東浩紀はもう〝政治活動家〟になれ、というのが結論でしょうか -『ゲンロン』 「平成批評の諸問題2001-2016」を読む(4)


ゲンロン「昭和批評の諸問題1975-1989」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題1989-2001」を読む
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ゲンロン「平成批評の諸問題2001-2016」を読む
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前回から続く


 (「3.「震災以後の批評」黙読タイム)


 

 

外山 ここも延々とただ嘆き合ってる感じだね(笑)。大変ですなあ、としか……。毎度のツッコミになるが、156ページ上段の東発言、「二〇一二年に入ると、国会前の反原発デモが膨大な動員に成功したこともあって、ついに運動の季節がやってきます」っていう、またトンチンカンなことを云ってる。〝運動の季節〟とか云うなら、それにふさわしいのは直近ではフリーター労組のデモが突然、千人規模になってきた00年代後半のほうについてそう云うべきでしょう。

藤村 〝3・11以降〟という括りでは、たしかに2012年の反原連の運動が規模的には一番大きかっただろうけどね。

外山 質を問わずに量だけで判断するなら、十万人規模の反核集会が複数回あった82年とかも東たちは〝運動の季節〟って云わなきゃいけなくなるはずだ。〝量〟も重要だけど、〝質〟を伴ってなきゃ無意味なんだよ。

藤村 うん、〝運動の季節〟とかではない。そんなもん、来てねーし(笑)。

外山 しかも00年代後半のフリーター労組のデモの高揚を視野に入れた上で、こういうことを云ってるんならまだマシだけど、たぶん入ってないまま云ってる。

藤村 だけど一応、90年代についても00年代についても、〝運動〟的なものが〝批評〟をどんどん侵食してきてるっていう危機感を云い続けてはいたじゃん。

外山 イラク反戦のサウンドデモについても言及はしてたよ。でも、03年のサウンドデモにしても12年の反原連にしても、むしろ〝運動シーン全体〟は停滞期で、そういう中で目立った運動であるにすぎない。本当に盛り上がってるのは、90年代後半のだめ連や松本哉の法大の運動だったり、00年代後半のフリーター労組や素人の乱の運動だったりするわけだ。もちろん80年代後半にも反管理教育運動や〝広瀬隆ブーム〟の反原発運動が盛り上がってた。そういう質的にレベルの高い運動の盛り上がりはちっとも視野に入っておらず、マスコミが報道しやすいような低レベルな運動は、マスコミが報じてくれるもんだから視野に入り、怠惰な東たちの視野にも入るぐらいだから量的にも盛り上がるんだね(笑)。

あ、こういうことだ。あちこちで云ってるとおり、少なくとも80年代以降は、2010年代はどうなるか分からんが、これまでのところ〝何年代後半〟がラジカルな運動の高揚期なんだよ。逆に〝何年代前半〟はリベラルな運動の高揚期。80年代前半に反核運動が盛り上がり、80年代後半にはぼくら〝ドブネズミ系第1波〟の連中の運動が盛り上がり、90年代前半には〝文学者の反戦声明〟とかが盛り上がっているかに見え、90年代後半にはだめ連とかが盛り上がり、00年代前半にはアフガン反戦・イラク反戦が盛り上がり、00年代後半にはフリーター労組とかが盛り上がり、10年代前半には反原連やシールズが盛り上がった。〝前半〟の運動はリベラルなんでマスコミも安心して大々的に報道する。〝後半〟の運動はラジカルなんでマスコミはほとんど報道しない。で、この座談会に参加してるような連中は〝政治運動シーン〟の部外者であり傍観者であり〝観光客〟なんで、マスコミが報道するものしか視野に入らない。でも体質的・気質的には彼らはどうもラジカル志向なんで、リベラルな運動の高揚には反発を覚える。〝政治の言説〟ってやつは低レベルでしょーもないものばかりだ、という印象が固着する。どうもそういうメカニズムだね。彼らの視野からは〝何年代後半〟のラジカルな運動の高揚がことごとく抜け落ちてるもん。それでトンチンカンなことばかり云う。

ぼくが〝2012年〟なんて停滞期の真っ最中だ、と云うのはラジカルな運動の停滞期という意味であって、リベラルなくだらん運動はそりゃ、チョー高揚してたでしょうよ(笑)。

藤村 155ページ中段からの東の発言も意味が分からんよ。「日本でそういった『当事者の社会学』を切り開いたのは上野千鶴子さんですよね。古市さんにせよ開沼さんにせよ、実際に上野さんが師匠なわけです。荻上チキさんも上野さんを尊敬してますね。ぼくは3・11以降の論壇は『上野千鶴子の時代』といえるんじゃないかと思うんですよね。それくらい上野さんの存在感は大きい」と云ってる。もちろん上野千鶴子本人の時代という意味ではなく……。

外山 〝上野千鶴子的なもの〟の時代、ということでしょうね。

藤村 そこまでは分かるけど、要するにどういうことなのか、意味がよく分からない。

外山 まあ彼らのタコツボの中はそういう雰囲気だったということなんでしょう。その直前で大澤聡が挙げてる「鈴木涼美の『「AV女優」の社会学』(一三年)や北条かや『キャバ嬢の社会学』(一四年)」とか、あるいは前ページから東や大澤が挙げ合っている古市憲寿の『希望難民ご一行様』(光文社新書・10年)や『誰も戦争を教えてくれなかった』(13年・講談社+α文庫)、開沼博の『漂白される社会』(ダイヤモンド社・13年)といった、本来ならアカデミックな背景を持つ書き手たちによる「かつてであれば、どれもルポライターやジャーナリストの領分だったはず」(154ページ下段・大澤)の著作が、タコツボ内では話題になってたらしい。それは「九〇年代以降、出版業界に金銭的な体力がなくなり取材費を出せなくなる。その空いた席に、大学に所属する若手研究者たちが参入していく」という事情とともに、「社会学のトレンドとしての参与観察」、「社会学における当事者=現場主義化」という趨勢を背景としており、後者の源流には上野千鶴子の存在がある、っていう。

しかしタコツボの住人ではない我々からすれば、そりゃ多少は〝インテリ活動家〟ですからタイトルぐらい聞いたことある本は何冊か混じってますけど、90年代、00年代についての座談会で挙げられてた本よりもずっと遠い感じがする話題ですな。大澤の155ページ中段の発言の中にある「なんちゃって社会学者」とか、座談会参加者たちの口がだんだん悪くなっていくのは楽しいけど(笑)。とにかく全体的にもうツマラン本しか出版されなくなっているということが、2010年代にはタコツボの中の人たちにさえ痛感されるぐらいの事態にまで立ち至った、ということでしょうか(笑)。我々はそんなことはもう90年代からとっくにそう思ってたけどさ。

藤村 まあ古市の本を読んでないから何とも云えないし……。

外山 うん、もはやムリにでも読もうかという気さえ起きない本ばっかりだよ。『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿・11年・講談社+α文庫)とか、要は〝今の若者は不幸だとか云われるけど、そんなことないっス〟みたいな内容でしょ。そんな反革命言説、読まなくても読む必要なんか一切ないことは分かる(笑)。東が『絶望の国の幸福な若者たち』について154ページ下段で、「震災で自信を失った日本人への慰撫装置として機能した」と云ってるけど、読まなくてもそんなことぐらい想像がつくし(笑)、そんな本なんか書いちゃダメじゃん(笑)。

藤村 オレが聞いたところによれば、例えば国が滅びようが、そりゃ生活レベルは落ちたりもするだろうけど、それなりに楽しく生きていくことはできるよ、っていう話らしいけど……。

外山 だったらわざわざ本なんか書かなくてもいいじゃん(笑)。我々からすれば、〝若者たち〟が〝幸福〟かどうか、主観的にどう思ってるかなんて、どーでもいい。

藤村 うん、どーでもいいね(笑)。でもまあ、上の世代から〝キミたちは不幸だね〟とか云われ続けて〝ウッゼーよ!〟と反発する若者たちの気持ちはよく分かる。

外山 若者たちは不幸というよりバカになってるんだよ。〝ボクたちは不幸じゃないです〟とか云われても、それはバカだから気づかないんだとしか思わん(笑)。不幸でも幸せでもいいからまずバカを直せ、バカを。

藤村 でもそれは昔から、大人は若者を見て〝バカだなあ〟と思うわけで……。

外山 いや、実際にレベルは下がってるよ。ぼくらの世代だって新人類世代や全共闘世代に比べたらアホだもん。

藤村 そうだねえ。

外山 高校全共闘の高校生が書いた文章とか読めば分かる。というか、今のぼくらの世代のそれなりのインテリが読んでもまず分からないことが分かる(笑)。で、今の若者はそのぼくらよりもさらにアホになってる。どうせろくなこと云えないんだから、〝若い書き手〟とかもう発掘すんな、と(笑)。

藤村 赤木智弘が出てきた時なんかも、年長の知識人たちはちゃんと正面から批判すべきだったんだよ。そんな消費者根性のダメ人間が貧乏なのは当然だ、一生貧乏してろ、って。

外山 まあぼくは面識もあるし、なんか慕ってくれてるし、〝身内に甘い〟ファシストなんでそこまでは云わんが(笑)、赤木智弘がダメなのはやっぱり本気じゃないところだよ。〝希望は戦争〟って彼は本気で云ってはいないでしょ。若者たちの困窮をなんとかしてくれないと〝戦争〟とか待望しちゃうぞ、それでもいいのか、って大人を脅してるだけなんだもん。

藤村 で、リベラルな大人たちが脅しに屈してチヤホヤしたわけだ。そんな脅しには屈せず、きっちり批判してやるべきです。

外山 赤木智弘が本気で戦争を望んでるんなら、ぼくはもっと彼を高く評価しました。……座談会に戻ると、この第3節は全体的に興味が湧かない(笑)。

藤村 細かいことを云い出せばいろいろあるんだけどさ。また〝白井聡問題〟でもあるんだが、156ページで議論されてる「リベラルの『じつは勝っている』論法」(市川)の話ね。「一二年一二月の衆議院選挙では、原発はほぼ争点にならず、民主党は大敗して政権が自民党に戻ることになる。それ以降の小熊さんは、すでに社会は変わったんだという主張に移ります。(略)彼は反原発運動は十分に社会に影響を与えたのだし、それゆえ『勝った』のだと言い続けていた」(東)、「白井聡さんも同じですね。リベラルはじつは勝っているんだと」(佐々木)っていう。

外山 大澤聡が「柄谷さんも同じロジックです」と云ってるとおり、柄谷も〝デモで社会は確実に変わる。デモがない社会からデモがある社会に変わった〟とかしょーもない詭弁を弄してた。

藤村 たしかにみんなこれを云うんだよ。野間さんも云う。ゲンロンカフェに出演した時に、自公が3分の2を占めたという選挙結果にも関わらず、〝実は勝ってる〟みたいなことを云ってたもん。

外山 〝しばき隊リンチ裁判〟でもきっと勝てますね(笑)。まあそもそも野間さんはリンチ事件が発覚した時も、自分たちの不利さをちっとも直視してなかったからなあ。

藤村 「リベラルの『じつは勝っている』論」って、〝3・11以降〟の〝思想のない〟運動、〝文化左翼〟ですらない運動が共通して陥る罠だという気がします。東が「一三年の春にゲンロンカフェで小熊さんと対談する機会がありました」って云ってて、その時の対談と中身が同じなのかは知らないけど、小熊英二の対談集『真剣に話しましょう』(新曜社・2014年)での小熊と東の対談を読んだら、「総選挙でリベラルが負けたとは思わない」という小熊の発言に、東が驚愕してたもん。オレもその点では完全に東に共感するし、小熊には「真剣に話せよ!」と云いたくなる(笑)。だから彼らの批判には全く賛成なんだが、さらに一歩進めて考えると、彼らの「じつは勝っている」論にも実はもっともな理由があって、自公は圧勝したけど、自公以外にもう1つ、ほんとに勝ちまくってる政党が存在するじゃん。云うまでもない、共産党ですよ。

外山 うん、得票も議席も伸ばし続けてる。

藤村 だから〝実は勝ってる〟と云うこともできるわけだ。〝3・11以降〟の運動って、みんな共産党がバックについてる。

外山 結局は共産党の勢力拡大に利用されてるだけの運動だよな。

藤村 もちろん白井聡なんかは、共産党を好きか嫌いかと訊かれたら嫌いだと云うでしょう。そんな白井聡ですら、実は単に共産党を利してしまうような論法に乗っからざるをえないぐらい、リベラル派は共産党による〝不可視の独裁〟のもとにある(笑)。

外山 共産党の問題は措いても、ここで彼らが云ってることは正しいですよ。とくに156ページ中段から下段にかけての市川発言は素晴らしい。「『みんなが選挙に行っていれば勝ったのだ』とかもそうです。しかし実際には、いま投票率が九割になったら、リベラルはさらに負けるでしょう。『支持政党なし』とか『態度未定』を都合よく解釈することが、最大の問題なんです。実際はそのほとんどは、リベラルに対しても保守に対して以上にうんざりしているか、あるいは、たんに政治に興味がない保守層ですよ。しかし、リベラルはそのことに気づかないし、気づきたくない。なぜなら、彼らは自分たちが『正しい』と思っていて、『正しさ』が存在基盤になっている。それが『正しさ』である以上、いつか現実に証明されると信じているから」っていう、まあ素晴らしいというか、誰でも分かってなきゃいけないレベルの話ですけどね。

藤村 そういう鋭いことも云うんだけど、やっぱり〝政治運動〟に対して傍観者の立場から発言してるだけだから、共産党の問題にも踏み込まないし、単に〝政治の連中〟はバカだ、ウゼえ、みたいなところで終わってしまってる。

外山 そうなんだよな。そこがもどかしい。

藤村 あと、野間さん問題。「TWIT NO NUKES」の話題に関連して157ページ中段から野間さんの名前が出始めて、さらに159ページ上段で東が、「あと重要な動きとしては、一三年の野間易通さんによる『レイシストをしばき隊』の結成かな。SEALDsを生み出した功績は高く評価されるべきだけど、彼らはどっちかというと、もはや言論なんていらないという立場で、批評とは無関係ですね」って云ってるでしょ。まずその1。おまえはシールズには批判的立場だったはずだろう、と。「SEALDsを生み出した功績」を何で「高く評価」するんだ。

外山 そうだよね。ぼくの立場からしても、一番ろくでもない〝功績〟だ。むしろ〝負の遺産〟?(笑)

藤村 野間さんの一番の〝功績〟は、まさに〝しばき隊を結成したこと〟でしょう。しかもおまえはそれを支持してたはずだろう、と。それでゲンロンカフェにも野間さんを呼んだはずだ。そこらへんの整合性はどうなってるんだ、って話ですよ。

外山 うん、立場がブレブレになるのは良くない。

藤村 それに野間さんはまさに〝批評〟を提示してるじゃん。『金曜官邸前抗議』(河出書房新社・12年)なんて肯定的にせよ否定的にせよもっと読まれるべき本だと思うし、さらに『3・11後の叛乱』(笠井潔との共著・集英社新書・16年)で野間さんは自分たちの運動について……。

外山 充分に〝批評〟っぽい語り口でいろいろ自己分析してみせてるよね。

藤村 もちろん野間さんのいう〝クラウド〟なんて与太話は批判の対象以外の何物でもないんだけど(笑)、一方で野間さんはリチャード・ローティ的な問題意識で、つまり〝文化左翼〟的な連中を〝ヘサヨ〟と呼んで批判してるわけです。野間さんにとって、反原連の時もしばき隊でも、主要敵はヘサヨなんだもん。

外山 たしかに(笑)。

藤村 だから〝文化左翼〟的なものと野間さん的なものとを一括りにしちゃいけないし、したがって〝文化左翼〟的なものへの批判と野間さん的なものへの批判も、一部には重なるところもあるだろうけど、基本的には分けるべきでしょう。

外山 そこができてないんだよな。〝批評家〟のくせに雑すぎる。〝運動やってる連中〟なんかすべて一緒くたで〝アイツら〟なんだ(笑)。

藤村 オレはほんとに東浩紀に対して残念に思うのが……。

外山 過去の都合の悪いことはどんどん糊塗されて、〝なかったこと〟みたいにしていく。

藤村 『ゲンロン』の創刊号は野間さんにも献本されてるんだよ。野間さんが〝ありがとうこざいます〟って添えて写真をツイッターに上げてたもん。あれはもう1回探して写真を保存しとくべきだな。〝なかったこと〟にされかねない。

外山 〝誤配〟だったんじゃない?(笑)

藤村 東浩紀は1回、在特会へのカウンターにも参加してる。それも野間さんと一緒に記念写真とか撮ってアップしてた。まあ、〝観光客〟として行ったのかもしれんけどさ(笑)。

外山 ……とにかく〝政治系〟の話が絡むと途端に論評が雑になるよね。反感が先に立っちゃうんでしょうけど。

藤村 気持ちは分かるんだ。しばき隊とかシールズとか、東浩紀がちょっと批判したらどんだけクソリプが飛んでくるか……でもしょせんツイッター上での話じゃん。

外山 打たれ弱いというか、そもそもネット・リテラシーがなってないよ。無視すればいいだけなのに、すぐ〝ブロックします〟ってやるでしょ。……じゃあ、最後の第4節に進みますか?

藤村 なんか、この座談会の人たちもそろそろ疲れてきてる感じがするよね(笑)。

外山 そりゃ疲れるでしょう。長々とやってる上に、しかも対象の時代が新しくなるにつれて絶望的な状況を直視しなきゃいけなくなるんだから……(第4章の冒頭をチラッと見て)おっ、東が「最後に今後の批評の展望を語りたいと思います」って云ってるぞ(笑)。

 


(「4.「『観客』を復興する」黙読タイム)


 

外山 東浩紀ってつくづく〝運動家〟だねえ。頑張ってるよなあ。……しかしやっぱり〝社会〟を変えないと、〝批評〟の読者なんかも増えないと思うけどね。もはや〝批評シーン〟の枠内でどれだけ努力したって、〝社会〟が〝批評〟なんて行為を不要とする方向に進んでるんだったら、〝批評の読者〟なんか減る一方に決まってるじゃん。〝反知性主義〟になってるんだし、〝ポスト・トゥルース〟なんだしさ。〝社会〟が進んでるそういう傾向に歯止めをかけて、変革して、別の方向に動かさないと〝批評の読者〟なんか増えるわけない。したがって東浩紀はもう〝政治活動家〟になれ、というのが結論でしょうか(笑)。

藤村 オタク批評みたいなものを含む〝批評〟を復興させるためにも、まずは政治運動をやれ、と。

外山 だっていろいろ〝展望〟らしきことを語り合っちゃいるけど、どれも〝批評シーン〟の中だけでのアイデアだもんね。

藤村 冒頭にあるように、東浩紀がゲンロンカフェでいろいろイベントをやってみても、「じつは若手論客には集客力がないんです。テレビに出ていても、お金を払って話を聞きに来るかといえば、そうでないひとが本当に多い」(162ページ中段)と嘆いてるけど、おそらく東自身が百も承知であるだろうとおり、それはそれら若手論客たちのせいではなく、それだけ近年は〝批評シーン〟のタコツボ化が進んでいるってことだ。観客を集められるのは宮台真司とか茂木健一郎とかだけで……。

外山 タコツボ化がいよいよ深刻化する以前にすでにメジャーになってた人だけ、と。東自身もそうでしょう。

藤村 ゲンロンカフェでの茂木健一郎のイベントにはオレも1度行ってて、たしかに満員に近い客入りで大盛況だったけど……東がもんじゅ問題、築地問題、オリンピック問題、大阪万博問題について自分の見解を熱く語って茂木の意見を引き出そうとするのに、茂木はのらりくらりはぐらかしてちっとも答えようとしない。それでついに東はキレちゃうんだ(笑)。あの時は本当に茂木の答えはひどくて東がブチキレるのも当然だと思ったけど、そんな奴よりはるかに優れた、我々がカネを払って聞きに行くに値するような話のできる若手論客はいくらでもいるはずです。しかし客は集まらない。

外山 それもつまり、もはや〝云ってる内容〟、〝書いてる内容〟は関係なくなってるってことでしょ。

藤村 まあ、茂木健一郎の場合は単にテレビに出てる有名人だから客が入るんでしょうけどね。

外山 でも東浩紀の話によれば、「テレビに出ていても」若手論客では客が入らないって。

藤村 そうだな。それはなぜなんだろう?

外山 重要なのは〝読者がついてるかどうか〟だもん。テレビでコメンテーターとかやって顔は有名になったとしても、視聴者がその人の本を読むとは限らないし、むしろほとんど読まれてないでしょう。本ぐらい読んでる程度の〝ファン〟じゃないと、カネを払って話を聞きに行ったりはしないよ。……しかしこの第4節は、あんまり云うこともないな。なんか内輪の企画会議みたいになってるし(笑)。

藤村 ゲンロンカフェに小林よしのりを呼んだことについて、東浩紀が自慢げに、まるで〝ジャンルを横断〟して〝異文脈の人間を取り込む〟ことによってシーンを活性化させる試みであったかのように云ってるけど、今やネットでは〝小林よしのり〟と〝東浩紀〟は同じ陣営と見なされてるはずなんで(笑)、むしろオレなんかは、野間さんとかを呼んできたことのほうが画期的なことに感じられたけどなあ。だってキモヲタとサブカル野郎の対談イベントだよ(笑)。

外山 〝政治運動〟に対してしょせん〝観光客〟のスタンスでしか接しないから、さっき藤村君がツッコミを入れてたように、しばき隊やシールズに対する評価が野間さんとの個人的な関係の変化に左右されてブレまくったりする。

藤村 ブレたり、〝なかったこと〟にしたり……でも今回の座談会に付いてる年表には、野間さんたちしばき隊の動向についてかなり詳しく書いてあったりするんだ。まず2013年2月に「『レイシストをしばき隊』(しばき隊)結成→主宰者=野間易通ら」とある。それから同6月に「在特会がデモでしばき隊と衝突→在特会の桜井誠、しばき隊の久保憲司ら8名逮捕」。そして2014年9月「しばき隊が解散→後継団体として『C.R.A.C.』結成」。2015年11月、「はすみとしこを支持するFacebookユーザーの情報をC.R.A.C.メンバーが公開し炎上」。同月、「過激発言を行っていたC.R.A.C.関係者の新潟日報報道部長が懲戒処分に」って。

 

 

外山 結構マニアックじゃない?(笑)

藤村 うん、マニア情報(笑)。

外山 〝はすみとしこ問題〟とか〝新潟日報報道部長〟とか、まあ〝運動史年表〟ならともかく、〝批評史年表〟に載せるのはぼくでも躊躇しそうだ。

藤村 しばき隊あるいは野間さんへの歪んだ愛は感じられるでしょ。

外山 ぼくの都知事選出馬と〝新潟日報報道部長〟問題を同じ大きさにするのはやめてほしいよ(笑)。

藤村 ……それにしても東の〝活動家〟っぷりには感心させられるけどね。〝人を集める〟ってことを本当にマジメに追求してる。

外山 東浩紀に対するぼくの評価もだいぶ変わってきたよ。

藤村 どんなふうに?

外山 キミには〝素質〟はある、と。ただ居場所を間違えてるだけだ(笑)。……政治運動について知識が薄っぺらいからトンチンカンなことばかり云ってるけど、とくに知識が必要でない範囲のことなら、リベラル派に対する批判とかにしても、そんなにおかしなことは云わないしさ。大体そのとおりですね、っていう。ま、そんなところですか。

 

終わり

 

 

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