“批評”がなぜかつては“アカデミズムの知”よりも上位にあったかといえば、“批評”の背後に政治運動が存在していたからですよ-『ゲンロン』 「平成批評の諸問題1989-2001」を読む(6)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)

ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)

ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
(1)(2)(3)(4)

前回から続く

 


 (「4.出版の衰退、大学と政治の回帰」黙読タイム)


 

外山 よろしいでしょうか? 何かあればどうぞ。

藤村 まとめて云うと、出版界の変化があり、かつて“批評”は在野のものだったのが、アカデミズムつまり大学人たちのものになってしまった、と。その結果としてオタク的な言説は排除されて、ヘサヨ的な言説が蔓延するようになって……。

外山 で、嘆かわしい、不愉快だ、とキモヲタどもが口々に……(笑)。

藤村 ある意味、すがすがしいですね。東浩紀もまったくストレートに、要はキモヲタ的な志向を“批評”に導入せよと云ってるわけで(笑)。

外山 ……さっきからさんざん、視野が狭いとディスってきたけど、彼らの視野には入っていないと思ってた領域にも多少は目配りがされてるようで、もちろん中途半端にしか視野に入れてないからかなりトンチンカンではありつつ、181ページ中段から下段にかけて、“だめ連”と“批評シーン”の関わりについても少し言及がある。181ページ下段の福嶋亮大の発言に「九〇年代前半の論壇や文壇は総じて躁的ですね」とあって、さっきも云ったようにそれは反革命言説の空騒ぎ的な隆盛にすぎないんで、“90年代前半は活気があって素晴らしかった”という、福嶋にかぎらず彼ら4人が共有してる基本認識がそもそもトンチンカンなんだけど、そこは目をつぶるとして、続けて「しかし、だいたい九五年のオウム事件をきっかけとして、急に鬱モードに入っていく。それまでの躁的な心理状態がくるっと反転し、未来が閉ざされた感じになってしまった」っていう、閉塞状況が90年代半ばに誰にも明らかな形で露呈してきたという認識はそう間違ったものではないとも思う。まさにそういうところに“だめ連”が登場するんです。

アカデミズムにしても、低調なアカデミズム・シーンに“だめ連”を導入することによって盛り上げようと考える連中が登場したりする。具体的には、ここにも名前が出てくる“小倉虫太郎=グラムシさん”こと丸川哲史が筆頭格ですね。もともと177ページ中段から下段にかけて大澤聡が云ってるように、雑誌『現代思想』の編集長が「九三年に池上善彦に変わ」ったこともあって、「あきらかに『政治と思想』のカップリングへの揺り戻しが見られる」という“素地”はできていたのかもしれません。その前後で東浩紀も『現代思想』誌が「九五年以降は急速に『政治化』していく」、「個人的には、九六年四月臨時増刊号の特集『ろう文化』が印象に残っている。あ、こういう方向に行くんだと虚を突かれた記憶がある。ほかにも当時の特集一覧を見ると、『レズビアン・ゲイスタディーズ』(九七年五月臨時増刊号)、『ストリート・カルチャー』(九七年五月号)、『身体障害者』(九八年二月号)、『スチュアート・ホール』(九八年三月臨時増刊号)、『ジェンダー・スタディーズ』(九九年一月号)と、はっきりした路線変更がうかがえます」と云ってるとおりです。

で、ここに挙げられてる中にある97年5月の“ストリート・カルチャー特集”というのが、丸川哲史が事実上編集した、まさに“だめ連界隈”の特集号なんですね。ぼくも登場してるぐらいで、ただしぼくのは、ぼくと鹿島拾市(加藤直樹)の対談を丸川哲史がテープ起こししたもので、ぼくや鹿島君のチェックも経てない、ぼくらが云ってないことまで丸川哲史がたぶん善意で勝手に補って書き足してて、ぼくなんか“ノイズ”なんてこっ恥ずかしい単語を口にしたことにされてるし(笑)、全然面白くないし不本意きわまりない記事に仕立て上げられてしまってるんで、ぜひ読まないでほしいんですが(笑)、“だめ連”のメインである神長恒一とペペ長谷川はもちろん、矢部史郎も登場してるし、酒井隆史も、“メンズリブ東京”の豊田正義も、岡画郎(誤記に非ず)や小川てつオといった現代美術方面の人たちも、とにかく当時の“だめ連”界隈の主要な面々は総登場してると云っていい。松本哉はまだギリギリ、この年に“法政大学の貧乏くささを守る会”で首都圏の政治運動シーンに颯爽とデビューするんで、登場してませんけどね。“レズビアン・ゲイスタディーズ特集”も同じ97年5月の“臨時増刊号”とのことですが、とにかく『現代思想』誌の露骨な“若者たちの新しい左翼運動”路線への出発点となった号だと見なしていいでしょう。とくに矢部史郎がこれ以降、『現代思想』に頻繁に寄稿して“新進の左翼論客”化していきます。

特集を主導した丸川哲史はこの当時、まだ“アカデミズム側”の人ではなく、大学に職を得るのはもっと後(01年)のことで、むしろ“運動”側の人、明治大学ノンセクトを経て95、96年頃から“だめ連”に急接近し、この97年時点ですでに神長・ペペに次ぐ“だめ連のナンバー3”と呼ばれてたような人です。もちろん超インテリで、同じ97年のうちに『群像』誌の評論部門の新人賞を獲って批評家デビューもします。神長・ペペの2人は、いずれも早大出身ですがインテリ・キャラではなく、“だめ連”とアカデミズムとを接続するのは丸川哲史です。アカデミズム側の“受け皿”として、デリダの弟子であるらしい鵜飼哲とか、やがて“カルチュラル・スタディーズ”の紹介者の主要な1人になっていく上野俊哉とかがいたように記憶してます。毛利嘉孝が“だめ連”とかに注目し始めるのはもっとずっと後だと思うけど、とにかく丸川哲史の“だめ連入り”以降、“だめ連”は急速にアカデミズム・シーンに受け入れられていくし、あるいは、当初は“中野駅前駐輪場”とかで酒を持ち寄ってゲリラ的におこなわれてた“だめ連”の“交流会”が、ロフトプラスワンなんぞで料金をとっておこなわれるようになって、そこにゲストとして上野千鶴子だの宮台真司だの登場するのもやっぱり“ストリート・カルチャー特集”以降のことだったはずです。

181ページ下段で市川真人が、「九〇年代を通じて、東大駒場寮の廃止問題も続いていましたよね。ちょうどその末期に、谷崎論で群像新人文学賞からデビューした丸川哲史が、『だめ連』の一員として関わっていて、なぜか駒場のグラウンドで野球をした記憶があります。柄谷行人率いるチーム『カレキナダ』と丸川さんたちのチームの試合で、批評空間的な文脈とストリートの思想がすれちがったのが、まさにそのあたりの時期だったんですね」と回想してますけど、市川真人はあの“伝説の試合”に参加してたってことか(笑)。“だめ連”の本(00年前後に3冊出たうちの1つ、『だめ!』河出書房新社・99年)によると、やっぱり97年の“ストリート・カルチャー特集”の直後のことで、スガさんが“だめ連”界隈に入り浸るようになるのも、この試合がきっかけだったようです。

藤村 柄谷の野球チームは“枯木灘”って名前なんだ……。

外山 ちなみに“だめ連”側は“青春ダイナマイツ”で(笑)、これは神長君のセンス。

藤村 それはすごい。“枯木灘”はいかにも文芸批評家チームっぽい、中上健次の小説タイトル由来だけど、“青春ダイナマイツ”って名前は絶妙でいいなあ。

外山 “だめ連”は後の“素人の乱”とはまた別種のお笑いセンス、わざとダサいワードを連発するって芸風で売ってたんだよ。“交流”ってのも、それまではいかにも共産党的、民青的なダサいワードとして忌避されてたのを、“だめ連”がわざと連発してるうちに界隈に定着した。この草野球イベントでは、“だめ連”側のピッチャーだった丸川哲史が、柄谷に甘い投球をしてホームランを打たれるという“接待投球”疑惑、通称“だめ連・黒い霧事件”というのもあって……(笑)。

まあそういう些末なエピソードはいいとして、179ページ中段から下段にかけて大澤聡が云うように、「たとえば、九〇年代前半には上野俊哉がアニメ批評や都市論を展開し始めていた」り、「上野さんの登場と前後して宮台さんたちの『サブカルチャー神話解体』が出ている。『宝島』的な八〇年代カタログ文化の集大成であると同時に、社会学的な知を融合した奇跡的な一冊だと思います」というようなことが、つまり“批評シーン”とアニメなどの“サブカル・シーン”との“越境”が起き始めていた矢先に、『現代思想』の“ストリート・カルチャー特集”なんかを契機として、カルスタ的な方向が決定づけられてしまう、と。そもそもカルスタはサブカル的なものも対象とすべきものであるはずなのに、「その後の日本のカルチュラル・スタディーズはこの手の成果を」、つまり90年代前半の上野俊哉や宮台真司が提示したような方向性を「うまく取り込めなかった。というか、サブカルを排除した」ってことに、彼らからすれば感じられるようです。要は“我々は排除された!”と憤ってるわけですね、キモヲタどもが(笑)。

で、181ページ中段で東浩紀がいかにも苦々しげに云ってるように、

「九〇年代の末、今日対象にしている時期の最後のほうでは、ポストモダン哲学は言説としてはほぼ死に体になっていく。他方で元気になっていったのが、ある意味開き直りというか、『おれら、頭悪いかもしれないけど正しいことは言ってるよ』的な『運動系』の人々ですね。そして、そんな『頭の悪い』運動家を、『頭のいい』カルスタ系の大学人が支援するという、いまに続く構図が出来上がる」

・・・ことになった。ただし、実際にはその“運動系”の“だめ連”の側にも、まだ大学に職を得てないだけの、丸川哲史や酒井隆史といった“頭のいい”連中が存在してたわけで、しかも“だめ連”の中核メンバーは、基本的には早大ノンセクトだし、偏差値の高い、“比較的アタマのいい大衆”の運動です。だからこそ丸川哲史がちょっと工作すればアカデミズムと結びつけることも容易だった。これが松本哉の運動だと、そう簡単にはいかない(笑)。4人の中では比較的マシな東浩紀でさえ、そこらへんの諸々については多少なりとも視野に入ってるようではあるが、ところどころの“点”での認識でしかないんだよな。“線”として見えてなくて、隔靴掻痒の感を否めない。

ただ、同じく181ページの中段、東が「『もうひとつの』というか、いま振り返れば、むしろそちらこそがゼロ年代の本流だよね。ぼくから宇野常寛にいたるおたく系批評の流れは、いまや潰えてしまった」と渋々認めてますけど、「もうひとつの」というのは、その前の大澤の「カルチュラル・スタディーズの導入からキャリアを出発した毛利嘉孝がのちに『ストリートの思想』(〇五年)で描くことになる、もうひとつのゼロ年代批評のライン」という発言を承けてのもので、この東の認識は、相対的には正しいと思う。毛利の『ストリートの思想』(NHKブックス)も、“外山恒一”を完全に排除してることはもちろん、“秋の嵐”も88年の“反原発ニューウェーブ”さえも視野に入ってない、まるで“だめ連”か“イラク反戦”あたりからそこらへんの系譜が始まってるかのように云うヘサヨ版のインチキ通史本にすぎませんけど、政治運動シーンの動向を軸にしてるぶん、そりゃ相対的には東とかの書く通史よりも真実に近いですよ。

もっとも、ぼくに云わせれば、“だめ連”は、低調になってたアカデミズム・シーンを最活性化するために都合よく利用されたんですけどね。そもそも95年頃までは、“頭のいい人たちがやってる、頭の悪そうな運動”だったのを、丸川哲史が、見たいものを見たいようにしか見ることのできないアカデミズムの連中にも受け入れやすいように、毒気を抜いて“安全”なものとしてプレゼンした。その結果、アカデミズム・シーンは“だめ連”を受容して、丸川の目論みどおりまんまとヌルーく“政治化”して、カルスタ的な傾向を強めていくわけです。

あと、やっぱりちっとも見えてないなあと思うのは、さっきの「『頭の悪い』運動家を、『頭のいい』カルスタ系の大学人が支援するという、いまに続く構図が出来上がる」という部分に続けて東が、「それはのちゼロ年代に入ると、『サウンドデモ』『素人の乱』を通って現在のSEALDsにまでつながっていくことになるわけです」と云うあたりだよね。“だめ連”や“素人の乱”と、“サウンドデモ”のイラク反戦や“3・11以降”の反原連やシールズとはまったく別の系譜だということがまるで分かってないらしい。

藤村 そこらへんは毛利嘉孝でさえ、“だめ連”や“素人の乱”は評価するけど、“3・11以降”の諸運動は評価してないでしょ? 逆に反原連やシールズを高く評価する小熊英二は、まあちゃんと読んでないから印象で云うんだけど、たぶん“だめ連”や“素人の乱”はあんまり評価してないんじゃない?

外山 2つの異質な流れを東は峻別できてないんでしょう。

藤村 もちろん東浩紀はキモヲタなので(笑)、その立場からすれば両方とも似たり寄ったりの“敵”ってことになるんでしょうけど……相対的にはやっぱり毛利の歴史記述のほうが優れていると云わざるをえない。それに、その両方を批判の対象にするとしても、批判するんならちゃんと分析して、そのぐらいの腑分けはできてなきゃおかしいよ。小熊英二や五野井郁夫と、毛利嘉孝や酒井隆史や丸川哲史とが違うラインであることは、ちょっと見れば分かるでしょう。

外山 さらに云えば、反原連やシールズに関しては、まさに東の云うように「『頭の悪い』運動家を、『頭のいい』カルスタ系の大学人が支援する」構図にピッタリ当てはまるけど……。

藤村 五野井の場合は“頭の悪い運動家を、頭の悪い大学人が支援してる”んじゃないかな?(笑)

外山 まあそうだけど(笑)、“だめ連”に関して云えば、むしろ逆で、“頭のいい運動家がカルスタ系の大学人を支援して、活性化させてやった”ようなものだよ。“素人の乱”の場合は、基本的にはアカデミズム・シーンとは無関係に勝手に存在してるにすぎない(笑)。

藤村 “素人の乱”は、まあ“頭の悪い運動家”たちの運動と云ってもいいのかもしれないけど、べつに“頭のいい大学人”たちに“支援”してほしいとも思ってなくて……。

外山 ぼくの都知事選のすぐ後の、07年春の杉並区議選に松本君が出たあたりから、“素人の乱”にすり寄る知識人もチラホラ現れて、さらにはフリーター労働運動と親和性が高かったんでそっちからの流入も多少あって、“3・11”直後に短期間ながら反原発運動の中心に一挙に祭り上げられたことによって、柄谷すら“素人の乱”を絶賛し始めたけど、それらは一貫して知識人の側が右往左往してるだけで、松本君たちはそんなこととは無関係にマイペースでやるべきことをやってるにすぎません。松本君は、成り行きで反原発運動の中心に祭り上げられてしまったことを、“人生最大の失敗”とさえ云ってるぐらいでさ。……ともかく東浩紀は“敵”を一緒くたにしすぎで、認識が粗雑にすぎる。

藤村 “素人の乱”と“ロスジェネ論壇”とも、またちょっと違うでしょ?

外山 フリーター労働運動は“だめ連”の近傍から登場したけど、いわゆる“ロスジェネ論壇”の面々は、そのさらに近傍に登場してきた、リアルタイムでは“だめ連”を知らないような世代だしね。

藤村 “ロスジェネ論壇”というと大澤信亮とか杉田俊介とかを想起するけど、彼らは“素人の乱”とも関わりはあるんだろうか?

外山 少なくとも深く関係してる印象はない。まったく無関係ではないにしても……。

藤村 “だめ連”とも関係なくない?

外山 遠い親戚ぐらいの関係だね。“だめ連”はフリーター労組と関係があり、フリーター労組の福岡支部(正確には“支部”ではない)の創始者でかなり正統派の左翼インテリで堂々たる論客でもあった小野俊彦君は、大澤信亮や杉田俊介とも親密だった。あ、でも“ロスジェネ論壇”を象徴する1人である雨宮処凛はフリーター労組の広告塔的な存在でもあって、同時に“素人の乱”ともつながってるか。つまりそれぞれ独立したいくつかの核があって、それらのうちのいくつかを横断してる個人が散在してて、全体が何となくユルくつながっているという……まさに“リゾーム”的?(笑) まあ、それが“マルチチュード”ってことでしょう。逆に反原連やシールズといった“3・11以降”の諸運動には、野間(易通)サンが“クラウド”だの何だのと自画自賛したがるのとは異なって、初期しばき隊を例外として、“マルチチュード”性の必須要件たる胡散臭さがない。

……話を座談会に戻すと、176ページで東が「批評はこの国では、大学の知とは無関係に、というよりもむしろその上位概念として育ってきた。それが、この一五年ほど逆に理解されている」と云ってて、これはこの第4節のタイトルにも「大学と政治の回帰」とあるように、“批評”が“政治”に侵食される一方で、“大学的な知”の劣位にも置かれつつあることへの苛立ちの表明ですが、「オマエモナ!」と東に対して思ってしまう(笑)。というのも、“批評”がなぜかつては“アカデミズムの知”よりも上位にあったかといえば、“批評”の背後に政治運動が存在していたからですよ。“批評”が政治運動と切れてしまったから、大学人の余芸みたいなものに成り下がって、そしたら当然アカデミズムの劣位に置かれます。“批評”が政治運動と再び結びつくことを嫌悪する東に、そのことを嘆く資格はありません。

藤村 東浩紀は現在ではゲンロンカフェの活動を生業としてて、“大学”とは無関係だけど、そもそもはやっぱりアカデミズム的な知の圏域に近い人だよね。

外山 他の3人はもっとそうでしょう。……いま槍玉に挙げた東発言の直前で大澤聡が、思想系の“入門書”の類の変質について、それらの「主要読者もサブカル的大衆から学生や大学人へとシフト」したと云ってます。「サブカル的大衆」というのはきっと我々のような(笑)、“活動家”なんかも含む、アカデミズムの世界とは無縁に生活しつつ、自分の興味関心に基づいて『オルガン』系の批評家たちや浅羽通明とかの本をつまみ食い的に読んでたようなタイプのことを指して云ってるんでしょう。

藤村 そうだろうね(笑)。

外山 たしかにそういう人は減ってる気はする。とくに若い世代では、今や“大学”の中にしか“思想”だの“批評”だのに興味を持ってる人を見出すのは困難な状況かもしれない。

藤村 しかし今回コレを読むと、東浩紀にはやっぱり“大学”とは違う、もっと別の場所に確固とした“批評空間”を切り拓きたいという気概が窺えて……。

外山 そのココロザシはなかなか立派なものだと思うけどさ。じゃあ実際に大学以外のどこにそれを築き上げようとしているかと云えば……。

藤村 オタク界かよ、と(笑)。しかし考えようによっては、外山君の云うように、かつて“批評”にそれなりの地位があったのはその背後に“運動”が存在したからだとして、東浩紀にとってはオタク・シーンでのさまざまな創作活動や消費行動が、ある種の“運動”というか、その代替物のようなものであるのかもしれないね。

外山 体質的にはまったく“運動の人”だと思うんだ、東浩紀も。藤村君が前回云ってた、中学時代だかに「うる星やつら」の再放送を要求して署名運動をやったり、ラジカセで「うる星やつら」の主題歌を流しながら電車に乗ったりという、まさに我々の世代の活動家に特有の、自己流の思いつきによる八方破れ的な“暴走”っぽい立派な“武勇伝”からして、内容はともかく“活動歴”の長さは外山恒一や矢部史郎と張れるレベルのようだし(笑)、その後もずっと現在に至るまで、自分の掲げる方針に基づいて運営される同世代以下の批評家たちの“シーン”を形成する試行錯誤を飽くことなく続けてるようでもあって、完全に“運動体質”の持ち主だと考えていいと思う。しかしそれは素質というか体質のレベルでの話で、現実に正統派の政治運動の担い手であったことは1度もないがために、せっかくの素質が台無しになってて、政治運動シーンの動向には無知に近いし、そのくせいろいろ語りたがるもんだから偽史を量産して、我々にバカにされてしまうハメになる。実に惜しい人だ(笑)。

この座談会の一番最後の締めのセリフ、187ページ下段の東発言の中にも、「冷戦と昭和が終わった八九年から、二一世紀が始まり9・11が起き、『テロの時代』が始まった二〇〇一年までの一二年間の批評の歩みを見てきました」とあるけど、その期間に起きたさまざまな出来事の中で最も重要であるはずのオウム事件については、少しもまともに検討されてないんだもん。「テロの時代」は日本では01年ではなく95年に始まってるんです。そこにさえ気づかないようではどうしようもない。結局、“外国の話”なら何とでも云えるんですよ。“9・11”に関してなら、そりゃテロはいけないけれども、米軍によるアフガン攻撃とか、テロ対策に名を借りた警察力の拡大というのもいかがなものか、みたいな議論もできるけど、いざ日本国内の問題となると、そりゃ地下鉄でサリンとか撒いちゃいけないけど、だからといって警察の強引な捜査手法が正当化されるわけではない、ぐらいのことさえ云えないんだ、こういう“軟弱ヘナチョコ文化人”どもは。“9・11”と地下鉄サリン事件の同質性に気がついたら、そういうことを云わざるをえなくなるし、逆にだからこそ彼らは決してそのことに気づくことがない。わざと気づかないフリをしてるんじゃなくて、本当に気づいてないんだと思う。“軟弱ヘナチョコ文化人”としての本能が、彼らをしてそのことに決して気づかせない(笑)。

……彼らも“だめ連”が“批評シーン”の近傍にチラチラしてたことには一定の目配りをしてるんだけど、遠くから眺めての印象をあれこれ云ってるにすぎないんだよな。178ページあたりで、「『批評空間』派が『ポスコロ』『カルスタ』とバカにしているあいだに、現代思想の本拠地自体が急速に『ポスコロ・カルスタ化』していった」(東発言)ことについて、もともとアカデミズムの内部にそういう方向への衝動みたいなものが萌芽していて、それが00年代に入って全面化してくる、アカデミズムのそういう変質の中に“だめ連”も取り込んでいく、というような見方をしてるでしょ。つまりアカデミズムの変質の契機をやっぱりアカデミズムの内部にのみ見出そうとしてるんだ。でも彼らが認識している以上に“だめ連”のインパクトは大きかったと思うし、そもそもアカデミズムだって、政治運動をはじめ、アカデミズムの“外”のさまざまな動向と連動していろんな変遷を辿るんであって、アカデミズムの動向がアカデミズム内部の要因だけで決定づけられるわけがない。

藤村 彼らが“だめ連”とかを過小評価するのは、やっぱりシールズとか、「『頭の悪い』運動家を、『頭のいい』カルスタ系の大学人が支援する」という典型的な例を目の当たりにして、そういう構図を“だめ連”その他、過去のさまざまな運動にまで遡って投影しちゃってるところがあるんだと思う。

外山 遠近法的倒錯、というやつですな。

藤村 そうそう!

外山 なんか俄然インテリっぽいね、“遠近法的倒錯”とか云うと(笑)。……180ページ上段で東浩紀が、「宮台さんの仕事はカルチュラル・スタディーズそのものですよ。そもそもカルチュラル・スタディーズというのは、日常生活やサブカルチャーの消費のなかに政治や階級問題やアイデンティティを見る地味なフィールドワークのことなのだから、直接の影響関係がなくても方法論は並行している。けれど輸入業者でしかない日本の大学人にはそのことがわからなかった」と“日本的カルチュラル・スタディーズ”の狭さを批判してて、まったくそのとおりですけど、ぼくが96、97年に主宰してた“ヒット曲研究会”(『ヒット曲を聴いてみた』駒草出版・98年として単行本化)だって我ながら見事なカルチュラル・スタディーズの実践ですからね(笑)。そのことは当時、学者生命が危うくなるから公には絶対にそんなこと云わないけど、参加者の1人だった酒井隆史ですら認めて驚愕してた。

藤村 その箇所はオレも目からウロコで、たしかに毛利とか吉見俊哉とかの“カルチュラル・スタディーズの専門家”連中は、宮台真司とかとはツルまないよなあ。そこらへんはたしかに不思議だ。

外山 しかも毛利とかと宮台とで、どっちが“文化的”なセンスがあるかと云えば、明らかに宮台のほう(笑)。以前にも紙版の『人民の敵』(第31号掲載の「スガ秀実『1968年』読書会」)だかで、やっぱり“日本的カルチュラル・スタディーズ”の代表的論客の1人でもある小森陽一が、Xジャパンのヨシキが天皇の前で演奏するって話になった時(98年)に「それでもロックか!」みたいな“公開質問状”を出したことについて、Xジャパンがロックだと思ってる時点で“カルチャー”について一切云々する資格のない奴だ、って話もした(笑)。

藤村 宮台は少なくともそこまでトンチンカンなことは絶対しないよね。

外山 ……まあ総じて、間違いだらけの歴史観が開陳されまくってはいるが、そこはもう現状では仕方のないこととして、さっきの東の、“実際には毛利的な歴史認識のほうが本流だと思う”的な発言にも表れてたように、自分たちがむしろ傍流になりつつある自覚もあるらしいところなんかは、多少は好感が持てるかな。

藤村 アカデミズム的な知のあり方からオタク的なものが排除されつつあるという東の危機感は、たぶん実際そうなんでしょうね。

外山 もちろん相変わらずアニメとか論じてる軟弱アカデミシャンは掃いて捨てるほどいますけど、182ページから183ページにかけて論じ合われているように、フェミニズム的なPCとの関係で、安全無害な文化論として囲い込まれてしまってる、ということもあるんでしょう。大学人たちの「政治的に正しすぎる」サブカル批評に対して、東浩紀はやっぱり在野の大塚英志のそれのほうを相対的に高く評価してて、大塚英志はその草創期からずっとオタク文化の現場で書き続けてきた人で、“美少女もの”とかに投影されてる消費者たちの下世話な欲望についても直視してるし、しかしそういう議論がアカデミズムの内部に導入されると途端にPC的なふるいにかけられて削ぎ落とされてしまうということへの苛立ちがあるようです。まあ、ぼくからすればどーでもいい話ですけど(笑)。

藤村 でも、こういう問題提起もそれはそれで重要なんじゃないでしょうか。

外山 もちろんどんどんやればいいんだけどさ、キモヲタのくせに“こっちが批評の主流であるべきだ”的な妙な承認欲求を前面に出すな、というだけで(笑)。

藤村 すごく一所懸命がんばって、『ゲンロン』とか発行して、イベント・スペースも運営して、立派だなあと思ってたけど、だんだんその原動力の正体が見えてきて……。

外山 ものすごいバイタリティだし、持続力もあるし、見上げたものではあるんだが、動機がちょっとなあ。だってキモヲタをもっと蔓延らせようとしてるわけでしょ(笑)。“批評シーンの主導権を我々キモヲタ勢力の手に!”ってことだよね。

藤村 “東界隈”の問題点として、思想的な言説と政治的な言説との相互交流における作法が全然なってないということがあると思ってたけど、それは意図的なものなのかもしれない気もしてきた。だけど、その割にはやっぱり東浩紀は政治的なテーマについても語るし、スタンスがよく分からん。

外山 だからキモヲタの分をわきまえて、マンガやアニメについてだけ語ってりゃいいんだよ。政治に口出ししたいんなら、1回ぐらいまず政治運動の当事者になりなさい、と。もちろん批評シーン全体の中の下位ジャンルとして“オタク文化批評”みたいなものも存在して当然だし、その範囲内で、オタク文化やオタク文化批評の歴史を語るにはまさに適任の人たちだと思うけど、こんなふうに政治や社会にまで大風呂敷を広げて、しかもオタク文化批評みたいなものが“批評史”の主軸となるようにヘゲモニーの簒奪をしようという、その意図がケシカランですな。

藤村 でもどっちかというと『ゲンロン』より『思想地図』時代のほうが、そういう志向性は強かったように思う。

参加者A キモヲタ的なものを完全に排除してしまうのも良くないとは思うんですが……。

外山 うん、分をわきまえて謙虚にしててくれれば、ぼくもどうこう云わないよ(笑)。……しかし先週の時点では、90年代以降についても“『批評空間』中心史観”が展開されるんじゃないかという危惧を持ったけど、そうでもなかったね。どっちかというと、“大塚英志中心史観”?(笑)

藤村 たしかにそんな印象はある。

外山 結局は“批評シーン”の主導権を我がものとしようという意図ではあるが、『批評空間』を継承することによってではなく、『批評空間』よりも実は大塚英志的なものが主流であるべきなんだ、そして大塚英志的な批評の後継者は我々なんだ、という流れになってる。もちろん大塚英志と我々とではこういう部分で違いもある、ということも表明しつつ、“批評史”の継承と主導権の確立を意図してるね。

藤村 どうですか、“九州ファシスト党・芸術部門”の東野先生としては?

東野 ……。

藤村 なんかすごくイヤそうな顔をしてる(笑)。さっきからの議論はちょっとデフォルメしすぎてて、もちろん東浩紀はそこまでオタク的なものを特権化しようとしてるわけでもないと思うけどさ。ただ、そういう傾きはどうもハシバシに感じられるというだけで。

 

つづく

 

ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)

ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
(1)(2)(3)(4)(5)(6)

ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
(1)(2)(3)(4)