要論争だし、批評をめぐる最大の事件なのにさ。

藤村 “麻原の再評価”にもつながりかねないからでしょう(笑)。

外山 ったくヘナチョコ文化人が! ……まあ“再評価”と云えばぼくはむしろ小林よしのりを再評価してますけどね(笑)。だってぼくはオウム事件当時、オウムのさまざまな暗黒面が次々と暴露されていく中、オウムの標的選びはなかなか正しいなあと思ってたぐらいだからさ(笑)。ただ、獄中短歌でも戯れ歌を1つ詠んだように、標的選びは正しいんだけど照準がアバウトすぎる。松本サリン事件は裁判官の官舎を狙ったんだし、地下鉄サリン事件の本来のターゲットも警視庁に出勤する警察官たちだったわけで、革命組織としてはまったく間違ってないんだけど、結局は裁判官も警察官も1人も死んでなくて、無関係な人たちばっかり巻き添えで殺してしまってる。共産党の弁護士を殺すことなんか正義に決まってるけど(笑)、そんな極悪人と意気投合した奥さんまではともかく、子どもは巻き込んじゃいかんだろうとぼくでも思う。……でまあ、小林よしのりだって死刑に値する文化犯罪者だと当時のぼくは思ってたわけだ。しかし小林はその後、ものすごく更生したでしょ。オウム事件の時のろくでもない振る舞いについては今でも改悛の情は見られないけど、90年代後半の小林のネトウヨと大差ない水準からすれば、今の小林は思想的には見違えるほど向上した。それでぼくは、やっぱり簡単に“コイツは死刑にしてもいい”とか結論を下しちゃいけないな、と深く反省してるんです(笑)。“人は変われる!”って(笑)。冗談めかして云ってるけど、わりと本気で思ってるんだ。“死刑問題”を考える時、“小林よしのりの更生”が最近は必ず念頭にあるもん。

藤村 さすがにどうコメントしていいか分からんよ!(笑)

外山 じゃあ次に行っちゃいましょう。

つづく

 

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