東浩紀が1人で孤塁を守ってたような領域で〝東浩紀ひとり勝ち〟なのは当たり前(笑) -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(2)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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前回から続く

 


(「1.「ゼロ年代批評の誕生」黙読タイム)


 

外山 えー、よろしいでしょうか。……まず再確認しておくと、そもそもリチャード・ローティが云い出した当初の意味での〝文化左翼〟というのは、どういう意味なの?

藤村 デリダとかフーコーとかの影響を受けた、まずはいわゆる〝差異の政治学〟、〝アイデンティティ・ポリティクス〟というやつですね。LGBTであったり少数民族であったり、いろんな〝マイノリティ〟の運動に依拠しつつ、従来のマルクス主義よりも緻密な議論を、しかし引き続きマルクス主義に基づいて展開するような……もちろんもともとは新左翼あがりの連中が大学に居着いてそうなってるわけで、彼らは〝大学内左翼〟、〝アカデミズム内左翼〟でもある。そういう連中をローティが〝文化左翼〟と総称したんだけど(左翼が従来の〝階級闘争〟的なテーマから〝マイノリティ問題〟等へと移行したことについて批判的に云われたものであるようだ)、この座談会で云われてる〝文化左翼〟は、もともとローティが云ってたような意味から、かなり拡張されてるような気がするよ。例えば毛利嘉孝とかって、ローティ的な意味では〝文化左翼〟と呼べるんだろうか? 〝ストリートの思想〟とか云ってる人だよね。思想的にもネグリとかに依拠してそうでしょ、〝マルチチュード〟みたいな。ローティがネグリをどう見てたのか知らないんで、オレも自信を持って云ってるわけではないんだけどさ。

外山 スガさんや千坂(恭二)さんも、ネグリ派とかまで含めて〝文化左翼〟呼ばわりしてるんで、ぼくはそんなに違和感はないんだけど、単に元来はどういうニュアンスだったのか気になっただけで。

藤村 もちろんネグリだって〝アイデンティティ・ポリティクス〟的なものも踏まえて議論を構築してるんだし、だから〝文化左翼〟に含めていいのかもしれないけど、厳密にはどうなのか、オレには判断つきません。

外山 ……で、どうですか、この第1節の議論は全体として。〝ネットの世界〟での〝批評〟の変遷については、ぼくなんかは「へー、そうなんですか」と素直に受け入れるしかない(笑)。もちろん、ところどころ「ん? そうか?」とつまずくところもなくはないけど。

藤村 最初のほう、107ページ上段から中段にかけて佐々木敦が、「ぼくはかつて『ニッポンの思想』(〇九年)で『東浩紀のひとり勝ち』という言い方で、東浩紀がゼロ年代の批評のヘゲモニーを握ったと書きました。けれども二〇一六年から振り返れば(略)、東浩紀の存在はマイノリティであり、広い意味での左翼的な文脈のほうが大勢を占めていたといえる」と云ってますけど、実際どうであったかよりも、今なぜ彼がこういうふうに云い出すのか、その動機のほうがむしろ重要な気がするんだ。で、この佐々木発言を受けて大澤聡さんは、「一九九〇年代以降に興隆した新世代の左翼系批評」が「絶えずそれなりの存在感を発揮してきたとはいえると思」うけれども、それが「こと『批評』というフレームで精査した場合に主流だったといえるかというと、ちょっと留保がともなう。倒錯があるような気がする。当時のリアリティとしては、やっぱり東浩紀周辺のほうに『批評』の中心があったと見ておくべきではないでしょうか」と応じてます。オレは実感としては大澤さんの云ってることのほうが正しいんじゃないかと思う。

外山 しかしさらにそれに対して東浩紀自身が、佐々木敦の見方のほうに賛同する、と応じてるよね。「全体的な状況は、〇〇年代の初期からあきらかに左傾化していたと思います」、「毛利嘉孝さんが『ストリートの思想』(〇九年)でまとめている動きが出始めたのも〇〇年代はじめです。『殺すな』デモ、素人の乱、だめ連ですね」(107ページ下段)と云ってて、まあ年代については相変わらずデタラメですけど(笑)。

藤村 素人の乱や、とくにだめ連なんかは、毛利とかの左派系批評家らによって後から見出されるだけで、その運動が盛り上がってるリアルタイムで批評シーンと接続してたわけではないでしょ?

外山 定義というか、どこまで視野に入れるかという問題じゃないかなあ。〝活動家〟が現場でミニコミとかの形で流通させてる言説までを含めて〝批評〟と考えるなら、〝主流〟はたしかに〝ストリート系〟のほうにあったと思うんです。それらを発掘して毛利なんかが、まあそれはそれで〝秋の嵐〟や88年の第1次反原発ムーブメントすら視野に入ってないようなウソ歴史なんですけど(笑)、〝実はこっちのほうが主流だったのだ〟と後づけで整理して提示する。それとも関係して、108ページ下段の佐々木敦の、「人文書一般の地盤沈下に伴って、批評=思想といった等式が壊れていく。思想家や批評家が理論的な言説を世に問うて影響を及ぼすというあり方に代わって、雨宮処凛さんの『プレカリアート』(〇七年)のような、運動や社会問題を取り上げた本が影響力を強めるようになる」という発言があります。ここで「批評=思想といった等式」と云っている、この場合の「批評」というのは、浅田彰から東浩紀に至るような、いわゆる狭い意味での〝批評〟だよね。しかしそういうものが主に「思想」なんだという「等式」自体がそもそも特殊なものであって、それが「壊れて」、〝活動家〟の言説も〝思想〟界において一大領域を成しているというごく当たり前の、本来の姿に戻っただけのことだとぼくなんかは思うよ。つまり佐々木敦も含めてこの座談会の参加者たちが共有しているらしい、浅田彰や東浩紀のようなタイプの〝批評〟がイコール〝思想〟であったかのような特殊な状況を、特殊だと感じることのできない〝思想〟観がそもそもおかしい。

藤村 でもそういう〝思想〟観が普通であるような状況があるわけで……。

外山 いや、それはこの人たちがそういう感覚であるというにすぎないでしょう。だって〝浅田まで〟はそもそもそうではなかったはずじゃん。〝浅田以降〟はそうなってて、浅田はその両方の状況を体験してると思うけどさ。かつては、まあ〝運動〟にもコミットしていたとはいえ柄谷や浅田のような〝批評家〟に近いあり方をしていただろう吉本隆明と、もっと露骨に〝運動の人〟である黒田寛一なんかとが、渾然一体となって〝思想界〟を形成してたわけでしょ? さらに云えば〝レーニン〟とか〝毛沢東〟とかだって〝思想家〟だったはずじゃないか(笑)。彼らのような〝思想〟観だと、〝マルクス〟すら〝思想〟ではなくなってしまう(笑)。

藤村 しかしこの座談会で〝批評〟と云われてるのは、そういう「批評=思想」であるようなタイプのもので……。

外山 うん、佐々木敦の基調報告で「③現在の『思想=批評』シーンの一大ジャンルとしての『東浩紀もの』」として括られてた領域のものを指してる。

藤村 だからその中で〝東浩紀ひとり勝ち〟なのは当たり前(笑)。

外山 東が1人で孤塁を守ってたような領域にすぎないんだもんね。しかし本当はそういう議論の前提となっている「批評=思想といった等式」というもの自体が疑われなきゃいけないはずで、東のような狭い意味での〝批評家〟だけでなく、〝活動家〟のような人たちの言説まで含めて〝思想〟シーンが成り立ってると考えるなら、〝批評〟の主流はそりゃ東しかいないんだから東だったでしょうけど(笑)、〝思想〟の主流はそうではなかった、という認識になりますよ。だからここで佐々木敦や東浩紀は、しぶしぶ認識を変えようとしてるということでしょう。

藤村 なるほど。でもここに挙げられてる雨宮処凛の『プレカリアート』なんかは、かつてであっても〝思想〟とは見なされなかったんじゃない?

外山 〝活動報告〟だもんな(笑)。

藤村 あるいは〝ルポルタージュ〟とかで、〝活動家〟の言説にも〝思想〟的なものとそうでないものはあるし、『プレカリアート』はたぶん違う。雨宮処凛の『プレカリアート』よりは清(義明)さんの『サッカーと愛国』(イーストプレス・16年)やノイホイさん(菅野完氏)の『日本会議の研究』(扶桑社新書・16年)のほうが数倍〝思想〟的だけど、たぶん清さんもノイホイさんもそれらを〝思想の本〟だとは云わないだろう。〝批評シーン〟のタコツボ化を自覚して危機感を持つこと自体は理解できるけど、だからといって雨宮処凛の『プレカリアート』まで〝批評〟の枠に入れようとするのは、むしろ彼らの意図をいろいろ勘繰ってしまう。

外山 ん?

藤村 どう考えても〝批評〟ではないものまで〝批評〟の枠に入れることで、〝批評〟というものが〝活動家の言説〟の大量流入によって劣化させられてる! というような気色の悪い〝危機感の煽り立て〟をしようとしているんじゃないか、と。

外山 〝我々は迫害されている!〟って?(笑)

藤村 まるでネトウヨが〝我々日本人はチョーセンジンによって迫害されている!〟みたいなノリを感じて、〝キモっ!〟と思ったわけです。

外山 どうしたんだ、藤村君。今日はやたら〝毒吐きます〟みたいなキャラになってるよ(笑)。……でもまあたしかに雨宮処凛は〝批評〟とか〝思想〟とかってタイプの言説を提出してくるような、そういう素養もそもそもない人だけど、誰がいるかなあ。例えば矢部史郎なんかは、〝活動報告〟的な文章も〝批評〟的な文章も、それらが渾然となったような文章も書ける人じゃん。そういう人までは〝批評〟や〝思想〟の枠にそもそも入れておくべきでしょう。

藤村 だとしても、それがある時期以降は〝主流〟だったかといえば……。

外山 千坂恭二の云う〝イデオローグ〟的な〝批評家〟や〝思想家〟のあり方の問題だよね。千坂さんが云うには、まず単に食い扶持のレベルで、大学に寄生する〝アカデミシャン〟と資本に寄生する〝ジャーナリスト〟と運動に寄生する〝イデオローグ〟という3類型があって、商業ジャーナリズムの世界で食ってる大塚英志や東浩紀はこの分類では〝ジャーナリスト〟枠になるんだけど、もともと3類型あったのに、とくに80年代以降は〝アカデミシャン〟と〝ジャーナリスト〟だけが〝批評〟や〝思想〟の担い手であるかのような状況になってて、〝イデオローグ〟はそもそも食っていくことすらできずに、そもそも滅亡したのかもしれないし、少なくとも可視化されない存在になった。

まあもっとも、東浩紀や佐々木敦の視野に入ってる〝活動家〟たちなんて、千坂説では〝ジャーナリスト〟に分類されるようなタイプの言説の担い手にすぎないんだけど(笑)、ともかく現在は不可視のカテゴリーとして本来はもう1つ、〝イデオローグ〟という〝批評家〟や〝思想家〟のあり方が存在してて、そこが東や佐々木には潜在的可能性としても想定されていないだろうことが一番の問題だよ。で、〝イデオローグ〟の不在を埋める代替物のような、むしろ東たちと同じ穴の狢である、〝ジャーナリスト〟枠の一部を成している一群の〝活動家〟の言説の台頭にアタフタしてるところだと思う。……まあそれは措いといて、いずれにせよ雨宮処凛や松本哉のような〝現場活動家〟タイプで、本を書くとしても〝批評〟や〝思想〟の本ではないような人たちと、酒井隆史や丸川哲史のような〝理論家〟タイプの人たちと、両方にまたがってる矢部史郎のような人と、一口に〝活動家〟といってもいろいろいるんであって、それらの言説を全部〝活動家の言説〟として一緒くたにしてるからちょっと議論がおかしくなってはいるね。

この座談会に参加している人たちも、〝ジャーナリスト〟と〝アカデミシャン〟の2タイプしかいないし、まあそもそも〝イデオローグ〟なんて今いないけどさ(笑)。だけど考えてみれば、基調報告での佐々木敦の3分類にしても、理念型としては千坂さんの3分類と重なってて、①が〝イデオローグ〟で、②が〝ジャーナリスト〟で、③が〝アカデミシャン〟だよな。③の代表とされてる東浩紀自身は〝ジャーナリスト〟型の生計の立て方をしてるけど、批評家のタイプとしてはアカデミズムに近いでしょう。〝イデオローグ〟枠であるはずの〝活動家〟的な書き手たちも、〝イデオローグ〟として生計を立てる道は今ないから、みんな②枠と③枠の住人になってもいるわけで、あくまでもイメージの話にしかならんけどさ。

で、ここで彼らが云い合って同意し合ってる「〇〇年代の初期から」という部分にはぼくは同意しないけど、いつ頃からかはともかく、①枠の〝活動家〟的な言説が③枠のアカデミズム的な言説よりも優勢になってきてるという認識については、ぼくもそうだと思います。まあ、それは実は②枠の商業ジャーナリズムへの進出競争において、という気はするけどね(笑)。……しかも①枠の言説のレベルが非常に低いというか雑というか、そのことを憂慮する彼らの気持ちもよく分かる。

藤村 「二〇一六年から振り返れば」、だいぶ前から実はそうなってた、と。

外山 『ニッポンの思想』を書いた09年時点の佐々木敦は、あくまで③枠を中心に日本の思想シーンの変遷をスケッチしたんだが、ちょうど同じ頃に①枠を中心に日本の思想シーンの変遷を描く毛利嘉孝の『ストリートの思想』が出てて、その後の展開も踏まえて振り返ると毛利説のほうに軍配を上げざるをえない、という認識ですね。

藤村 なるほど、了解しました。しかし例えば108ページ下段で、市川真人が「まさに『社会学の時代』ですね」と云って、それを承けて東浩紀が「『政策の時代』でもある。たとえば、九〇年代の宮台さんは、基本的には解説者の立場で、時代について診断しているだけだった。ところが、〇〇年代以降はその宮台さんも含め、言論人本人が運動に参加したり、具体的な政策提言をしたりしなくてはいけないという強迫観念が強くなる」と云ってます。全体としてはそう思うけど、こと宮台に関しては……。

外山 90年代に登場してきた直後の時点ですでに、〝フィールド・ワーク〟と称して女子高生とデートしてみたり……(笑)。

藤村 そうそう(笑)、そしてそれは宮台自身にとっても政治的・思想的な、ある種の〝実践〟として位置づけられてたわけだよ。

外山 うん、宮台はそれを決して〝非政治的〟なものだとは思ってなかったはずだ。たしかに社会全体の趨勢としてはここで云われてるとおりだろうが、宮台についてこんなふうに云うのはおかしい。

藤村 しかも宮台は、デモなんかバカのやることだと嘲笑してて……。

外山 反革命分子だからね(笑)。

藤村 〝表現〟と〝表出〟という概念を出してきて、〝表出〟はただ本人がスッキリするだけで、〝表出〟でしかないようなデモには何の意味もなく、むしろ〝ロビイング活動〟の方が重要なんだと昔はよく云ってた。

外山 たしかに90年代のうちから反革命・宮台は、そういうくだらんことを云いまくってた気がするよ。

藤村 オレも宮台のそういうスタンスに全面的には賛同しないけど、少なくとも宮台の云い方は、デモという方法の弱点を突いてはいたと思う。00年代以降の行動も、「強迫観念」とかに突き動かされてるわけではないし、宮台が自分の従来からの信念に忠実にやってるだけの話であって、宮台だって東に〝おまえも政策提言しろ〟とか云ってるわけでもあるまいに、何を被害妄想みたいなことを云ってるのか、よく分からん。

外山 だけど宮台個人のケースは措いて、社会全体としては「社会学の時代」、「政策の時代」になってるでしょ?

藤村 うん。

外山 ……ぼくが「ん?」と思ったのは、120ページ上段の、サヤワカの発言です。「〇三年ごろからはサウンドデモも本格的に立ち上がります。その嚆矢が〇三年三月の芝公園での『World Peace Now』です。ただ重要なのは、このときは、いまとちがってネットとはほとんど接点がなかったという点だと思います」と云ってる。そもそも1つにはワールド・ピース・ナウの前に01年のアフガン反戦の時に「チャンス!」というのが立ち上げられてたことがすっかり忘れられてるようで、野間さんの『3・11後の叛乱』(笠井潔との共著・集英社新書・16年)でも、彼らの運動の歴史はワールド・ピース・ナウから書き起こされてて、チャンスはすっかりスルーされてたし、どういうことなんだろう? ぼくも裁判闘争から獄中にかけての時期だから、リアルタイムでほとんど動きを追えてなくて、ここらへんは〝運動史の空白〟として、ぼくにとっても謎のままなんだけどさ。反原連とかシールズとか、〝3・11以降〟の運動を象徴する人間は福岡では〝いのうえしんじ〟だけど、ぼくがやってた「だめ連福岡」に出入りしてた90年代後半にはまったく没政治的なサブカル野郎にすぎなかった井上君が、突如として〝運動の人〟になっちゃったのもアフガン反戦からだよね。

藤村 まさに。

外山 あの時に福岡でも井上君たちがチャンスをやってて、それは福岡でだけやってたんじゃなくて、チャンスはやっぱり首都圏で始まって、各地に〝オレもオレも〟って感じで拡がって、福岡では井上君たちがやってたというにすぎない。〝9・11〟の直後に、それまで〝運動〟とかに参加したこともなければ興味もなさそうだったサブカル連中が大挙して突然、デモとかやり始めて、その流れが2年後にワールド・ピース・ナウにつながってるはずだし、野間さんもそうであるように、03年のイラク反戦はそのまま〝3・11以降〟の反原連とかにまでつながってるはずなんだ。なのにどいつもこいつもワールド・ピース・ナウのことばっかり云って、チャンスの話をしないのは何か理由があるのか、ずっと不思議でならない。

で、それともう1つ、01年のチャンスでさえ〝ネットで呼びかけて集まった〟と自称してたはずだし、その2年後のワールド・ピース・ナウが「ネットとはほとんど接点がなかった」なんてことはありえないと思うんだ。だって03年だよ? サブカル系のイケてる連中みたいなのが何か新しい運動を立ち上げようとして、ネットを使わないとかありえないよ。もちろんツイッターもフェイスブックもないし、今と比べたらかなり原始的だったろうけど、〝2ちゃん〟とかはとっくに〝巨大掲示板〟になってたような時代でしょ。もしかしたらメーリング・リストとかでの呼びかけだったかもしれないけど、サヤワカが「ネットとはほとんど接点がなかった」とか云うのは、単にキモヲタがネット・サーフィンする範囲では感知できなかったというだけのことでしょう(笑)。

続けて中段で佐々木敦も、「このころ、のちに『ストリートの思想』と呼ばれるものが胚胎していたのはたしかだけれど、ネットとはまだほとんどリンクしていなかった」とか云って、サヤワカのにわかには信じがたい認識を追認してる。このへんは絶対に間違いだと思う。そもそも佐々木がちゃんと目配りしてた80年代の粉川哲夫とかだって、80年代前半からもう運動にコンピュータを導入してどうこうって議論を始めてるんだし、たぶんそこらへんとも関連して、「どくんご」の初期の関係者には〝パソコン通信〟で反原発運動を展開してた人たちもいるし、それも80年代のことで、そういうのは左翼系でも早い人はめちゃくちゃ早いよ。ぼくはいまだにITは弱いけど、そのぼくですら、上手く使いこなせなかったとはいえ、すでに97年の時点でホームページを立ち上げてるからね(笑)。

さらに続けて東も「この時期にはストリートの思想とネットの思想のふたつが分裂して走っていた。ぼくはネットの思想にコミットしたわけですが、たしかにストリートの動きとは無縁だった」と云ってるけど、粉川哲夫って人の昔の本を読んでみるといいんじゃないでしょうか(笑)。やっぱりネットの世界には当時すでに運動系の人たちもキモヲタ連中もいて、単にそれらが出会う回路がまったくなかったというだけでしょう。こういう、ちょっと考えればありえないことがすぐ分かるようなことを云っちゃいけません。

あと、同じ120ページ中段の佐々木発言の中には、イラク反戦のサウンドデモについて、「三田格さんが関わり、さらに三田さんの師匠筋の平井玄さんなどが理論的な背景を担っていた」とあり、東発言を挟んで大澤聡の、「ただ、平井さんはアウトノミア運動をバックボーンに活動していましたが、つぎの世代になると理論の部分が空無化し、サウンドデモは文字どおりサウンドだけになってしまう」という発言がある。ここらへんも「ん?」なんだよな。この時に、後に〝ヘサヨ〟と呼ばれるようになる流れと〝パヨク〟と呼ばれるようになる流れとが分裂してるはずなんです。

ヘサヨというより、ヘサヨと〝ドブネズミ系〟の混合みたいな感じだけど、それと反原連とかにつながっていくパヨク系がここで分岐するというか、〝9・11〟を機に誕生したパヨク系の系譜に、80年代以来の新左翼ノンセクトつまり未分化のヘサヨ&ドブネズミ系の連合体が介入しようとして、やっぱり路線が合わずに決裂するに至る。そのへんはたしか、矢部史郎&山の手緑の『愛と暴力の現代思想』(青土社・06年)に言及があったと思う(「一昨年のアフガン反戦運動以来、私(たち)は反戦運動のなかで異物のように扱われてきた。イラク反戦運動の大枠であるWPN(ワールドピースナウ)のなかで、事務局と参加者がしばしば対立し、その対立の原因は、ACA(反資本主義運動)というグループの動向にあると噂されてきた。デモで検挙があるたびに、WPNは救援運動を放棄し、ACAは救援運動に取り組んできた。WPNとACA。非暴力と暴力。親警察と反警察。新しい運動スタイルと古い運動スタイル……」──「反労働の暴力へ」矢部・04年)。
つまり後の〝3・11以降〟系とイコールの〝9・11以降〟系のラブ&ピースなノリに矢部とかがシビレを切らして、アナーキーでバイオレンスなノリを導入しようとして排除されるわけです。で、まあ〝弟子筋〟なんだったら三田格もそうなのかもしれないけど、少なくとも平井玄とかは矢部側だったと思うんだよね。

ぼくはさっきも云ったとおり、この頃とくに03年は丸々獄中にいたんで状況が正確に分かってないんだけど、それでもこの座談会でのまとめ方がどうもおかしいだろうことは分かる。ヘサヨ+ドブネズミ系とパヨク系との分岐がこの時に起きてることが彼らにはまったく見えてなくて、ここでの「サウンドデモ」の話が、素人の乱やフリーター労組へとつながっていく、つまりヘサヨ&ドブネズミ系の流れとして語られてるのか、それとも反原連やシールズにつながっていく、つまりパヨク系の流れとして語られてるのか、ちっとも分からないし、まあ単に区別がついてなくてごっちゃにして、結果としてまったく無意味な議論をしてるだけだということは想像つくけどさ。

仮に大澤の云うように、サウンドデモ的なものからやがて「理論の部分が空無化し」て、それが最近の反原連やシールズのような没理論左翼につながっているという話であれば、それは「つぎの世代になると」っていうような〝世代交代〟が原因ではなくて、多少なりとも理屈のあるヘサヨやドブネズミ系が袂を分って出て行っちゃったからです。そもそも〝世代交代〟なんか起きてないしね(笑)。まあシールズを除いては、だめ連もワールド・ピース・ナウも素人の乱もフリーター労組も反原連もしばき隊も、雨宮処凛も湯浅誠も外山恒一も桜井誠でさえも、みんな一緒で70年前後、65年から75年の生まれ(笑)。

参加者 えーと、さっきから出てくる〝ヘサヨ〟とか〝パヨク〟とかがよく分からないんですけど。

外山 ヘサヨってのは、要は昔ながらの新左翼ノンセクト・ラジカルです。差別問題とかにうるさい(笑)。

藤村 まさに〝文化左翼〟の人たちだよね。

外山 ついでに云っとくと〝ドブネズミ系〟は野間さんから〝面白主義〟の〝サブカル〟と罵倒されてるような人たちで、ぼくも入るし、だめ連や素人の乱もこの枠に入る。で、パヨクは、元々は野間さん一派つまり「しばき隊」界隈を指す悪口だけど、他に適当な用語がないんで、狭義の野間系だけでなく広義の野間系つまり反原連とかシールズとかまで含めて云ってます。左翼のくせに理屈のない、運動史についての教養もない人たち。〝9・11〟で登場して、〝3・11〟以降は量的な主流と化してる。思想的にはカラッポで……。

藤村 うん、思想的なものは何もない。

外山 動物化した左翼(笑)。

藤村 その代表格が野間さん(笑)。まあ〝代表格〟というか、その中では最も〝理論家〟ではある。

外山 ぼくは細かいことにこだわってるようだけど、こういう細かいところに目が向いてないために、その部分がどんどん拡大されて、結局はかなりトンチンカンでトンデモな認識が提示されることになったりするから困るんだ。ごくごく基本的なところでのちょっとした認識不足が積み重なって、最終的にはトンデモな結論が導かれたりする。
さっきもちょっと云った107ページ下段の東の、「全体的な状況は、〇〇年代の初期からあきらかに左傾化していた」だの、「『ストリートの思想』でまとめられている動きが出始めたのも、〇〇年代はじめです」だの、前々回から繰り返し云ってるとおり、ほんとはいずれも80年代後半から始まってることです。しかも東たちは前回の座談会では、91年の〝文学者の反戦声明〟から左傾化が始まったかのような話をしてたはずじゃん(笑)。なんでその話すら〝なかったこと〟になっちゃってるのか。

だめ連の登場とかに関してもテキトーな認識が目立つ。108ページ上段の大澤発言で、「九〇年代後半にだめ連がメジャー化したきっかけ」が『現代思想』の例の〝ストリートカルチャー特集〟(97年5月号)だったかのような、これも実際は違うよね。だめ連がタコツボ化した〝批評シーン〟でさえメジャー化したのは、たしかにその特集がきっかけだけど、政治運動シーンでは95年時点でとっくに超メジャーな存在でしたよ。しかもはっきり云って、『現代思想』が特集した時にはだめ連はとっくに旬を過ぎてて、遅すぎる。そういう遅れまくった〝批評シーン〟の内側の感覚で歴史を語ってもらっちゃ困るんだよ。松本哉なんかもっとヒドいよ。97年か98年の時点でもう〝大スター〟だったのに、この人たちの視野に入るのはどうせ07年の杉並区議選のあたりか、もしかしたら最初の本(『貧乏人の逆襲!』ちくま文庫)が出た08年からでしょ? 10年遅れてるんだ。

……あとそれから、たぶんそうなんだろうとは思ってましたが、122ページ中段で正直に告白されてるね。東浩紀にはやっぱりスガ秀実の一連の〝68年〟論はよく分からなかった(「スガさんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」)、って(笑)。

藤村 だってスガさんの書くものは難しいもん(笑)。

外山 スガさんのよりはよっぽど分かりやすい笠井潔の〝68年〟論すら理解できなくて、逆ギレして決裂したような人ですから、そりゃスガさんのはますます理解できないでしょう(笑)。

藤村 しかし〝ゼロ年代批評〟で〝ひとり勝ち〟してたような人がそんなことではマズいだろう。

外山 だってそもそもぼくらの世代以下でスガさんの〝68年〟論をちゃんと理解できてる人って、全国を探してもたぶん、まあスガさんの直接の界隈を除いては、福岡の〝外山界隈〟以外にまず存在しないと思うよ。東とかに理解できるわけない。

藤村 オレもそんなに分かってないよ。すごく重要なことがいっぱい論じられてて、すごく面白いと思うけど、少なくとも1、2回読んだだけでは理解できません。

外山 『1968年』の第4章とか、ぼくでさえ熟読の読書会を10回近くやって初めてようやく理解できたぐらいだもんな。ぼくら以外ではせいぜい、鹿島君(鹿島拾市=加藤直樹)とかの〝ドブネズミ系インテリ〟がほんの2、3人、理解できるぐらいでしょう。全共闘世代のごく一部を除いて、あれを理解できる人は全国に10人いないと思う。そのうち4人は我々団界隈(笑)。

藤村 東浩紀はこう云ってるけど、〝68年革命が「成功」したからメデタシ、メデタシ〟みたいなことはスガさんは全然書いてないしね(笑)。

外山 うん、同じ122ページの下段ではやっぱり東が「『六八年がすごい』本」とか云ってるけど、そういう本ではない(笑)。

藤村 ここではスガさんの『革命的な、あまりに革命的な』(作品社・03年)は「『早稲田文学』に連載されたもの」となってて、それはそのとおりなんだけど、原型になったものは西部邁の『発言者』に連載されてて、その時のタイトルは「全共闘という愚行」だもん。

外山 つまり全共闘が実は〝勝ってしまった〟ためにこういうマズい現在がある、っていう苦い側面も濃厚にある。

藤村 そうそう。市川真人に「六八年で撒かれた様々な種が、今日ちがうかたちで実現しているという話でしょう」ってまあ無難な説明をされて、東は「それが成功なの?」ってしつこく食い下がってて……。

外山 ほんとに分かってないんだということがよく分かる。

藤村 市川さんと佐々木さんは分かってるみたいだ。

外山 とりあえず理路はね。

藤村 ……あと、どーでもいい云いがかりですけど、114ページ中段から始まる、大澤信亮と浜崎洋介の『すばる』での対談記事の話があるでしょ。対談の内容についてもいろいろ云ってるけど、何よりも2人が浴衣を着て登場してたことを4人で寄ってたかってディスってる。おそらく前提として、NAMだの『重力』だのっていう、〝あんなろくでもなかった運動〟をノスタルジックに回顧するような対談の内容がケシカラン、というのはあるんでしょうけど。

外山 4人の座談会参加者のほぼ共通の認識として、『批評空間』や『重力』は、もはや〝野蛮な情熱〟でもってそこから身を引きはがさなければならないような、〝古いタイプの批評〟を引きずった媒体で……。

藤村 しかし大澤信亮はともかく、浜崎洋介って人は今はもう完全に保守系文化人になってて、『表現者』の常連執筆陣の1人だし、福田恆存について論じたりしてるぐらいで、むしろこの4人よりもよっぽど『批評空間』的なものからとっくに自らの〝切断〟を敢行してるとも云えるわけですよ。しかもそういう保守系文化人が浴衣を着て、何が問題なんだ(笑)。

外山 ぼくはそういう〝浴衣なんか着て云々〟っていう〝批判〟についてはどーでもいいと思ったけど、例えば115ページ下段の市川発言、仮にこんなふうに大澤・浜崎やそれをよしとする『すばる』編集部や『すばる』読者を批判したって、「棲み分けの結果として、批判するはずの側に届かない」っていうあたりは、かなり重要なことを云ってると思う。その後しばらく延々とそういう話が続いてるじゃん。ファン同士で好きなものを褒め合うダベりのようなもの以外の〝言論〟が必要とされておらず、そういうことではイカンと思って批判しても、批判してる当の相手はそんなもの絶対に読まないし……っていう苛立ちはよく分かるし、苛立つべきですよ。

藤村 じゃあ、どうするのか?

外山 その展望は何ら示されず、ただひたすら危機感が表明されてるだけですけどね(笑)。で、展望が見えないもんだから、そのぶん八つ当たり気味に〝①枠〟の人たちへの敵意が……。

藤村 そうそう(笑)。

外山 そんなに敵意なんか持つ必要ないのになあ。前々回も云ったように、東浩紀なんかが率先して〝①枠〟に乗り込んで、レベルの低いパヨクどもの議論を一掃するぐらいの強力な〝運動の言葉〟を紡ぎ出せばいいだけの話です。

藤村 オレは東浩紀のことはずっと記憶の彼方だったんだよ。90年代末に颯爽とデビューして、その時の印象がちょっとあるぐらいで、後はずっと忘れてた。だって今でこそオレはドルヲタだけど(笑)、基本アニメやマンガにはほとんど興味がないから、サブカルチャー批評に転じた東の著作を読む気はしなかったのね。それが再びというか初めてというか、東浩紀に注目したのはそれこそ〝3・11以降〟なんだ。当時まだ反原発運動とかやってた千葉麗子と口汚く罵り合ったりしてて(笑)、野間さんがその論争をブログでジャッジしたりしててさ。論争の内容はともかく、そんなふうに〝活動家〟と本気で大喧嘩してるような姿は、〝知識人〟として好ましいなあと思った。しばき隊を擁護する論陣を張ったりもしてて、オレが〝ゲンロン友の会〟に入る気になったのも、そのことが大きいぐらいだもん。

外山 中途半端なのが良くないよ。たまにちょっかいを出すレベルじゃなくて、もういっそ〝①枠〟を乗っ取るぐらいの気持ちで突っかかるんなら突っかからないと。

藤村 うん、ほんとにそう思う。

外山 なのに実際は、ちょっと突っかかっては、揉めて、引き揚げて、こんなふうに遠吠えみたいなことを仲間うちで云い合うことになっちゃってる。

藤村 で、野間さんとの蜜月関係もまるで〝なかったこと〟のようにして……(笑)。

外山 チラチラとはさすがに優秀さの片鱗が窺われるような発言もあるし、もっと本気で〝①枠〟に介入すれば、政治運動シーンにもそれなりの影響力を持つ知識人になれると思うんだけどね。そもそも東浩紀はアカデミズム的なシーンからはすでに距離のある人になりつつあるわけじゃん。いっそ〝ニッポンの政治運動〟のイデオローグ的な立ち位置を目指してもいいんじゃないの?

藤村 でも彼らからすれば〝イデオローグ〟なんてあり方は、閉鎖的で、閉ざされた……。

外山 だってむしろ自分たちが身を置いてる〝批評シーン〟のタコツボ性を身に沁みてるような議論をしてるんだからさ。自分たちがしょせんタコツボの住人だったことを認めざるをえないぐらい、彼らはもう追い込まれてきてる(笑)。

……ぼくはネットの話はよく分からないんだが、130ページ下段にある、06年1月の「ホリエモン逮捕でネットの空気が代わってしまう」(佐々木発言)とか、「そのあとには反動がやってきて、ネット空間は一気に保守化していく」(大澤発言)とか、全然ピンとこないんだ。これはおおよそ正しい認識なの?

藤村 一般的に云われてるのは、サヤワカさんも触れているように、やっぱり02年の日韓ワールドカップがネットの〝保守化〟のメルクマールでしょ。

外山 政治的・思想的な意味での保守化についてはね。

藤村 あの時の韓国は実際ヒドかったし、マスコミがそれをちゃんと問題にせずにキレイごとでごまかすもんだから、〝マスコミは真実を報道していない!〟って感じでネトウヨが大量発生する。ぼくも当時、某ネット右翼団体に参加してて、ワールドカップ問題にも関係してたんで、体験的によく分かってるつもりです。

外山 もっともぼくの認識では、日本のネット文化は最初からまあ、〝右傾してた〟とまでは云わんけど、〝監視社会化のツール〟でしかなかったよ。それは理由もはっきりしてて、ネットが普及したのは世界的にも日本国内的にも90年代後半でしょ。要するに、監視社会化が進んだのは世界的には9・11以後つまりネットの普及が進んだ後だったけど、日本国内ではそうではないんだ。日本版の〝9・11〟である95年の〝オウム事件以後〟に、つまり急速な監視社会化が先に始まって、その後でネット社会化が始まった。そんなもん、最初から監視社会化のツールとしてしか機能しませんよ。だから日本のネット社会はそもそもの最初から〝保守的〟なものでしかなくて、その枠内で多少の揺れはあり、ここで佐々木や大澤が云ってるのもそういう相対的な話にすぎないことは分かってるんだけど、でもネット・シーンの具体的な動向には疎いんで、ニュアンスがよく掴めない。だってぼく、108ページ下段で大澤が言及してる「シノドス」ってのも何だか知らないんだ。名前はよく聞く気がするけど、何?

藤村 オレも知らない。何でしょう?

参加者 社会評論的な記事がたくさん載ってる、ニュースサイトですね。

外山 たぶんすごく有名なサイトなんであろう「シノドス」すら知らないぐらいなんで、まして109ページ中段のサヤワカ発言、「二〇〇一年はまさにページビューを稼ぐサイトが登場してきた時代です。『カトゆー家断絶』や『侍魂』、『ちゆ12歳』みたいなテキストサイトが開設される一方で」云々とか、そんなキモヲタみたいなことを急に嬉々として語られ始めましても、まったくついていけません(笑)。

藤村 途中からページの端っこに別枠で「補遺」として「はてなダイアリーの時代──批評とネットの交差点」ってのが掲載されてるでしょ。

外山 〝プチ座談会〟みたいなやつね。大澤・サワヤカ・東の3人でやってる。

藤村 〝はてなダイアリー〟というのがかなり重要なものであるらしいことは、こないだ清さんと初めて会って飲んだ時に清さんから聞いて知ったんだけど、それまでは〝はてサ〟っていう、〝はてな系サヨク〟って言葉は知ってたし、左翼が主に使ってるブログ・サービスで、語感も似てるし〝ヘサヨ〟みたいなのがいっぱい集まってるんだろう、ぐらいのイメージでいた。この〝プチ座談会〟を読んでも、〝へー、こういう面白いしくみだったのか〟って今さら蒙を啓かれてますよ。

外山 〝プチ座談会〟のほうはまだちょっとしか読んでないが、115ページの東発言に「04年ごろのはてなダイアリーは、たしかアクティブユーザーが3000人ぐらいだった」とある。たしかに何のブームでも、それぐらいの人数の頃が一番面白いだろうな、というのは想像できます。

……まったく関係ないが、大森望と豊崎由美の『文学賞メッタ斬り!』(04年・ちくま文庫)への言及から、〝書評家の時代〟みたいな話が124ページあたりからしばらく続いてるでしょ。ここでは『文学賞メッタ斬り!』自体は良かったんだけど、〝権威を引きずりおろす!〟ってノリだけ真似た安易な言説が増えてつまらないことになったという話で、それにべつに異論があるわけではない。ただぼくが愕然としたのは、たしか同じコンビで書かれた(間違い。豊崎由美&岡野宏文)、文学に限らず20世紀のさまざまなベストセラーを〝メッタ斬り〟するという対談本(『百年の誤読』04年・ちくま文庫)を読んで、まあ面白いことは面白いんだけど、いかにも〝読書家〟な感じの2人がコト〝政治的〟な方面の話になるとビックリするぐらい無知なんだよ。80年代のベストセラーを10冊ぐらい改めて読んで語り合ってる章があって、『窓ぎわのトットちゃん』とか『積み木くずし』とか『気くばりのすすめ』とか出てくる中に、森村誠一の『悪魔の飽食』(81年・角川文庫)が入ってるの。で、実際に読んでみるまでは、タイトルのイメージで、〝もったいないオバケ〟みたいな話というか、〝こんな使い捨ての風潮はケシカラン!〟っていう説教本なんだろう、って2人ともカンチガイしてたらしいんだ。

藤村 『悪魔の飽食』を!?

外山 常識だよなあ。なんてモノを知らない連中だ、と愕然としましたよ(笑)。2人ともいわゆる〝新人類世代〟(50年代後半〜60年代前半生まれ)なわけで、〝政治〟を忌避してきたウブな新人類どもが〝9・11ショック〟とかで急に政治づいたら、そりゃ凡庸なリベラルになっちゃうはずだわ、と思い知った。じっさい読んでみて衝撃を受けたらしくて、〝ぜひ若い人たちにこそ読んでほしい〟とか云い出すし(笑)。

藤村 たしかに『悪魔の飽食』ってタイトルは意味不明だけどさ。731部隊の戦争犯罪を追及した本だとは、タイトルからはまさか想像つかないでしょう(笑)。

外山 それはそうなんだが、しかしぼくらと違って彼らは当時もうリッパな大人だったわけでしょ。まだ政治に目覚めるはるか以前の、中学生のぼくでも当時ほぼリアルタイムでそういう本だって知ってたもん。ごくごく素朴な最低限の社会的関心があれば、〝731部隊について書いた本がベストセラーになってる〟ぐらいの情報は、実際にそれを手に取って読むかどうかはともかく、小耳には挟むはずだよ。2人の対談は読みものとしては充分面白いし、鋭いことも時々云うんだけど、サブカル連中の政治オンチぶりは本当に度し難いレベルなんだな、と思い知りました。

……こっちの座談会もだんだん〝雑談〟化してきたんで、本編の〝雑談会〟に戻りましょう。では次の第2節をそれぞれ黙読してください。

 

 

→つづく

 

ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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