「文化左翼」をめぐって -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(1)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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前回から続く

 

 

東浩紀が中心となって刊行している雑誌『ゲンロン』創刊号(2015年12月)、第2号(2016年4月)、第4号(2016年12月)と3回にわたって掲載された「現代日本の批評」座談会をテキストとする、福岡の“外山界隈”による読書会を、こちらも律儀に3回にわたって今年6月に開催し、その全編テープ起こしを当サイトに“連載”してきた。

第1回座談会「昭和批評の諸問題 1975-1989」を読む(6月4日の読書会レポート)

第2回座談会「平成批評の諸問題 1989-2001」を読む(6月11日の読書会レポート)

前回までと同様、超長いんで何回かに分けて、福岡で6月18日におこなった、『ゲンロン』第4号掲載の「平成批評の諸問題 2001-2016」を熟読する“検閲”読書会の模様を、やはり全編テープ起こしの形でレポートする。

これは紙版『人民の敵』に掲載しているのと同様のコンテンツを別途作成して、こういうものが毎月読めるんだと具体的に提示することを目的として、紙版で最近よくコンテンツとしている、福岡での読書会での議論の全編書き起こしを、紙版用とは別個にこのweb版用に用意する、という趣旨である。紙版の定期購読の参考とされたい。

 


 

外山 いやー、困りましたね。1回目、2回目、3回目と回を経るごとに参加者が減ってるじゃないか(笑)。1回目の後半からもうすでにウンザリしてたっぽい東野大地センセイはいよいよ来てないし……東浩紀に責任をとっていただきたい(笑)。検閲官2名と助手1名って感じですけど、まあ仕方がない。始めますか。

前々回、前回そして今回と、3回にわたって〝東浩紀とその仲間たち〟による「現代日本の批評」という3回シリーズの座談会をこっちも律儀に3回シリーズの読書会形式で批判的に検証しています。今回その最後で、東浩紀がやってる『ゲンロン』という雑誌の、2016年12月だからつい最近出た(この読書会は3月18日)第4号に載ってる「平成批評の諸問題 2001-2016」を読みます。

前回まではともかく、今回はぼくは実はむしろ〝お勉強〟のつもりだったんですよ。〝2001年以降の批評シーンの動向〟とかほとんど知らないからさ。しかし今チラッと見ると、なんか〝政治運動〟寄りの話題が多そうなんだよな。今回はあまり批判的なことを云わずに虚心に勉強させてもらうつもりが、今回こそ一番批判的にならなきゃいけないんじゃないかと不安だ。

藤村 (事前に読んできており)そのとおりです(笑)。

外山 かつ、なんで座談会のメンバーを変えちゃうんだよ、と。前々回と前回は2回とも、〝東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大〟で同じだったじゃないか。今回は福嶋亮大がいなくなって、〝サヤワカ〟(平仮名表記だが、読みにくいので以下、片仮名表記とする)って人と、それから佐々木敦って人が入って5人になってる。とくに座談会の前提となる「基調報告」まで書いてる佐々木敦の存在、これが問題なんだよ! 佐々木敦なんか入れてもらっちゃ困る。というのも、佐々木敦は「劇団どくんご」の強力なサポーターでございまして……。

藤村 そうなのか!

外山 ぼくはまだ会ったことはないんだけどさ。〝身内に甘く〟をモットーとするファシストとしては超やりにくい(笑)。

藤村 一応ざっと読んできたから云うと、この人が一番最悪でした。

外山 マジっすか!? それは困った(笑)。しかしまあ、過去2回さんざん云いたい放題云ってきた手前、心を鬼にして、悪口を云うべきところがあれば云わざるをえないでしょう。佐々木さんはもしこれを読んでるなら今すぐ他の、現代美術関係のサイトとかにでも飛んでほしい、と(笑)。

そんなわけで、読みましょうか。その佐々木敦による「基調報告」をまず黙読してください。

 


(佐々木敦「[基調報告]ニッポンの文化左翼──ストリートを続けよう?」黙読タイム)


 

外山 さて、いかがでしょうか。私の口からは云いにくいんで、〝悪口〟があればどうぞ(笑)。……でも実際、そんなに違和感なかったよ。

藤村 そう? 〝身内に甘いファシスト〟としての発言ではなく?

外山 まさか。しかしさすが「どくんご」ファン、よくモノが見えてらっしゃる(笑)。

まあ、良くも悪くも〝教科書的〟な整理だと思います。まさに〝基調報告!〟って感じがする。01年以降のさまざまな出来事、現象が淡々と説明されてるだけで、それを佐々木敦自身はどう評価してるのかについては、あんまり書いてないでしょ? もちろんこの説明、整理の仕方に賛同できるかどうかという問題はあるだろうけど、それについてもぼくはとくに違和感はない。

前半にある、佐々木自身の著書『ニッポンの思想』(講談社現代新書・09年)からの引用で、大きな本屋の〝思想書〟コーナーに並んでる本は「ほぼ三種類ぐらいに大別されるように思います」ってことで、「①広義の『左翼』本」、「②いわゆる『賢者の教え』本」、「③現在の『思想=批評』シーンの一大ジャンルとしての『東浩紀もの』」という整理は、あくまで『ニッポンの思想』を書いた09年時点でのものなんだけど、「あれから七年が経つ現在もなお、この趨勢がほとんど変わっていないことには驚きと失望を禁じ得ない」(95ページ中段)として、この3つの傾向がその後どうなっているかを追っています。で、この〝3つの傾向〟という分け方についても、まさにそうだよなあと思うし、〝その後どうなっているか〟の部分も、まさにそうだよなあ、と(笑)。

しかも、ぼくなんかが〝これは当然、言及するべきだろう〟と思うようなことにはだいたい言及してあるじゃん。〝鎌田哲哉の『LEFT ALONE』批判〟にまで言及してる。スガ(秀実)さんの位置づけにはだいぶ苦労してるようだけど、「他の文芸批評家/新左翼系批評家とはまったく異なるスタンスを維持している」、「今や極めて貴重な存在感を放っている」(95ページ下段)って、〝そのとおりですね〟としか云いようがない(笑)。

「②いわゆる『賢者の教え』本」って枠には、『ニッポンの思想』の時点では橋本治、内田樹、中島義道が入れられてる。ここでは引き続き〝内田樹のその後〟についての記述に多くが割かれてて、カッコ内で一言言及があるだけとはいえ、この枠には佐藤優も入るっていう認識についても、〝うーむ、たしかに。そのとおりですね!〟と思うし、とにかく目配り、バランスはいい。もちろんこの後の、本編の〝雑談会〟でどういうことを云うのか不安だけども(笑)、その叩き台としては非常によくできた、だからまさに〝教科書的〟な整理じゃないだろうか。

藤村 この人は〝ゼロ年代以降の批評シーン〟について「東浩紀ひとり勝ち」と云うんだけど、そうなるのは当たり前だと思うんだ。まだ〝批評シーン〟が何ほどかのものであった時代のビッグネームである柄谷行人や浅田彰の庇護のもとに登場してきた人なんだし、今の〝批評〟の読者の大半も〝柄谷−浅田〟という流れを前提としてるような人たちなんだもん。そういう系譜感覚からすれば例えば北田暁大なんて〝新参者〟にすぎないだろうし、その他さまざまの若手批評家たちもみんなそうでしょう。〝柄谷−浅田−東〟いうラインを前提としてるような人たち、そういう系譜意識を共有してるタコツボの住人たちが〝批評〟の主要な読者層なんであって、だからこそ「東浩紀ひとり勝ち」は単に当たり前のことだよ。そのことを佐々木さんはもちろん……。 

外山 意識してるよね。後半はとくにそうだし、全体として〝タコツボ化を憂う〟書き方になってる。

藤村 だから東浩紀が〝ひとり勝ち〟であるかどうかなんて、〝どうでもいい〟とまでは云わないが、逆にそうであるしかないことこそが現在の〝批評〟の危機的な状況の反映、結果でしょう。

外山 佐々木敦もおおよそそういうことを云ってると思うよ。

藤村 オレがものすごく違和感を持ったのは、〝文化左翼〟批判に対してですね。〝文化左翼〟という言葉を云い始めたのはリチャード・ローティなわけですけど、ローティの云う〝文化左翼〟というのは、野間(易通)さんの云う〝ヘサヨ〟とほぼ重なるわけで……。

外山 この基調報告で〝文化左翼〟という言葉が最初に出てくるのは、毛利嘉孝に言及したくだりだけど、これまた〝まったくそのとおり〟、毛利嘉孝がまさに典型でしょう。

藤村 毛利もそうだし、小森陽一も高橋哲哉もみんな、〝文化左翼〟であり〝ヘサヨ〟だよね。しかしこの佐々木さんは、政治的な発言をする人間をすべて〝文化左翼〟の枠に入れてしまってるような気がする。白井聡まで〝文化左翼〟に入れてるでしょ。もちろん白井聡はもともとは文化左翼だったんだろうけど、しかし『永続敗戦論』は文化左翼的な著作ではないよ。毛利嘉孝の『ストリートの思想』(NHKブックス・09年)が文化左翼的な本であるというのはそのとおりなんだろうけど、〝3・11以降〟の〝運動〟系の人、例えば今回の特集「現代日本の批評Ⅲ」にも原稿を寄せてる五野井郁夫とかになると、この「ストリートの思想の二〇年」って文章を読んでみてもそうだし、むしろ毛利嘉孝批判、〝文化左翼〟批判をやってるんだ。

外山 なるほど、云いたいことは分かる。〝文化左翼〟って本来は〝68年〟の延長線上の、まあ〝劣化した新左翼〟というか(笑)、とにかく新左翼的な系譜にあるものに限定して云うべきなのに、左翼っぽい言論人を全部そう呼んじゃうんでは、〝文化左翼〟ってカテゴリーがわざわざ作られた意味ないよね。シールズ同伴知識人の代表格の1人で、単なる凡庸な戦後民主主義者であるらしい五野井郁夫は当然、〝文化左翼〟ではないだろうし、佐々木敦もべつにこの基調報告では五野井郁夫の名前も挙げてないけど、99ページ下段にあるように、毛利的なものの先行者である「粉川哲夫や平井玄」から連綿と続いてきた系譜が「しばき隊からSEALDsまで」という現在の諸運動まで連続性を持ってるという認識のようだし、五野井なんかもその枠に入れちゃいそうだ。それは括りとして乱暴だろうってことでしょ?

藤村 佐々木敦は〝3・11〟の以前と以後とに区切りを入れてないようだけど、実はまさに野間さんが〝文化左翼〟批判をさんざんやってきたわけだ。しかも野間さんの〝文化左翼〟批判、野間さんの言葉で云えば〝ヘサヨ〟批判は、ローティにかなり近かったりする。

外山 うん、そういう断絶が見えてない感じはたしかにあるな。

藤村 で、野間さんたちの運動による被害者でしょ、ヘサヨだけでなく、この座談会に集まってるような人たちも(笑)。

外山 被害というか、とばっちりというか……。

藤村 だから野間さんに象徴される〝3・11以降〟の運動に対して憎しみを持つこと自体は当然です(笑)。

外山 しばき隊はほんとに〝狂犬〟というか……〝狂犬〟とか云うと喜ばせちゃうな。〝バカ犬〟だ(笑)。相手も見ずに片っ端から吠えかかっていくからね。

藤村 佐々木さんもつい最近、しばき隊というか、カウンター連中に集中攻撃されてて、可哀想だなあとオレも思ったけどさ。そういうこともあって冷静な分析ができないんだろうか? ……毛利と五野井でどっちが思想的に洗練されてるかといえば、たぶん毛利でしょう。つまり〝3・11〟の前と後で思想的にはさらに劣化してるんだけど、野間さんによる〝文化左翼〟批判、〝ヘサヨ〟批判をちゃんと〝批評〟として批判的に検証すれば、そういう劣化を解く鍵にもなるわけで、そこは見えてなきゃいけないと思う。

外山 そうだねえ……。

藤村 政治的・運動的なものを一緒くたにしすぎだよ。

外山 そこはたしかに、さっきも云った99ページ下段あたりに露呈してはいるね。文化左翼の源流として80年代の粉川哲夫や平井玄の名前を挙げてくるあたりには、「八〇年代に粉川が行なった『自由ラジオ』などの日本版アウトノミア運動」なんておそらく東浩紀の視野にすら入ってなかっただろうし、〝さすがよくお分かりで!〟と感心したんだけど、それが「九〇年代のサウンドデモを経て」というあたりまではギリギリそうとも云えるかもしれないが、〝3・11以降〟の諸運動にまでストレートにつながってるかのように云うことには無理がある。

藤村 おそらく〝3・11以降〟の諸運動のマズさというのは、〝文化左翼〟的なものではなく、〝友−敵〟理論というか、ある種の〝決断主義〟というか、そういう問題でしょう。一方でまさに安倍ちゃんが、〝友−敵〟理論の政治、〝決断主義〟の政治を展開してるわけだ。それに対抗して運動の側も同じノリになってて、だから〝批評〟みたいな冷静な言葉は用ナシになってる。これは〝文化左翼〟とはまた別の問題ですよ。

で、内田樹なんかについても、まあ「左翼」と断定してはいないけど……当たり前だよね。内田樹が左翼であるわけがない。政治的スタンスはむしろ加藤典洋なんかと同じような人だもん。

外山 しかしもともと内田樹はレヴィナスの研究者なんだし、左翼じゃない?

藤村 そうだけど、ブレイクしたきっかけである『「おじさん」的思考』(02年・角川文庫)とか『寝ながら学べる構造主義』(文春新書・02年)とかは〝左翼〟的な本ではないし、そういう読まれ方をしてきた人でもないんだし。

外山 だってスガさんによれば、確証がある話なのかどうか知らないんでテープ起こしに際してはボカしますが(笑)、新左翼の某派にいた人らしいよ。

藤村 出自がどうあれ、そういう打ち出しで〝論壇デビュー〟してきた人ではないでしょう。で、『寝ながら学べる構造主義』を竹田青嗣も評価してたし、『村上春樹イエローページ2』06年・幻冬舎文庫)の解説も内田樹が書いてた。つまりそもそもかなり〝『オルガン』右派〟(外山と藤村氏の間で通用している用語。80年代後半から90年代初頭に刊行されていた思想誌『オルガン』の同人および常連寄稿者を、竹田青嗣・加藤典洋・橋爪大三郎・西研・小浜逸郎らの〝右派〟と、小阪修平・笠井潔らの〝左派〟とに分類)と親和性のある書き手なんだ。なのに佐々木敦は、慎重に断定は避けつつも、内田樹をほとんど「左翼」にカテゴライズしつつある。

外山 それはしかし〝左翼〟の定義の問題だからなあ。ぼくだって内田樹は左翼だと思ってますよ(笑)。

藤村 しかしここでの佐々木敦は、単に〝運動〟っぽいものに……もちろん在特会とか「新しい歴史教科書をつくる会」とかの〝運動〟は別として、それがフリーター労組や素人の乱だろうが反原連やシールズだろうが、そういうものに関与したり接近したりする人たちを一緒くたに「左翼」として乱暴に括りすぎだよ。非常に浅い見方による〝左翼〟アレルギーだと思う。

外山 竹田青嗣や加藤典洋や橋爪大三郎なんかの『オルガン』右派も含めて、左翼だとぼくは認識してるんだ。彼らも〝ある時期までは〟とはいえ全共闘的なノンセクト・ラジカルの問題意識の延長線上でモノを考えてきたんだし、だから新左翼諸党派や旧左翼の党派的思考、あるいは戦後民主主義的なリベラル派の思考を批判して、その結果としてハタから見ると右だか左だか分かんなくなってるし、むしろ保守派のようにさえ見なされたりもするんだけどさ。

藤村 〝文化左翼〟を批判するローティ自身が「私は左翼だ」と云ってるわけだし、そういう意味でなら内田樹だろうと竹田青嗣や加藤典洋だろうと〝左翼〟でしょうけど、そういう意味での〝左翼〟を佐々木さんが問題視しているわけではないでしょう。

外山 〝文化左翼〟ではなく、ね。

藤村 うん、〝文化左翼〟ではない。

外山 で、佐々木敦もこの基調報告で内田樹を〝文化左翼〟の枠には入れてないじゃん。〝賢者〟枠(笑)。

藤村 でも、その内田樹が〝3・11〟以降、〝文化左翼〟と接近してることについて、「この国で『賢者』たらんとすれば『左翼』になるしかない、ということかもしれない」とか、批判的な書き方になってるでしょ?

外山 そうだね。

藤村 オレは内田樹の政治的スタンスについて詳しくは知らないけど、例えば加藤典洋だって〝共謀罪反対〟のデモにこないだ参加してたんだよ。内田樹の〝接近〟だってそれと同レベルのことだろうし、逆にじゃあ〝共謀罪反対〟のデモとかに参加したら〝左翼〟ってことになるのか?

外山 それは100ページ下段にあるとおり、「世間的にはすでに『左翼』に映っているのかもしれない」ような振る舞いの1つではあるでしょう。

藤村 世間の目にどう映るかではなく、佐々木敦が〝批評家〟としての視点でどう判断するかが重要なんであって、むしろここで急に〝世間〟とか出してくるのがズルいよ。ネトウヨの〝世間〟とかから見れば我々だって〝左翼〟だろうしさ(笑)。

全体的にはおおよそ正しい認識が云われてるとは思うんだ。例えば102ページ中段に、「『声を上げる』という言い方がある。確かに『声』を上げるのは悪いことではないし、時としては切実に必要なことでもあるだろう。けれども『声』は、やはり単なる声でしかない。自分の話している声を聞いている(傍点15字)だけでは『批評/思想』にはならない」って、ここ(傍点部分)はおそらくデリダを意識して書いてるし、あるいは105ページ中段に、これはアイドル論の文脈で、「あるアイドルの信者とアンチのいずれかの立場から反対側をdisり合うのは『批評』ではない」、とこれは濱野智史への苦言でしょうけど(笑)、「なぜ信者とアンチという決定的な差異が生まれるのか、その選別の条件とは何か、その対立が意味するもの、その対立が生産するものは何か、を問うのが『批評』である」と書いてて、いずれもまったくそのとおりですよ。今の〝アベ政治を許さない!〟的な人たちと安倍支持者たちとの対立なんて、AKB総選挙での対立と同じようなもんです(笑)。そういうことも含めて、左翼思想あるいは反体制思想の言葉がものすごく貧しいものになってるという認識は、まったくそのとおりでしょう。しかし〝3・11〟の以前も以後の運動もみんな一緒くたに〝左翼〟呼ばわりしてしまうという、この佐々木敦の書き方自体が、まさに彼が批判している〝信者とアンチがdisり合う〟振る舞いそのものではないのか、と。

外山 うーん……。でもさっきも云ったように、一応は内田樹は〝文化左翼〟とは別枠で扱ってるわけだし、逆に〝文化左翼〟の枠内として名前を挙げられてる人たちは、鎌田哲哉とスガ秀実を除いてはたしかに全員そうだし、その鎌田哲哉とスガ秀実についても他の連中とは〝ちょっと違う〟ことにも留意してさえいるし、決して〝一緒くた〟にはしてないと思うけどなあ。むしろかなり丁寧かつ適切な腑分けがおこなわれてるんじゃない?

藤村 鎌田さんは〝文化左翼〟でしょう(笑)。

外山 むしろ〝文化左翼〟すぎて他の凡庸な連中からは浮いてるのかな? 〝文化極左〟?(笑)

藤村 スガさんはレーニン主義者だし、〝文化左翼〟の枠には入らないでしょうね。……そうそう、オレがもう1つ引っかかったのは、『永続敗戦論』についてのくだりだな。『永続敗戦論』が売れて「『ニッポンの文化左翼』の新たなオピニオン・リーダーとなった感のある白井」の、その『永続敗戦論』を内田樹がいち早く評価して、しかも白井と「対談本をたて続けに出している」ことについて、まさに内田の〝文化左翼との接近〟であるかのように書いてある。

外山 ぼくは読んでないんだが、読んだ藤村君によれば、『永続敗戦論』は実はそれほど〝文化左翼〟的な内容ではないんでしょ? 加藤典洋の『敗戦後論』(97年・ちくま学芸文庫)の問題意識を肯定的に継承するような本で……。

藤村 うん。そしてそのことにはっきりと自覚的な本だね。もちろん白井聡自身は〝文化左翼〟なんだ。もともとレーニン主義を文化左翼的に解釈し直すような本(『未完のレーニン』講談社選書メチエ・07年)でデビューしてるわけだしさ。しかし少なくとも『永続敗戦論』は〝文化左翼〟的な本にはなってないし、むしろ反米派の保守や右翼まで巻き込んで〝アベを倒せ!〟的な方向に誘導するもので、つまりべつに〝左翼〟でなくても『永続敗戦論』を評価してる人はいっぱいいるし、まして加藤典洋と近しい関係にある内田樹が絶賛しても何ら不思議はない。むしろ当然のことで、それをもって〝文化左翼との接近〟を示してるかのように書くのはヘンだ。……そもそもごく普通のリベラル派であれば、保守リベラルであれ左派リベラルであれ、今の安倍政権に対して危機感を持ちますよ(笑)。

外山 ぼくはこの佐々木敦の文章は両義的に書かれてると思う。一方で現在の日本の左派が、〝文化左翼〟もリベラル派も含めてことごとく劣化してるのは間違いないし、そのことに佐々木が苛立つのはよく理解できる。そういうのとは距離を置いていたかに見えた内田樹までが、そっちに〝接近〟しつつある事態も、佐々木からすれば嘆かわしいでしょう。しかし一方で、結論部分の105ページ下段にあるように、「『文化左翼』たちもまた、それ自体としては私自身同意出来ないわけではないリベラルな主張の正しさに」云々と、佐々木自身の政治的スタンスはそもそも実はそっちに近いんだということも表明されてて、だから左翼的な運動に接近したりすること自体に否定的な人でもないはずなんだ。単にやっぱり、実際ろくでもない運動しか顕在化してないという状況だし(笑)、そのもどかしさを云ってるにすぎない。非常に韜晦した書き方で、01年以降の現象をただ列挙的に説明していって、その1つ1つについて佐々木自身がどう評価しているのかについては、もちろん今まで云ってきたようにほぼ想像はつくわけだが(笑)、明示的にははぐらかしつつ最後まで書ききってる感じなんで、ぼくとしてもあんまり異論を差し挟みにくいんだ。

藤村 とくに結論部分にはオレも賛成だよ。「そしてみんなサヨクになった。それは最悪の意味で、そしてみんなオタクになった、と同義なのではないか」(105ページ下段)っていう、まったくそのとおりです。ドルヲタが〝箱〟に行くように、サヨクは国会前や首相官邸前に行くってだけの話で(笑)。〝3・11以降〟の運動では〝思想〟なんか問われない。とにかくただ……。

外山 「〝アベ政治〟に賛成なのか反対なのか、どっちなんだ!」っていうね(笑)。即答しなきゃいけない。あれこれ留保して理屈を云い始める奴は仲間に入れてらえない。

藤村 うん、即答できない奴は排除されると同時に、「反対です!」と即答できればその内実は問われず、〝シングル・イシュー〟とか云って要は無原則的にツルむわけだ。佐々木さんもそういう状況に強い嫌悪感を持っているのであろうことは、非常によく分かります。しかし同時に、そういうサヨク化していく批評家について、101ページから102ページにかけて、「繰り返すが、それが悪いわけではない。ただ気に懸かるというのは、佐々木中に限らず、本来はもっと複雑かつ(良い意味で)難解な思考を展開していた筈の書き手が、ある時ある瞬間から、もうややこしいことなど言っていられないとばかりに、それ以前の本人の言説/言論に照らしても、いささかナイーブなのではないかと端からも思えてしまうような直情的で直截的な言葉を発し出す、そしてそれが一定以上の人気を博していく、ということなのだ。正直に言うと私は、そういうさまを目にすると、悲しいような、恥ずかしいような気持ちになってしまうのである」と書いてる。正直、何をエラソーにと思った。そういう「直情的で直截的な言葉」に納得いかないのであれば、「悪いわけではない」とか中途半端なことを云わずに、その言説の問題点を個別具体的に批判し、はっきり「悪い」と言うのが批評家の役割なんじゃないのか、と。そして、そのことがその手の言説をなくすために批評家にできる唯一の手段だと思うけどな。

外山 ……話はズレるが、そういえば北田暁大には一言の言及もないね。

藤村 たしかに。

外山 一時は〝東浩紀ひとり勝ち〟の状況をついに終わらせるかと期待させるぐらいの存在感ではあったでしょ? 東浩紀に並ばないまでも、それに近い位置にまでは来てた。『思想地図』(08-10年。『思想地図β』を経て『ゲンロン』の前身)も最初はたしか東と北田の2人でやってたはずだし、北田暁大の名前が出てこないのが、ちょっと〝見落とし〟という感じもする。もちろんそれぐらいのことは、この文章全体のバランスの良さを考えれば、大した問題ではないけどさ。

藤村 本編の座談会ではもちろん言及されるしね。

外山 あと、濱野智史への言及の部分は笑えた。どこだっけ? なんか、切って捨ててたじゃん(笑)。

藤村 103ページ中段にある。「二〇〇八年に『アーキテクチャの生態系──情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版)でデビュー」して、「同書は各所で話題となり、濱野は新進の社会学者として一躍脚光を浴びた」けど、なぜか唐突に「アイドル、とりわけAKB48に急激にハマり」、『前田敦子はキリストを超えた』(ちくま新書・12年)なんてワケの分からん本を書いたかと思うと、独自のアイドルをプロデュースしようとして途中で投げ出したり、「以降は批評とも思想とも関係ないので割愛する」って(笑)。

もっともオレはこの切り捨て方には違和感があるけどね。その後の濱野智史の見苦しい展開こそ、むしろ批評の対象とするに値するでしょう(笑)。

外山 ……佐々木中への言及もあったね。

藤村 ドゥルーズ論か何かの人でしょ。

外山 フーコーやラカンについて論じた本(『夜戦と永遠』08年・河出文庫)でちょっと話題になってた人。ドゥルーズ論については、〝刊行が予告されてたけどまだ出てない〟と不満げに書いてある。しかもやっぱり「『3・11』以後」の「『左翼』化」を嘆かれたりもしてるけどさ(101ページ下段)。……ともかく〝北田暁大への言及がない〟という以外は、01年以降の〝批評シーン〟の推移について書くならこうなるよなあっていう、非常にバランスのいい、的確な見取り図が示されてると思います。問題は、この実に〝教科書的〟な整理を前提として、本編の座談会で何がどう話し合われるかですね。他にとくになければ、座談会のほうに移りましょうか?

藤村 ……しかし佐々木敦が「劇団どくんご」の関係者だったというのは意外だ。

外山 〝関係者〟というか、この人が「どくんご」の東京公演に来て、「素晴らしい! ぜひ観にいくべきだ!」ってツイートすると、翌日から満員になるんだよ(笑)。東京公演は毎回そう。

藤村 それはすごい影響力だね。

外山 東京公演以外では効果ゼロなんだけどさ(笑)。劇団としてはメチャクチャありがたいことだろうけど、一ファンとしては、〝有名な批評家〟がツイートして初めて「どくんご」に興味を持つようなスットコドッコイはべつに観にきてくれなくていい! とか云いたくもなるんだが……(笑)。

藤村 でもこういう人が「どくんご」を面白がるというのは、ほんとに意外だよ。東浩紀とかはたぶん……。

外山 どうだろうね。さすがに観れば面白さは分かると思うんだが……いや、無理か。キモヲタだもんな(笑)。

藤村 オレはこの佐々木敦の文章を読むのは今日で3回目なんだけど、1回目に読んだ時はすごくムカついたんだ。2回目に読んだ時はそうでもなくて、今日の3回目でまた最初に読んだ時の違和感が甦ってきてさ。

外山 ぼくも1ヶ所だけ、最初のほうの95ページ下段、「九〇年代末、西尾幹二、藤岡信勝らの『新しい歴史教科書を作る会』に代表される歴史修正主義や、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(一九九八年、幻冬舎)が衆目を集める中」、左翼文化人たちが「差し迫る危機感から積極的な『発言』に転じていく」っていう書き方に、〝ん? そういう脈絡だったっけ?〟という違和感は持ったけどね。

藤村 むしろ逆というか……。

外山 いや、〝無関係〟じゃない?

藤村 そうそう、〝無関係〟だ。

外山 たまたま時期が重なっただけだよね、たぶん。

藤村 右も左もタコツボ化しきってる中で、それぞれの文脈でたまたま同じぐらいの時期に起きた2つの現象だと思う。

外山 あるいは、右は社会全体の変化と連動してるんだけど、左はタコツボ内の事情でたまたまそういう時期にそういうことが起きただけ、っていう。ぼくの違和感はそれぐらいで、あとはほぼ異論はない。……というわけで、本編の〝雑談会〟に進みましょう。あ、ちなみにぼくはこの〝サヤワカ〟という人を名前しか知らないんですが、何者なんですか?

藤村 〝物語評論家〟と名乗ってるみたい。アニメとかマンガとかのサブカルチャー批評をしたり、マンガの原作者をしたり、まあ一言で云うとキモヲタです(笑)。例えばこういう本を書いてる(と持参した本を出す)。『僕たちとアイドルの時代』(15年・星海社新書)っていう。

参加者 男ですか?

藤村 うん。74年生まれ。

外山 (ウィキペディアの記事を見て)『ユリイカ』や『クイック・ジャパン』で書いてる人のようですね。著書に『僕たちのゲーム史』(星海社新書・12年)、『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書・13年)、『一〇年代文化論』(星海社新書・14年)……。

藤村 ゲンロン・カフェで野間さんと対談してましたよ。野間さんがまず朝日新聞に掲載されたサヤワカのインタビューを「糞論評」とこき下ろして、さらには〝艦これ〟を〝最強に気持ち悪い〟ってツイートしたのが発端で、野間さんをゲンロン・カフェに呼んで、東浩紀も含めて3人で〝オタクとネトウヨ〟みたいなテーマで議論してた(「オタク批判はヘイトなのか――艦これ、サブカル、カウンター」2015年6月19日)。ちなみにオレはこの『僕たちとアイドルの時代』についても非常に批判的です(笑)。

外山 じゃあまあ、本編を読んでみましょう。

 

→つづく